気が付けばもう、1月も後半に入っていました
いまさら「あけまして・・・・」
でもないかもしれませんが。
ことしもゆる~~くよろしくお願いいたします
記事の更新をしていないにもかかわらず、
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ありがとうございます
さて、だいぶお休みしてしまいました
私はアダルトチルドレンの苦しさから脱却していくのに、
身をもってよかった方法など書いていましたが、
『根本にあった思い』
は疑問形のままだったことに気づかされました。
それはきょう、
この方(ピコさん)のブログを読んで、
今まで漠然と、納得できていなかったことが
【確かにそのとおり!】
と思いましたのでご紹介させていただきます。
私たちアダルトチルドレンは、何でこんな両親のもとに生まれたんだろう?
私が一体何をしたんだ!
と、悲しみ、苦しさ、辛さ、理不尽さを感じて親を呪ったりしてましたよね。
そんなとき、魂の成長ために自らその環境を選んだという文言に出会いませんでしたか?
そもそも、生まれたのがこの環境だったのだから、
自分がこの環境を選んだとか言われても
『そうかなー?』 と思ったし、
自分がこの環境を創りだしたといわれても
私が何かをする前からあった環境だったのだし
『そうかなー?』 と思ってました。
私は、その言葉に出会ったのは一度ならず、何回もだったので、
『そうなのかー、自分がそうしたかったのかー』
とあきらめるような気持でしたが、
いま一つ納得がいきそうで、心の奥深くでは納得いっていなかったことがわかりました。
というのも、
私たちは、光であり、愛の存在だと言われるのに
そうでありながら、魂の成長をするためって、
光で愛の存在なのにまだ不完全ていうこと?
『なんだかな~』
という漠然と納得できない気持ちでしたが、
ピコさんが、魂を磨く必要などなかったんだ!
で語っているのは、
神が知りたかったから。
悲しみ、苦しみとはどういうものか、どういう気持ちになるのかを知りたかった。
というのです。
私はすごーく納得できました。
私たちはそれを体現できる勇者であったから、
神は知りたかったことを、私たちを通して知ることができた。
そのお役目があったんだ。
ということ。
私たちを通して知りたかった。
(肉体を通してでなければ、そういう気持ちを味わうことができないから)
だったんですねー
だからもういいんです。
もう知らせてあげたからいいんです。
自己否定や罪悪感や、自責感、自己嫌悪など、
たくさんの自分をいじめるような思いはもう捨ててしまいましょう。
本当にそんな思いはいらなくて、
私たちは愛されている存在。
どうあっても。
そのことを信じていいんです