オベリンナの太陽 嗚呼青春! | ヨンさまブログ

ヨンさまブログ

とある焼肉屋のおやじです。

♪大空はるか かかとを上げて 富士の高嶺は 覗いてる


 桜の園の若人達は 桜の園の若人達は


 すこやかに逞しく 育つかと


 ああ~ オベリンナ諸手をあげて


 イエス イエス イエスとイエス イエス イエスと叫ぼうよ♪


1976年弟51回夏の選手権、


初出場の西東京代表、桜美林高校の校歌は5度、阪神甲子園球場にながれる。


重厚で古めかしい語彙が並びがちの校歌が多いなか、


桜美林の校歌は現代的でハツラツとして、


いかにも青春の学園生活を謳歌している様子が感じられ、最も好きな校歌でした。


若人を「わこうど」、高嶺を「たかね」と読むことを知ったのも、この時。


76年夏の決勝は、その桜美林と大阪のPL学園、


選手権初の東京、大阪決戦でした。


前日の準決勝で優勝候補筆頭の怪物酒井を擁する長崎海星を延長の末破り、


ゲンをかついで、泥で真っ黒なユニフォームのPL、


初心にかえるべく、洗濯したての真っ白なユニフォームの桜美林、


対照的な両チームが整列しプレイボール、


PL3-1のリードで迎えた7回裏桜美林の攻撃、


代打で出てきたのが地区予選から今までほとんど出番のなかった控えの菊池太陽君。


太陽君、夏の選手権にこれほどふさわしい名前は他に無い、


その太陽君、左翼フェンスに二塁打!後続がこの好機を活かし3-3の同点に。


そして迎えた11回裏、無死ランナー1塁で迎えたバッターは、またしても菊池太陽君。


彼の打球は左翼へぐんぐん伸びてフェンス直撃!


1塁走者の本田君は長駆ホームへヘッドスライデイング、判定はセーフ!


ほんとうにドラマチックな決勝戦、


東京勢としては実に60年ぶり、桜美林の初出場初優勝の瞬間でした。


太陽君も本田君も控え選手、それでも懸命に走る姿が、


当時中1の僕にとって眩しかったなあ、、、


ちなみにこの大会は稀に見る選手豊穣の年で


巨人の原辰則(東海大相模)、赤嶺(豊見城)、中日のエース小松(星陵)、


同じく中日の強打者、宇野勝(銚子商)、阪神の名ショート平田(海星)、


西武の立花(柳川)、ヤクルト酒井(海星)、広島の山崎(宗徳)と、


あげればきりがないほど、そんな中での初出場初優勝はほんとうにスゴイ!


、、、


それから5年後、僕は高校3年生、


生まれて初めての彼女はアルバイト先で知り合った、桜美林の高校生、


その最後の春に桜美林が選抜出場、


監督は初出場初優勝の時の片桐キャプテン!


そして彼女はチアガールに選ばれて、


「一緒に甲子園にいこうよ、ネ、」と、


もちろん行きましたよ!もちろん別便のバスで!もちろん校歌うたいましたよ!


1回戦の佐世保実業に勝った時、


だって周りの人みんな起立するんだもの、、、歌詞カード渡されて、、、


校歌覚えてたけどネ、、、


でも2回戦の日立工戦で敗戦、これに勝ってたら次はPLだったんだよねえ、、、


そして僕の淡い春も選抜の終わりと共にゲームセット!


でもネ、彼女教えてくれましたよ、


みんな桜美林を「おうびりん」と読むけど、本校生や地元の人は「オベリン」っていうんだよ、


フランスの偉い人の名前なんだよ、だから卒業生をオベリンナーと呼ぶんだよ、と。


校歌の最後のイエスと叫ぼうよ、というのは富士さんの問いかけに元気良く、


ハイ!と答える様子とイエス様をかけてるんだよ、と。


あ~青春だったなあ~


甘くて、ほろ苦い事って本当にあるんだよ!!


でもね、焼肉パンガはほろ苦い経験させません!!


あなたには、おいしい思いだけさせちゃいます!


私たちは下町の太陽になりたいんです!



焼肉ぱんが向島スカイツリー店のブログ

今日のおすすめ!!


常陸牛のザブトン!!¥1200!!


お口の中で甘い幸せがとろけます!


そして思わず


「イエス イエス イエス」と叫びたくなりますよ!!



みなさん、猛暑がつづいておりますがいかがお過ごしですか?


現在のところ、


群馬県の館林市が夏の猛暑選手権で、


本命の熊ケ谷、対抗の前橋を抑え頭一つリード、


そのちょうど真ん中の本庄市は現在、熊ケ谷に並ぶ勢いの猛暑を記録中、


甲府も虎視眈々と上位を狙う、まさに暑くて熱い戦いであります!


秋はもうすぐ!!