なぜ大和国では天照大神が重視されていないのか?本当に天皇家の祖神なのか? | いにしえの徒然ブログ ― 古代史のロマンを求めて ―

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なぜ大和朝廷発祥の地で、その支配者たる天皇家の祖神である天照大神を祭っていないのか?
伊勢神宮はなんなのか?
等など素人の視点からの疑問を綴っていきたいと考えております。

大和の国、今の奈良県で古くから重視されてきた神社と言えば、なんといっても大和国一ノ宮である「大三輪大社」です。


この三輪大社には本殿はなく、ご神体は三輪山(三室山)そのものであるという古体の自然崇拝のありようを残しています。


また、代々の古の天皇や王族は聖地である三輪山の周辺に宮を構えてきました。


歴史好きの方なら説明もいらないと思いますが、この三輪山から南北に繋がる山之辺の道に古代の遺跡やいわれのある神社仏閣の宝庫であることからもこの三輪山を古代の人々が非常に重視してきたことが伺われます。


さて、この大三輪大社のご祭神ですが御名を「大物主大神」といわれ、別名では「大国主神」「大己貴神」と言われます。


この神様は何者かといえば、神話の世界でいう出雲の神様です。

そう、天皇家の祖神である天照大神の天孫に国を譲った方です。


記紀では、九州より初代神武天皇こと神倭磐余彦が大和国を征服すべく旅立ち、先に大和の国に天下った天孫であるニギハヤヒ命と土着勢力の王である登美のナガスネ彦の娘との間に生まれたウマシマジ命から禅譲され大和にて王権を樹立したといいます。


つまり、出雲の国譲りに出てくる神様は記紀でいうニギハヤヒ命とその息子であるウマシマジ命であることが記紀を読むとよく分かります。


で、普通は征服された側の神様を、征服した側の支配者がご丁重にお祭りすることは考えにくく、、、。

天皇家が大和入りした後も、また現在も天照大神では無く大物主神をお祭りしているという事実が古代の謎を解く鍵なのではないかと私は考えています。


その鍵とは、つまり天皇家の祖神は「天照大神」ではなく「大物主神」なのではないかということです。


これまでの常識で考えれば確かに素っ頓狂なことですし、式年遷宮で沸く伊勢神宮はなんだんだと怒られそうですが、、、しかし天皇家自身が伊勢神宮を重視している様子は記紀や歴史上ほぼ見受けられない事実があります。


歴代天皇や宮様が訪問する神社は、たいてい出雲系の神様の神社です。

また古代の熊野詣でもそうですが、あそこに奉られておられる神様は出雲神の首領であるスサノオ命です。そして天皇家の都である大和国の一宮のみならず、遷都された平安京のある都の守護を司る上下賀茂大社も出雲系の神様であり、近年では東京に遷都する際に明治天皇がまず参拝された武蔵国一ノ宮である氷川神社も祭神はスサノオ命でした。


そしてその鍵の答えも、実は記紀に書かれていると私は思っています。

それは上記した被征服者であるニギハヤヒ命も、天皇と同じく天孫だと書かれています。

天孫の証であるレガリアを身につけ天降ったとしっかりと書かれているのです。

そのレガリアを納めているのが日本最初の神宮といわれる石上神社です。


では、いったい伊勢神宮に祭られている天照大神とはなんなのでしょう?


拙速ですが、私は天皇家と伊勢神宮にてお祭りする天照大神こと大日霊貴尊を無理やりに結びつけるための工作であったと考えています。


また最後にもう一つ、大和の聖地である三輪山に祭られる大物主神ことニギハヤヒ命の諡号は

「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」

要するに、ニギハヤヒ命こそ天地を照らす太陽神そのものであることが分かります。