「なくなるかもしれない」

そう思ったとき、私たちはどう動くか。

その不安が、現実を変えてしまうことがあります。


南無阿弥陀仏。


──これ、ちょっと笑えない話です。

足りているのに、足りなくなる。

なくなっていないのに、なくなる。

どこで崩れたのか。

最初はほんの少しです。

「念のため」

この一言。

これ、優しそうでいて、かなり強い力を持っている。

自分もやります。

ちょっと多めに買う。

一応、備えておく。

安心したいだけです。

でも、その“ちょっと”が重なる。

気づけば棚が空になる。

👉 不足しているから動いたんじゃない

  不安だから動いただけです

ここ、見落としやすい。

現実を見ているつもりで、実は自分の内側に反応している。

不安って、現実を見ているようで、“自分の中の物語”を見ていることがある。

寝る前に、鍵を閉めたか気になって、もう一度確認しに行くこと、ありませんか。

閉めたはずなんです。

でも、なぜか気になる。

不安があると、現実よりもそっちを信じてしまう。

この買い占めも同じです。

足りている現実より、“なくなるかもしれない”という感覚を信じている。

👉 見えていないんじゃない

  見たくないだけです

怖いんです。

なくなるのが。困るのが。損するのが。

そしてもう一つ。

その不安は、自分の中だけで止まらない。

隣の人も動く。また別の人も動く。

誰も悪くない。

でも結果として、現実が歪む。

これ、人間関係でも同じです。

嫌われるかもしれない。

そう思って距離を取る。

結果、本当に離れる。

👉 守ろうとしただけじゃない

  壊しているだけです

自分も同じです。

不安になる。先回りする。守ろうとする。

その結果、余計にこじらせる。

👉 怖いだけです

  失いたくないだけです

わかっていても、やめられんのです。

だからこそ。

この不安ごと、そのまま見られている。

隠さなくていい。無理に消さなくていい。

安心しようとして、安心を壊してしまう。

そんな自分ごと、もうすでに引き受けられている。

全部を正しくできなくてもいい。

振り回されている自分に、気づくだけでいい。

その気づきさえも、はたらきの中にある。

南無阿弥陀仏。