私は天照大神こと大日霊貴尊をなんとかして天皇家の祖に組込むための目的は、倭王の後継者が自分でると称するためであると考えています。
ではいったい何のメリットがあってそんなことをしたのか?
昔から説として存在していますが、伊勢神宮に奉られる「大日霊貴尊」と「豊受大神」は、歴史に登場する「卑弥呼」「壹與」であり中国史書にいう倭国の王の称号を持つ人であると思います。
つまり、天皇家は国の統一過程において自身こそは古より中国にも認められた倭国を統べる正統の王であることを認めさせたかったのではないかと思います。
また、ここから言えることとして現在の天皇家は逆に倭国王の血統では無いとも言えます。
はたまた、九州からの東征など無かったのではないか?ということも疑われます。
しかし、やはり九州からのなんらかの勢力の移動があったことは間違いないと思っています。
その当時の地球規模でいう世界一の強国は、歴史上間違いなく中国です。
現在の私達の感覚でいえば、きっとアメリカよりも強力な覇権国であったと考えられます。
その中国を統べる皇帝は、世界一の権力者であり、その人からお墨付きを頂くということがどれほどの力を持つものであったかは容易に想像できます。
特に、この親魏倭王の親魏という称号は他では北インドの王であるヴァ-スデーバに贈られた以外には無いのです。
当時の朝鮮半島のどの国の首長も勿論もっていない、因みにもっていたのは村長さんくらいの称号しか与えられていませんでした。
つまり、親魏倭王であるということは日本列島のみならず魏の帯方郡より南の地域で一番の順位であり、例え邪馬台国に実力などなくとも朝鮮半島の諸国を平伏させる力が与えられていたということです。
そう考えると、なぜ記紀において古の天皇が当然のごとく朝鮮半島に干渉し半島の南を自国のように扱い、朝鮮半島の王を下に見ていたのかの根拠がここにあるのだと思います。
倭王の称号をなんとしても手にしたかった天皇家の目論見がよく分かります。
しかし、残念ながらこの倭国王の称号は記紀が編纂された頃には必要のない無用のものとなった為に天照大神が卑弥呼であることや、その正統の後継者であるという情報が曖昧なかたちで表現されたのではと考えています。
つまり本当は祖神でもなかったけれども、之までに散々嘘をつき正統の後継として振る舞い、その権威を利用しつくした結果、今更まったく関係ない人ですとは言えなくなったということだと思うのです。
記紀を編纂する目的は、之までの基本外交政策の大幅な変更を意味していたと思います。
【変更前】 中国皇帝から封王としてもらうことで安全保障を担保する。
【変更後】 中国からの自立を急ぎ、その影響力から抜け出し、中国の封王である倭国王から日本国の天子たる天皇となり、日本国統合とその結束力により安全保障を確立する。
まあこうなっても何の不思議もありませんよね。
中国の皇帝の権威を傘に着るどころか、大唐帝国と戦争をする羽目になり、、、。
当然のごとく惨敗し、倭国王としてもっていた半島での権益の全てを失い、、、。
そう白村江の戦いです。
その後は、其れまでの王家の信用が失墜し国を2分する内乱が勃発、、、。
結果、国の名前までも「日本」と替えなければならない事態が起こったのですから。
時の天皇である天武天皇さんは必死で国の統合と結束を図ろうとしたと思います。
その結実が後の大仏建立に見ることになるのだと私は思っています。
大仏は、ただただ聖武天皇が仏教を厚く敬ったからと言ってどうかなるような事業だとは到底思えません。これは之までのこと(それぞれの氏族の出身や、それぞれの氏族で持っていた信仰や、それぞれの氏族同士の敵対関係など)は一旦水に流して、一つの日本国民になりましょうという決意の表れであると思えるのです。
そして史実として、それ以降国風文化といわれる中国とは一線を画した日本独自の文化が花開いていきます。