「AIは次の産業革命です」
南無阿弥陀仏。
いやぁ。
偉い人ほど、こういう言葉が好きです。
革命。チャンス。未来。成長。
きれいな言葉です。
でもな。
それを聞かされる側が、
どんな顔をしているか。
そこを見ていない。
AIで社会が変わる。
仕事が効率化する。
新しい産業が生まれる。
それはたぶん本当です。
でも、学生たちが聞いているのは、
そこじゃない。
自分の仕事は残るのか。
学んできたことは無駄になるのか。
生活できるのか。
そこです。
未来の話じゃない。
食い扶持の話です。
それを、安全な場所にいる大人が、
壇上から語る。
「皆さんには大きな機会があります」
いや、その機会、誰の機会ですか。
投資家の機会。企業の機会。
経営者の機会。株価の機会。
若者には、不安だけが配られている。
ここがえぐい。
大人は、自分が得をする変化を、
“未来”と呼ぶ。
そして、誰かが痛む変化を、
“時代の流れ”と呼ぶ。
便利な言葉です。
責任を取らなくて済むから。
「これからはAIの時代だ」
そう言えば、奪われる側の痛みまで、
前向きに変換できる。
まるで、
冷蔵庫の中身を勝手に食べておいて、
「新しい食生活に挑戦しよう」
と言っているようなものです。
腹が立つに決まっている。
見えていないだけです。
壇上から見る未来と、
客席から見る未来は違う。
壇上では光って見える。
客席では影が濃く見える。
同じAIでも、見る場所で意味が変わる。
でも人間は、
自分の立っている場所を忘れる。
自分の利益を、世界の正解だと思う。
これが愚かさです。
自分も同じです。
新しいものに乗れた時は、
「変化を受け入れろ」と言う。
乗れない時は、
「世の中がおかしい」と言う。
結局、自分の都合です。
怖いだけです。
置いていかれるのが怖い。
奪われるのが怖い。
時代に負けるのが怖い。
だから、強い言葉を使う。
革命だ。好機だ。走れ。歩くな。
でも本当は、自分の不安を、
勢いでごまかしているだけです。
わかっていても、やめられんのです。
変化は止められない。
でも、痛みを見ない変化は、人を壊す。
だからこそ。
AIを語るなら、希望だけでは足りない。
誰が得をするのか。
誰が押し出されるのか。
誰が黙って耐えるのか。
そこまで見ないと、
未来の話にはならない。
如来は、
時代に勝った者だけを見ていない。
技術に乗れる人も。
乗れない人も。
取り残される不安に震える人も。
未来を語りながら他人の痛みを見落とす人も。
その愚かさごと、照らしている。
南無阿弥陀仏。
