「愛しているからだよ」
南無阿弥陀仏。
──これ、優しい言葉に聞こえますね。
でも、どこか息が詰まる。
守られているようで、逃げ場がない。
そんな感じ、しませんか。
最初は、ただの心配だったはずです。
「何時に帰るの?」
「誰といるの?」
それを、嬉しいと思った。
自分も同じです。
気にかけてもらえると、
存在を認められた気がする。
そこに、違和感なんてない。
でもね、
それが“監視”に変わった瞬間、
もうそれは愛じゃない。
不安じゃない。
優しさでもない。
👉「手放したくないだけです」
相手じゃない。
“自分の安心”を。
スマホの通知が気になって、何度も確認してしまうこと、ありませんか。
本当は急ぎじゃないのに、
「何か来てるかも」と手が伸びる。
あれと同じです。
鳴ってない。
問題も起きてない。
でも、確認せずにはいられない。
この夫も同じです。
妻が何かしてるわけじゃない。
裏切られてもいない。
でも、見ないと不安で仕方ない。
だからカメラを置く。
安心したいだけです。
「愛しているから」じゃない。
「疑っているから」でもない。
👉「怖いだけです」
自分の知らない世界で、
何かが起きるのが。
自分の手の届かないところに、
相手が行くのが。
でもね、
その“怖さ”をそのまま出せない。
だから言葉を変える。
「心配してる」
「愛してる」
便利な言葉です。
優しく聞こえるから。
でも中身は違う。
👉「支配したいだけです」
見られていると感じると、
人は勝手に行動を変えます。
誰も何も言ってないのに、
背筋が伸びる。
変なことをしないようにする。
それだけで、もう縛られている。
これ、外の話じゃないです。
自分の中にもあります。
相手を信じているつもりで、
実は“安心材料”として扱ってる。
離れてほしくない。
変わってほしくない。
だから見張る。
だから縛る。
形が違うだけです。
👉「愛じゃない
自分を守りたいだけです」
わかっていても、やめられんのです。
怖いから。
失いたくないから。
自分が壊れそうだから。
だからこそ。
その怖さごと、見抜かれている。
その執着ごと、抱かれている。
見張らなくてもいい。
縛らなくてもいい。
そう言われても、
できないのがこちらです。
それでも、
そのまま来いと、
そういうはたらきがある。
南無阿弥陀仏。

