たまたまググってみた自動思考の説明が、
認知行動療法という観点からの説明となっていて、それは何か認知した時の瞬間に現れる思考のことだという説明になっていたのですが、
その説明だと意識が何かを認知しないかぎり、自動思考は起こらないという感じで、とても静的なものに聞こえてしまうのですが、
ちょっとだけ違和感を感じて、改めて自動思考について考えてみました。
僕自身が思い込んでいる自動思考は、頭の中のおしゃべりそのもので、
または無意識に、無秩序に、特に何かを認知していなくても勝手にその自動思考は沸き起こり、
そして脈絡もなく展開される情景も含めての自動思考で、
それはとても連続的で、動的なものなのです。
と書いていて、ひょっとしたら認知というもの自体が無意識的に行われているということが前提なら、一番最初に書いた違和感は払拭されようにも思ったりもするのです。
であれば、自動認知という言葉もあってもいいのではないか、、
その認知というものに必ず連動して思考が生まれるのならば、自動認知は自動思考と同じことなのか、、
という軽い自動思考が生まれるのです。
ここの合気道をお伝えしていくなかで、さまざまな方がいらっしゃって、
それぞれの方の反応、反射を見ていてよくわかることがあります。
それはその人たちはそれぞれの自動思考が沸き起こっていて、それによってその人の思考、感情、行動、などが左右されているということは間違い無いのですが、
私自身も含めて、そうなっている自分というものに無意識的でいる人がほとんどで、ぼんやりと、でも確実に自分の中の違和感を感じながら日々生活をしていると言った感じなのです。
そもそもがそんなシステムが存在していること自体知らないし、
知ったとしても、どうすれば良いのかわからないのです。
多少の違和感があっても鈍感でいれば、別にそのままでもいいようにも思えるのですが、
ところが中には、その違和感にとても敏感な人がいて、体調が悪くなるような人、心が不安定になるような人も少なからずいるようで、
人生をネガティブな方向に自分自身で判断し、行動まで取り始めるといった人もいるのです。
では、そういうさまざまな人たちが、鈍感であれ、繊細であれ、一体どうすればその自動思考の影響をあまり受けないで、生活ができるのかという問いが、知れば知るほど沸き起こるのです。
それはシンプルに答えるとすると、それは瞑想する、、ということなのです。
そういうことを自覚し俯瞰して、そういうシステムに影響をされないようにするために、多くの人は瞑想をするのだと思うのです。
そこで、ここの合気道で常に言葉にしている中心帰納とどう繋がるのか、、
ここのブログを継続的に読んでいただいている方は薄々わかってらっしゃると思うのですが、
武道や格闘技というものは、その直接的にも間接的にも恐怖や不安に根差した思考、感情、行動が起こり錯綜する最たるもので、
つまりそれは最もネガティブな自動思考が起こる環境なのだということです。
そういう条件で有効に働く"中心帰納"が先程の瞑想と同質のものでないわけがなく、
その中心帰納という、意図的に瞬間的に瞑想状態になれるノウハウをここではお伝えしているのです。
下記紹介するブログを書いてらっしゃる方は、先程書いた自分の自動思考というシステムの存在を知り、自覚もしつつ、ネガティブな思考、感情をコントロールするのに苦労されていたようです。
そして中心帰納に出会われた、、、
そういう内容の記事となっているのです。
頭の中で常に誰かがおしゃべりをしているという現象に敏感な方は、一度読まれてはいかがでしょうか、、。
百聞は一見にしかず。
中心帰納、悪くないと思います。
\(^o^)/