今日は高校の卒業式でした。
精一杯胸を張って、卒業証書授与では大きな声で返事をしました。
そして、初めて堂々と校歌を歌いました。
声に出して歌ったことで、旧制中学に端を発する歴史ある学校に在籍していたのだという自負が生まれた気がします。
僕の学校の校歌には、志を高く持ち、若い力を発揮していこうという内容が、昭和時代の格調高い言葉で織り込まれています。
「美しい歌だ」と誇りに思います。
同時に、このような気持ちを小学校や中学校の時に感じられなかったことが残念です。
組織が国歌や校歌を禁止する理由が何となくわかった気がします。
歌を斉唱するということは、周りと心を合わせるということです。
そして校歌や国家は、その学校や国家への帰属意識を高めます。
組織は、信者が外部にアイデンティティを見出すことを決して望まないはずです。
だから「それは偶像崇拝に当たる」という謎な理論を持ちだして禁止をします。
うちの学校がその例ですが、歌詞に校名や地名が全く登場しない校歌もあるのです。
日本の国歌「君が代」も、天皇崇拝とは関係のない和歌から取られたと聞いたこともあります。
クリスマスの時は「由来」を気にするのに、都合いいなあ・・・と感じてしまいます。
改めてこの組織の矛盾を実感しました。
それから、今年僕が頑張ることをここに宣言します。
・貯金30万
・センター試験(国・英・数1A・情報・地学基礎生物基礎・日本史B・現社)で7割取る
・彼女を作る
・責任感を持つ
・優しくなる
国立の夜間ならば、奨学金を最低額の3万円借りて、寮に入って、今と同じ8時間×週4のバイトを見つけることができれば自力で行けることを知りました。正確に言うと、以前から知っていたのですがそれを目指すだけの勇気も度胸もありませんでした。
けれど、僕は変わります。
必ず自立した男になります。
この腐った組織から出ていきます。
たとえ今年無理でも、成人する再来年には実現させます。
こうしてみると、通信制で得たものも多いのかなと思います。
自学自習・自己責任を原則とする学習は厳しいものではありましたがその中でも楽しんでやれたかな、と思います。
自分でスケジュールを立ててそれを守るということは社会でも必要になってくるスキルです。
それをやり切れたことで、ある程度の自信をつけることが出来ました。
全日に入れなかったことは今でも残念に思いますが、でも悪くない3年でした。
良い友人やよい先生方に恵まれました。感謝です。
親にも感謝しています。送り迎えでもお世話になりました。僕に愛情を注いでくれています。
けれどそれは歪められた愛なのです。
悲しいけれど。
だから、ごめんね。
僕はあなた方の希望には沿えない。
一生を棒に振ることはしたくない。
僕は強くなる。絶対。
気の赴くままに書き連ねてしまったので脈絡のない文章になってしまいました。
そのうちまた更新します。