父がいなくなるまで③ | こぜさんな日記

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日々の徒然。
細く長く続けたい雑記。

生きている父に最後に会ったのは先月中頃。

最後の退院をするからと、母から言われて前日の夜に一人で実家に向かいました。


まさおと娘はその翌日。

兄も翌日に来るとのこと。

しかし母が一人で退院させるのは難しそうだったので、仕事終わりにそのまま新幹線に乗りました。

母と介護ベッドをセットし、車イスも用意。

父の状態は悪いと聞いていましたが、退院当日の朝に病院で父を見たとき、本当に退院できるの?ガーンと思いました。

一人で歩くのはほぼ無理。

その父を自家用車に乗せて、玄関まで階段がある自宅に運び入れる…。

しかも高齢の母とアラフォー、小柄な私の二人でショボーン

不安しかありませんが、やるしかない。

はなから介護タクシーを使うべきだったかも知れません。


病院から自家用車に乗せるのは、看護師さんが手伝ってくれたので、なんとかいけました。

痛みのせいで不機嫌MAXの父。

母にも当たり散らしてました。

10時頃、病院に着いたけど、なかなか動けない父を車に乗せる頃には昼過ぎになってました。


家まで一時間半。途中でマクドナルドⓂ️🍔🍟を通りました。

朝マックが食べたいと前から言っていた父。

面会時間が午後なので、食べさせてあげることができませんでした。

この日も朝マックが食べたいから買ってきて❗としんどそうにしながら言ってきました。

もうお昼過ぎだから、売ってないよ❗と言ったけど、不機嫌MAXで聞いてきてと言う父。

仕方ないので、マックに入って聞いてきたふりをして、出てきました。

それでなんとかあきらめていたけど、最後に食べさせてあげればよかった。

行き道で買えばよかったです。

不安でいっぱいで、そこまで気が回りませんでした。


なんとか一時間半、痛みに耐えた父。

最難関は玄関までの階段でした…。

分かっていたから、兄にもう少し早くきてもらおうって言ったのに、母と兄の折り合いが悪かったり、兄自身があまり思いやりのあるタイプではなくて断念。

この時の父の状態を把握していれば、絶対に事前になんらかの手を打ってたけど。

階段を前に、父は動けず地べたに座り込んだりして、本当に大変だった。

母と二人で肩を貸してなんとかベッドまでたどり着きました。


それから訪問看護や訪問介護の方々が来てくれました。

病院でも感じましたが、医療に携わっている方々には本当に感謝です。

看護師さんも色々相談に乗って頂いたし、訪問看護のセンターの社長さんも来ていただきましたが、24時間いつでも連絡を下さいと言って頂き、心強かったです。

父の様子を見て、家で亡くなってしまうのでは…と思うほどの状態だったので。

退院した時点で、父は尿がほとんど出ていない状態でした。

今思えば、いつ亡くなってもおかしくないけど、主治医はそれを承知で家に一度帰りたいと言う父の願いを聞いてくれたのだと思います。

数日、数週間命を縮めたとしても、父の願いが叶ってよかったと思う。

尿が出ていないせいなのか、足はパンパンで体液が出てきていました。

ベッドが汚れないように、足に介護用のシートを巻くことをアドバイスして頂いたり、二日間の退院中に気を付けることを看護師さんに聞いたりしました。


そうこうしているうちに、兄家族も着きました。

兄も前に会った時から、急激に悪化した父を見てショックを受けたようでした。

甥っ子も奥さんも涙目になっていました。

皆、覚悟はしていたのだけど、現実を突きつけられると受け止めきれませんでした。