天皇家の祖となった人のルーツ | いにしえの徒然ブログ ― 古代史のロマンを求めて ―

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なぜ大和朝廷発祥の地で、その支配者たる天皇家の祖神である天照大神を祭っていないのか?
伊勢神宮はなんなのか?
等など素人の視点からの疑問を綴っていきたいと考えております。

本当に夢想の段階ですが、私は天皇家の祖となった人のルーツに大きく括ると3つの勢力が考えられると考えています。全く考えが纏まっていないということですが、、、。


一つは、卑弥呼の側近・重臣、一大卒の長官であった卑弥呼の弟とされる人、現在の天皇家の祖となったのではないかと考えています。


倭国王の正嫡ではないが全く関連が無いとも言い切れないが故に、より倭国王の称号と権威を欲したことも考えられます。そうすると天照大神の弟であるスサノオ命の後裔であるニギハヤヒ命が王権を樹立したという私の持論には一番ぴったりとはまります。


また、都市国家の芽栄えは北九州からおこったであろうことは考古学上の遺物からも証明されています。中国・朝鮮半島との玄関口であり、文物がまっさきに入る土地であり、当時の最も栄えた地域であることは間違いがありません。


そして多くの方が言うように、北九州の土地名と奈良の地名には重なるものが多々あります。そもそも邪馬台国を「やまたいこく」と読みますが、これ自然によめば「やまとこく」ではないでしょうか?

今も九州にはヤマト地名がしっかりと残っています。


また中国史書の邪馬台国は、倭国を中華思想で卑しめて「やまと」を邪馬台と書いていると考えるのがすっきりとくるのではないでしょうか?

因みに卑弥呼というのも、中華思想で卑しめて「ひみこ」を卑弥呼と書いていることは間違いありません。

本当は「日巫女」太陽神に奉仕する巫女さんということでしょう。

(多くの学者さんがこんな簡単な推理を思いつかない訳が無く、なんだか無理矢理に邪馬台国論争をしかけることで真相を闇に葬ろうとしているのでは?とさえ思えます。)


主体となった人たちはいわゆる「倭人」。つまり江南系の中国人と縄文系列島人の混血であると思われます。中国史書にいう分身をした人たちです。


二つめは、もしくは邪馬台国の仇敵として描かれる求奈国の王が考えられます。


この求奈国がどこなのかが確定されていないので定説になることはないと思いますが、私は求奈国は現在の熊本県を中心とした地域ではと考えております。


こじつけに近いかもですが、古の天皇の別称は「日嗣御子」であり日を継ぐ方です。

この日御子の国の名を連想しろと言われれば、まっさきに「日の国」となるのではないでしょうか?

そうすると思いつくのは「火の国(肥の国)」となって不自然なことは何もありません。


またこの日御子ですが、おおくの歴史ファンは自然と「ひのみこ」と読むと思いますが、何も知らない人が読んだら「ひみこ」ですよね。何やらここにも鍵があるように思っています。


また、記紀においても火の国と天皇家には深い繋がりを感じます。理由は火の国を治める火の君(阿蘇氏)は神武天皇のお兄さん神八耳井命の後裔であるということからも伺えるのです。

で、またもやヒミコ様との関連も疑われることもセットで残ります。阿蘇神宮に行くと分かりますが、ここには姫神様も奉られているのです。因みに塚もあります。


こちらも主体となった人たちも「倭人」であると思います。


な~んだかね、匂いますでしょ?


三つ目は、これは正直申し上げまして賛同される方ほぼいないのでは?という説です。


どんな説かと言うと、、、淀川水系~琵琶湖~若狭日本海の水運を支配した勢力が天皇家の祖となったのではというものです。


何故そう思うようになったのかというと、ある日近畿周辺にどのような氏族が分布していたのか?が気になり地図上に新選姓氏録をもとにプロットしてみたのです。


すると天皇家から分かれたとする皇別氏族の分布の多くが琵琶湖周辺から福井若狭三国に集中すること。


また、自説で天皇家の祖と考えるニギハヤヒ大神が天孫降臨した地が淀川水系を見下ろす現在の大阪・京都・奈良の境に位置する大阪府交野市であること。


また、諸説ありありですがもう一人の天下神話をもつ神である「天日矛命(ツヌガアラシト)」を奉る神社があるのもこの地域であること。一説にはこの方は新羅の王子であるとされ、神宝をもってあまくだったとされる。播磨国風土記に多々登場するが、神話というよりも史実を神話として語り継いだ内容のように思える。この方の持ち来たったという神宝と、ニギハヤヒ大神が天照から下賜された神宝は瓜二つなのである。ここから私には二人が同一人物ではないかと考えてもいます。


そしてちょっと話が脇にそれますが、天日矛がニギハヤヒ命だとすると、天日矛が国を求めて戦った相手である大国主命(伊和大神)とは、ニギハヤヒ命が入り婿したナガスネ彦のことなのでは?という推理も思い浮かぶのです。


つまり近畿を中心とする勢力の大王であった大国主命(三輪の神大物主神)に、半島(新羅)より海を南下し(あまくだった)若狭地方に拠点を築いた天孫が婿入りすることで出来た王統が天皇家なのではないかと。


そして日本海と瀬戸内を繋ぐ水運を支配し、巨大な富を蓄えたこの王統が倭王の称号を奪うべく、度々九州を攻めたのでは?とも思えるのです。(神功皇后と仲哀天皇の熊襲征伐の伝承などなど、、、。)

別の視点では三輪山の信仰の要点である、「太陽神」と「水の神」の合体が成ったとも考えられる。


というのも、三輪大社に祭られる神を地元では「三輪さん」と気楽に呼ぶんですが、三輪さんは「巳さん」とも呼ばれます。ようは「蛇さん」であり、水の神様なのです。私は水の神をトーテムとする近畿を中心とした勢力の首領が三輪さんこと「大国主神」なのではないかと考えています。


弥生時代を代表する祭祀の形態には2つの形がありました。1つは九州を代表する銅矛・銅剣を祭器とする勢力、もう一つは近畿~東海を中心とした銅鐸を祭器とする文化です。この銅鐸こそは水の神を奉る勢力を現していると考えています。


なぜなら銅鐸は、とぐろをまく蛇をあらわしているという説や、またそのとぐろを巻く蛇の姿こそが甘南備山の姿であり、つまり三輪山は三輪さんであり蛇神が鎮座する姿そのものであると考えられます。


事実、銅鐸には蛇の紋様を多く見ることができます。


そして、九州を中心とする銅矛・銅剣を祭器とする勢力とする神の姿とは?

「天日矛」その名が思い浮かびませんか?

つまりこの方が太陽神であり、ニギハヤヒ命こと本当の天照大神なのではないかと思うのです。


そしてこの方の周りには、様々な謎や示唆に富んだ伝承があり列島の歴史の謎の鍵を握る人なのではという思いが益々強くなっています。


この主体となった人たちは、大国主を中心とする「倭人」と天の日矛を中心とする「倭人+朝鮮半島の倭人+北方民族(ツングース系)の混血」の人たちではなかろうかと考えています。