「最初はこんな人じゃなかった」

よく聞く言葉です。


南無阿弥陀仏。

いやね、ほんとにそう見えるんですよ。

優しい人だった。気が利く人だった。

ちゃんとしてた。

それがある日、責める。否定する。

全部お前のせいだと言い出す。

でもな、変わったんじゃない。

出ただけです。

ここ、ちょっと怖いですよ。

最初から殴ってくる人は、誰でも逃げる。

でも最初に優しい人は、逃げない。

むしろ、「この人は本当は優しいはずだ」って、自分を説得し始める。

で、その間に、関係はじわじわ固定される。逃げにくくなる。離れにくくなる。

そのタイミングで、中にあったものが出てくる。

たとえばね。ずっと履いてる靴。

最初は何ともない。

でも、ある日ふと、足が痛くなる。

見てみたら、中で縫い目が擦れてる。

最初からあったんです。

ただ、気づかなかっただけです。

モラハラも、これと似てる。

急にできたんじゃない。

見えていなかっただけです。

そしてもう一つ。

責任転嫁。これが核心です。

うまくいかない。思い通りにならない。

不安になる。

そのとき、「自分の問題」として抱えるのは苦しい。

だから、外に置く。

「お前のせいだ」

これね、相手を攻撃してるように見えるけど、本質は違う。

自分を守ってるだけです。

でも、その守り方が、人を壊す。

そして厄介なのは、こっちにもあるんですよ。同じもの。

うまくいかないとき、

「環境が悪い」「相手が悪い」

「タイミングが悪い」

って、言いたくなる。

いや、言ってる。

責任転嫁、やってない顔して、やってるんです。

違いは、程度だけです。

ここがえぐい。

あっちは加害者、こっちは被害者、で終わらない。

同じ構造の上に、強いか弱いかが乗ってるだけです。

だから、見抜きにくい。やめにくい。

わかっていても、やめられんのです。

だからこそ、ですよ。

ここでようやく話が変わる。

責めても、治らない。

理解しても、すぐには止まらない。

でも、見えるようにはなる。

「あ、今、外に置いたな」

「今、自分を守ったな」

「今、相手に押しつけたな」

ここに気づく。

それが、最初の一歩です。

如来の教えってね、善人になる話じゃない。

自分のどうしようもなさが、そのまま照らされる話なんです。

責任転嫁も、支配も、逃げも、全部込みで、

「それでも見ている」

というはたらき。

だから、そこで初めて、止まれる。

相手を潰す前に、自分が止まる。

それしかない。

南無阿弥陀仏。