最近、栗栖氏が水彩画を始めました。教室に通うわけではなく、独学でやるようです。仕事の帰りに本屋に寄っては『水彩画の描き方』みたいな本を買ってきたり、画材屋へ行って絵の具や筆を買いそろえたりしています。
新しいものを手に入れると、テストだと言って夜中まで描きます。で、翌朝寝坊して会社まで走っていきます。
でも、とても楽しそうです。

私もやってみたくなりまして。実家にしまってあった水彩色鉛筆なぞを、引っ張り出してきました。

おかげでここ1週間ほど、毎晩――休日は1日中――2人で机をかこんで、黙々と絵を描いています。
楽しいです (笑)。


今日、本屋に行ったら、驚きました。絵のコーナーが充実しているのです。昔は『油絵の描き方』『水彩画の描き方』『デッサン』くらいしかなかったと思いますが、今や『カラーペン』『絵手紙』など、絵の種類が増えていました。
数年前流行った『大人の塗り絵』も、シリーズ化されていました。

絵を描く人口が増えているのでしょうね。タイトルを読んでいると、色々やってみたくなってきて、ワクワクしました。

ところで、もっと驚いたのは、マンガのハウツー本。それこそ棚2つ分くらいぎっしり並んでいました。
昔はこのジャンルこそ、テキストもなく手探りで描いていったものだと記憶しているのですが。『人物のポーズ集』『コマ割りの方法』『建物のパース』など、すごい充実ぶりでした。
同人誌人口が増えているのでしょうね。『『萌えキャラの作り方』まであったのには思わずうなりました……。


今日は本屋と、あと画材屋をいくつか回りました。
栗栖氏はウィンザー&ニュートンの基本色がついにそろったと喜んでいました。
私はファーバー・カステルの水彩色鉛筆の120色が気になっています。欲しいな~~~。


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写真は、何年ぶりかで描いた絵。PilotのHi-Tech Cは水性だったんですね。にじむのをすっかり忘れていました。栗皮色って、輪郭線にぴったりだと思ったんだけどな~。残念。

うちの会社は、経費節減のため、冷房は厳禁。
――の、はずでした。

それが、気がつくとあちらの部署が冷え、こちらのフロアも涼しく、となって来、なしくずしにあちこちで冷房を入れるようになっていました。
ここ数日では、もう冷房をつけずに汗をかきかきいるのは「冷房はイカン」と決めた部署と、うちのフロアだけになってしまいました。

ついに今日、暑さに耐えかねた他部署のオジサマが、それでも自分がスイッチを入れる勇気はないようで、ベテランさんに「このフロア、暑いよね。仕事に影響が出ない? ねえ」とあからさまにねだってきました。
ベテランさんは、
「冷房はいけないんじゃないの」
とぶつぶつ言いながらも、首に当てていたアイスノンを置いて、席を立ちました。

設置されている冷房は、いつからあるのか、誰も知りません。会社が設立された時からあるらしい、という噂を聞いたことがあります。とすると30年か、それ以上前のもの? きゃー。

幅は両手を広げたくらい、高さは天井に届くほど、厚みは小さな机1個分。コンパクト化が進む前のエアコンはこんなに大きかったのかと、家電製品の歴史(のスタート地点)を感じます。

元はクリーム色だったらしい塗装は、いわく言いがたいラクダ色になっています。白かったスイッチも、今は日がたちすぎた豆腐のようで、いかにも古びています。

ベテランさんが、冷房のスイッチを入れました。

ゴガガガ、ゴガガガ。
なにかが中でひっかかる音がして、最初はすぐスイッチを切りました。
フロアに緊張が走ります。
壊れたのかな。でも壊れても、予算がないから買い替えられません。そうしたらこの夏はどうしよう。

少し機械を休ませて。
もう一度、スイッチオン。

入れたとたん、フロアの反対まで舞い届くほこり。
ゴウンゴウンと響き渡る轟音は、まるで電車の中にいるかのようで、うるさくて電話の声が聞き取れません。

加えて、強烈な寒さ。しかも局地的な。
機械が古いため、冷気をまんべんなく各方向に送る、という芸当ができません。ただ前方のみにひたすら冷たい風を送り続けます。
おかげで冷房の真ん前にいる15人ほどは、氷のような強風にさらされてガタガタ震え、その他大勢は生ぬるい風をうけて、涼しいとも暑いともつかない状態になっています。

それでも、頭がボーッとするようなさっきよりはずっと快適になったと、フロアの人達は喜んで襟元に風を入れ込んでいました。

私の席は冷風の直撃コースにあります。スイッチが入ったと同時に、私は防寒対策をとりました。
会社の上着(長袖)を着込み、しまってあったフリースのひざ掛けにくるまります。ああこれで暖かくなった。
冬も防寒ですが、夏も防寒なんですね……。

しばらくその態勢で仕事をしていましたが、冷気が布ごしにしんしんと伝わってきたので、ちょっと外に避難することにしました。

フロアのドアを開けて、廊下に出ると、かけていた眼鏡のガラスがあっという間に曇りました。み、見えない……。
冬だったら分かりますけども。一体どれだけの温度差なのでしょうか。

もし携帯電話を持ってフロアを出入りしたら、内部で結露してしまうのでしょうか。そうしたら、夏が終わる前に水没状態になって、故障してしまうかもしれない。店になんて言って修理に持っていこうか……なんて、余計な想像をして勝手に困ってみたりもして。

そんなこんなの冷房です。明日もきっと私の席は南極になるのでしょう。
クリーニングから戻ってきたばかりのマフラーを、もう出したくなってきました……。

梅雨明けなどまだ遠い先の、この町に。
一瞬の青空をぬって、その蝉は来た。

夏を、呼ぶために。
期限は、7日。


蝉は鳴く。夏よ来い、夏よ来い、と。長い直線をひくように。
疲れて羽が止まっても、すぐまた震わせ、鳴き始める。
その、ひたむきさ。

私は彼に問いかける。
なぜそんなに早く生まれて来る?
 明日にはまた冷たい雨の日々に戻ってしまうというのに。
なぜそんなに心がきしるような音をたてて鳴く?
 ひとりだけでは、誰の耳にも届かないだろうに。
せっかくの短い命。もっと生きやすい時期を選んでもよかったのに。
 なのになぜ。

答えず、蝉はただ、鳴きつづける。
夏よ、来い。
夏よ、来い。
夏よ、来い。

下界の騒音にかき消されそうになりながら、細々と夏を歌う、その声に――
私は、夢想する。

7日間夏を呼び、ついにその蝉が死んだら。
きっと次の蝉が出て来、また7日間夏を呼ぶ。
その蝉が死んだら、別の蝉たちが現れ、また夏を呼ぶ。
命の、声のリレー。

共に歌い続ける彼らの声は、やがて雨雲を裂くだろう。いつか真夏の太陽の下で、それは幸せな合唱となることだろう。
人々は、青い空を見上げ、夏が来たと言うが、それが蝉たちの仕業だとは誰も知らない……


私は、姿の見えない蝉をふりあおいだ。
――木々の枝が、強い風にあおられている。
声はしかし、止む気配はなかった。

駅近くの小さなメイン会場は、出し物の準備をしていました。向かいの並べられた50脚あるかないかのパイプ椅子は、それを待つ観客でほぼ埋まっていました。

近くのお好み焼き屋の屋台には、「行列のできる」と書いてあり、見ると本当に行列ができていました。どちらが卵でどちらが鶏なのでしょう? そう書かれているからつい並んでみたくなるのか、並ぶ人が後をたたないから書かれるようになったのか。まあ、お好み焼きやたこ焼きは作るのに時間がかかるので、行列はでき易いとは思いますが。
売られている物をのぞいてみると、小食の人なら尻込みしてしまいそうな厚みと、ペーコンとコーン入りという珍しさ。あらおいしそう。私も列に加わることにしました。

いきなり腹に響くドン、という音がしました。そばのメイン会場で、出し物の太鼓の演奏が始まったのでした。音の大きさにとびあがった屋台の人は「びっくりした」と顔を見合わせて笑い、つられて私たちも笑いました。

太鼓のバチさばきを見、商品を受け取り、代金を払い。そうこうしている間に、雨がぽつりぽつりと落ち始めてきました。

七夕祭りというと、いつも雨がふる気がします。天の川が増水しているのでしょうか。もしかして織姫と彦星は会うことができない……?

いやいや、きっと別の言い伝えがある、と私は想像します。
これは、天の川の水を一時的にせき止めたために、あふれた水が地上にこぼれ落ちてきただけのことであるのだ。
織姫と彦星は浅くなった川を渡って、今年も会うことができた。雨はまた、二人のうれし涙でもある――

雨粒が大きくなってきました。空の上で、恋人たちは肩を抱き合いながら、1年分の積もる話をしているのでしょうか……

駅に着くと、人はさらにごった返して、年齢も少し上がっていました。仕事を終えた社会人は、これから七夕祭りにくり出すのでしょう。携帯電話で落ち合い場所の確認をしている姿や、久しぶりに再会したらしく笑顔で両手を振っている姿があちこちで見られました。
駅員さんは拡声器片手に、交通整理で大忙し。天井に下げられたたくさんのガラスの風鈴が、それをあおるように忙しく音をたてています。
私は濁流のような人々をくぐりぬけ、電車に乗りこみました。

車内は、祭りの余韻をただよわせた乗客で、なんとなくうきうきした空気でした。
これから飲みに行く場所を選んでいるオバサマ4人組(「ビールが350円なの」「あらいいわね、そこ」)のおしゃべりを聞くとはなしに聞きながら、私はなぜか顔に微笑が広がっていくのを感じました。今日みたいな日は、楽しさや笑顔が伝染するようです。

帰ったらすぐにご飯にしよう、と思いました。ニラぎょうざとお好み焼きと、あと昨日のおかずの残りがあるから、それで。
栗栖氏に、お祭りで今日はすごい人だったという話をしよう。不況ではあるけれど、お飾りは去年と同じくらいきれいだったことも話そう。

彦星は我が家にもいます。川はもうありません。

七夕祭りです。この時期は、メインストリートから遠くはずれた場所でも屋台が並んだり、民家の軒先にテーブルが出て即席の売店が出来たりします。
仕事の帰り道、それらをひやかしながら歩いていくのはとても楽しいものです。

昨日見ていた丸いニラぎょうざ、やっぱり今日も気になったので近づいたら、おじさんが久しぶりに客が来たぞとあれこれ試食させてくれ、結局全種類いただいてしまいました(笑)。
普段スーパーやデパートで、店員さんとは極力顔を合わせないようにしている私ですが、お祭りの雰囲気でしょうか、ついつい初めての人でもオープンに話をしてしまいます。
おじさんはぎょうざに相性のよい調味料とか、スープの隠し味についても教えてくれ、とてもタメになりました。当初の予定通りにニラぎょうざ、それと追加して鳥ダンゴを買ったら、ちょっぴりおまけしてくれました。ありがとう、おじさん。

朝の光では原色で安っぽかったお飾りも、夕闇が濃くなってきた今はちょうどいい色合いです。街灯にぼんやり照らされながら、湿気をふくんだ風にあおられてパタパタ音をたてています。

メイン会場は駅のほう。そちらからやって来る人達は、いつものモノトーン気味な仕事着やラフな買い物姿ではありません。紺やピンクに大胆な花柄をあしらったゆかた姿の女の子たち。ちょっとワイルドに着こなして、ゲタをカラコロ鳴らしている男の子もいます。

高校の仲良しグループらしい女の子たち。大きなぬいぐるみを抱えたり、何かの食べ物の袋を下げたり。きっとこれから誰かの家にあがって、皆で分け合うのでしょう。
カップルもいます。彼女は普段とは違う姿でアピール? 成功しているようで、彼氏はしっかり彼女の手を握っています。
子供が、大はしゃぎして走り回っています。車もたまに通る道なので、親は喜ぶ子供にほほえみつつ、ちょっと警戒しながら後を歩いています。
仕事帰りらしい人は、特になにを持っているわけでもありません。ですが、どこか笑みをたたえているような雰囲気です。

お飾りに縁取られた道路を、色とりどりの格好でゆっくり歩いてくる人達は、とても満ち足りた表情です。それは普段は見たことのない光景で、なんだかこの人達はどこか素敵な異世界を旅行してきて、この世に戻ってきたばかりなのだ、と思えてなりませんでした。

家を出るとき霧雨だった空は、そのまま雨にはならずに、駅に着いた時も細かい粒をまき散らし続けていました。

電車の中は暖かい湿気に満ちていました。私は結局使わずにすんだ折りたたみ傘をバッグにしまいました。
窓の外は、霧がかかっていました。遠くの建物は上がかすみ、もっと遠くの山々は白くぶ厚い壁の向こうに隠れています。

いつも見ていた伸びていく高速道路も、隣町の民家の屋根の海も、今日はありません。
不思議なかんじです。なんだかこの町が霧で遮断され、ぽつりと孤立して途方にくれているみたいでした。

もしかしたら、もう向こうは別世界になっているのかもしれません。
電車の音につられて、今にもどこかからユニコーンの群れが轟きをあげて走ってきそうです。空をちらりとかすめたのは、天を泳ぐ竜でしょうか。道行く人は、ひょいと手の傘にまたがって、飛び立ちそうな気配です。
電車は霧の中をひた走り、知らない土地へと私達を運んでいくようです……


もちろんそんなことはなく。
電車はしだいに速度を落とし、いつもの駅に到着しました。いち早く乗りこもうとするホームの客をかき分けて降り、他の皆とどやどやと階段を上っているうちに、ファンタジーは背後へ遠ざかっていきました。

電車がホームを出ていきました。
上からそれを見送りながら、ふと思いました。あの電車は、ちゃんと次の駅に着くのだろうか。それとも、私達が行くはずだったどこか知らない所へ、今度こそ向かうのだろうか――

フレッシュネス・バーガーでランチをしていて。

コーヒーを飲んでいた栗栖氏が、ふうむ、と手元をしみじみながめ始めました。
「どうしたの?」
「言葉が書いてある」
「言葉?」

手渡されたのは、彼がコーヒーをかき回していたときの、木のマドラー。

パンフレットによると、フォーチュン・クッキーならぬ、フォーチュン・マドラーだそうです。
1本1本に、
“Do it now. Not tomorrow”(今やって、明日じゃなく)
“Extra ketchup makes you happier”(ケチャップを足せば、もっと幸せ)
などの言葉が印字されているとのこと。

遊び心がありますね。こういうの、大好きです。

私達のはなんでしょう。読んでみました。

……あらまあ。

同じ言葉は、ドリンクを注文した何百人もが目にしているでしょうし。
どう受け止めるかは、たぶんその人次第だけれど。

――“Start writing a novel”
 

3月下旬にまいたグリーンピース。
1つのさやから出たのは8粒の豆。それが芽をだし、1本だけは枯れましたが、残りの7本は元気に伸びてくれました。

始めた時期が遅かったからか、他のところで見る苗より高さが半分くらいしかなく、私をくやしがらせましたが、低いなりにちゃんと葉をつけ、つるを伸ばし、花を咲かせてくれました。
その成長には驚くばかりで、土に植えてから1ヶ月半には花をつけているのですから、まさにあれよあれよというかんじでした。私と栗栖氏は、目を細くして見守るというよりは、目を丸くして見つめていました。

花が落ちてからがまた早かった。小さかったさやが、中の実の形がわかるくらいふくらむのに1週間もかかりませんでした。
「3日で普通のさやの大きさになるんだよ」
毎日観察していた栗栖氏は、感心したように報告してくれました。

心配だったのは虫でした。アブラムシはつかなかったのですが、エカキムシ(ハモグリバエ)というのが葉の中に住みつき、白い線をうねうねと作ってくれました。おかげで最後のほうは葉はぜんぶ枯れ、茎とさやだけが緑を残していました。

「早く取らないと、実まで食べられてしまう」
あせった栗栖氏の号令のもと、平日の仕事帰りの夜、はさみを手に2人で収穫しました。さやを開けてみると、2粒ほど青虫にかじられていました。危ないところでした。


収穫は約30粒。
器に入れると少なくも感じましたが、7粒から、たった2ヶ月でこれだけ増えたことを考えると、感慨深いものがありました。最初は捨てるつもりだったグリーンピース。その豆から、芽が出てき、また新たな豆をもうけて。1粒の麦もし死なずんば……という言葉を思い出しました。

なんの料理にしようかと迷いましたが、量もあまりないことですし、スープの中に入れることにしました。
小さな豆からは、あおあおとした緑の味がしました。あびた陽光と、まいた水と、作った土の時間の味がしました。

でも、たしかに事件はあったのだ。
未然に防がれた事故が。

今まで考えたこともなかったけれど。
そういうものは、一体この世の中に、いくつあるのだろう――?


事故が大事になったとき。
それは大勢の目撃するところとなり、ニュースになる。もしそれを助けたら、その人は普通では出来ないことをしたと“時の人”となり、“ヒーロー”になる。感謝状も出るかもしれない。

事故が一瞬で解決したら。
人の目に止まらず、ニュースにもならない。よくある小さな事故だし、助けるのなんて、少し頑張れば誰でもできるレベル。まあ無事でよかったねと、すぐに忘れられてしまう。
いわば、ニュースで“ヒーロー”になる以前の、“プレ・ヒーロー”とでも言ったらいいか。

でも、小さな事故は私たちのそこここに散らばっていて。
世の中には、そんなプレ・ヒーローがたくさんいる。
きっといる。


名もなき人の、駆けよった足を、助け上げた手を、私は覚えている。
そして再び他人にもどって、雑踏にまぎれていったプレ・ヒーロー達の後ろ姿に、ありがとう――と、言いたい。

あの青年にとって、あなた方はまぎれもなく“ヒーロー”なのだ。
私にとっても。