――例えば、子供のころ。

友達の家に遊びにいくと、「その家のにおい」があった。

ごはんや色んなもののにおいが浸みこんで、うちとは違うなにかを発していた。

それは、5分もすれば慣れて、気にならなくなるものだったけど――

 

 

たまたま用事があって、実家に行った。

 

父が読んでいた本から顔をあげて、「よう」と歓迎してくれた。

母は不在だった。

 

私は父にあいさつを返し、雑用にとりかかった。

 

実家の台所には、昨日の鍋が残っていて。

玄関は、チューリップと菜の花が生けてある。

古い柱時計が、聞かなくなっている音をたてていた。

 

父は本の中。

 

懐かし、いつもの風景。

ほっとする。

 

――でも、なぜ実家はほっとするのだろう?

――当たり前。古巣に戻ったのだから。

――それもそうか。

心の中で、自問自答してみたりして。

 

 

その時。不思議なことに。

 

わたしは、家の中に。

「母」を、感じた。

 

いつも彼女がくつろいでいる部屋に、いたからかもしれない。

 

空気に、母の――愛情なのだろうか?――が、残っていた。

まるで香水の、残り香ののように。

 

この思いはいつのだろうか?

今? 昔?

もしかしたらずっと、何十年分のもの?

 

ああ、そうかもしれない、と思った。

 

家族がどんな状態であっても。

母は、愛を投げかけていたのだろう。

自分もまた、喜びながら、おろおろしながら、いきどおりながら。

それでも、常に。

 

 

気のせいかもしれない。

だけど、信じてみたい。

 

思いは、その場所にとどまるのだ。

その人が、いない時も。

 

 

あたたかい、でもゆるがない。

実家には、「母の思い」が浸みこんでいた。

壁に、畳に、廊下に。

 

それは静かに、見えない光を、はなっていた。

 

 

(2019-02-20)

 

 

 

祈りは、力になる。

 

「こうありたい」と願う気持ちが、方向を決める。

 

ただし、すぐ結果に現われるわけではないので、毎日毎日願いつづけなければならない。

 

毎日天の扉をたたきつづけること。

 

ノックは1回だけでは気づかないでしょう? 何回かコツコツされると、「誰か来てる」と分かる。

 

祈りも同じです。

 

 

(2018/04/09)

 

 

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※ 補足

 

この「祈り、扉をたたき続けること」は、

「祈願」としての祈り“ではなく”、

「なりたい姿」「やりたい事」を“どれだけ思い、実践しているか”、

ということのようです。

 

「祈願」は、1回でよい。

神様は1回で、しっかり聞いていらっしゃる(叶えるか否かは天のほうで決める)。

それをしつこく続けるのは、「執着」になる。

 

それよりも。

勉強とか、練習とか、仕事とか、そういうことをブレないで、毎日しっかり続けること。

 

目標をしっかり見据えて。

気持ちが萎えてきたら、しゃんと頭を上げて、やる気を新たにすること。

 

思い(想い)と、実践。

 

それが、「ノックを続ける」の言わんとすることのようです。

1/22の記事『肩たたき』の中で、母の贈り物合戦(?)のことを書いたけれど。
やっぱり来た……(^-^;
 
   *  *  *
 
近所の人から、野菜をたくさん頂いた。

「もらってくれる?」
「頂くわ」

実家におすそ分けをしたら。

数日後。

 
「はいこれ」

母から“たねや”のお菓子をもらった。

やっぱり等倍返し……
(というか私はコスト0なので、持ち出しでは)

 

お返しとして後日、これまた頂き物の大根を1本手渡しした(1/10返し)
 

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たねやのお菓子はこちら



「圧倒的な愛の善念」 という言葉が浮かんだ。


自分を傷つけた人に対しても、それを流すべきだと。


 たぶん、他者を愛する(=許す)ことで、自分をも許されるのだろう。

 

 

(2018/04/01)

 



ロウバイが見頃です。

このあたりだと、松田町の寄(やどりき)というところが、観光名所とのこと。

「どう?」
「いいわね」
「いいよ」

実家の両親にも声をかけ、いっしょに車で行くことにしました。
 後部座席には、座る父が寒くないよう、膝掛けやカイロを用意をして。マスクも人数分を。
OK、レッツゴー。

会場に到着してから気が付きました。
あ、自分のコートがない。忘れてきた~!(笑)

急きょ、膝掛けをブランケット代わりに(というか、もともとブランケット)。
昼間は天気もよく、日差しが暖かかったので、助かりました。

会場は丘の斜面に。

遊歩道は上り坂。
父はゆっくり歩きます。

母は健脚ですが、父からつかず離れずにいます。

「ここがよく咲いてるわよ」
「本当だ」

花つきの良い枝を示したり、記念写真を撮ったり(バッグからiPadを取り出したのには驚きました)。

ロウバイの花びらは、太陽にかざすと少しだけ透きとおります。
まるで光の粒のような、花とつぼみ。

「いい匂い」

甘く、清涼感のある空気が、流れていきます。

途中にあるベンチで一休み。母が持ってきたお菓子をいただきます。
まわりのベンチでも、お弁当を広げたり、おにぎりを頬張っている人たちが。みんな楽しそうです。

上のほうは3分咲き。
展望台のほうはまた日当たりがよく、満開の並木がずっと続いていました。そこに向かう人たちの姿もちらほら。

見たい気もありましたが、無理をしないことにしました。
早咲き桜がつぼみを2、3ほころばせているのに春を感じながら、戻ります。

「坂が急だから気をつけて」
「うん」
「手すりがあるわよ」
「うん」

ロウバイのイルミネーションを両脇に。
肩を並べてゆっくりと歩いてゆく、両親の後ろ姿。

小さくなった背中に、しみじみと思いました。

どうか今日の日が、やさしい思い出となりますように。

たくさんの花と甘い香りが、2人の心の中のアルバムに、いつまでも残りますように──。

 

 

 

 

天国・地獄は、あの世にあるのではない。 

 

この世に、すでに存在しているのだ。 心の中に。 

私たちはすでに日々、天国・地獄の中にいる。

 

生涯をとおして歩いてきた道を、私たちは、あの世でも歩いていく。

 

それは同じ道なのだ。

少し急勾配になるかもしれないが、それまで歩いた道の、延長にしかすぎない。

 

 

(2018/3/20)

 

(写真:フリー素材ぱくたそ)



 

この世界は

神様のカケラで できている。
 
私たちはそれをひとつ
ひとつ
ていねいに拾い 集め
 
うちゅうの 壺が どんな姿か
手のひらだけで 想像している。
 
カケラが ぴたりと合わさると
金の粉が はたかれたる。
ほら ここに
 
でもうちゅうは どんどん大きくなっているから
たぶん永遠に 完成しない。
 
それでも
 
カケラを 探そう
 
探して
見つけて
拾って
 
つないで
 
ほら あそこにも
 
ほら
 
 
 
(2019/01/19~1/25)
 
(写真は フリー素材ぱくたそ より)

 
 

母はなんでも出来る人で、家事も仕事も子供たちの勉強も楽々とこなす、良妻賢母だった。

 

頂き物があると必ず、半返しどころか同等返し(?)をする。延々とものがとび交うこともしばしばだった。

 

完璧な母と対照的に、父も兄も私もやる気になるまで先延ばしする性格だった。

「ちゃんとやりなさい」、よく叱られたものだ。

 

そんな母に肩たたきをお願いされるのは、ちょっぴり嬉しいことだった。

なにもできない自分でも、大人の母に何かしてあげられる。むずがゆくも、誇らしかった。

 

頼まれてとんとん叩くと、首を前に倒して母は「あ、そこそこ」などと気持ちよさそうにする。

 

「こんな感じ?」とたずねると、

「うん、ちょうどいい」と答えが返ってきた。

 

まんざらでもなくて、強弱をつけてみたり、手首にスナップをきかせたり、腰まで広範囲にしたり、子供の頭なりにいろいろ考えてやったものだ。


……いつから肩たたきをやらなくなったのだろう。

私が大きくなって反抗期に入った頃からだろうか。

たたくこぶしに、母はいたわりとは違うものを感じたのか。

お互い頼みにくい、素直にしてあげられない時代があったのだろう。

 

次第に口をきく回数も少なくなり、高校、大学と卒業した私は、たよりない足取りで社会に飛びこんでいった。

 

残業や飲み会で、帰宅が夜中を過ぎることも多くなり、家で母と顔を合わせることは少なくなった。

私たちは、たまの旅行先でお風呂に入ったときに相手の背中を流すしか、触れ合うことはなくなった。

 

そうして私は家を出、新しい家庭をもった。

 

──今、私は、あの頃の母の年齢をだいぶ越えた。

母とはスープの冷めない距離で、助けたり助けられたりをしている。相変わらず母はしっかり者で、助けられることのほうが多い。

 

仕事は手書きからパソコンに変わった。覚えたことは数年で古くなる現代。

年下の上司に頭を下げるのにも慣れた。

肩はいつも凝っている。

 

ふと、鏡に映った自分を見る。母に似た顔が、少しくたびれた表情で、こちらを見返していた。

 

いつの時代でも。

大人は、肩を怒らせて生きている。社会で戦っている。

家でそれをいやすのだ。誰かにごくろうさまと、とんとんと優しくたたいてもらって。

 

そうだ……。

あの頃を振り返る。

 

母は楽々とこなしていたのでは、ない。

戦っていたのだ。

外で、家で。

 

気丈に頭を上げて。

きっと、今も。

 

おいしいと評判のケーキ屋で、ケーキを買っていこう、と思った。

たぶん母は歓迎してお茶を入れてくれるだろう。

そしてたぶんにこにこしながら、

「ちょうど取り寄せたばかりなの。おすそ分けよ」

と、ケーキがかすむ位のお菓子セットを、私に持たせるに違いない。

 

 

(2009/2/9~2019/1/22~23)

 
 
寒い 冬の さなかにも
春の準備は 始まっています
 
ここがいいかな
あそこが空いてるよ
腕をのばして
 
冬来たりなば 春遠からじ