夜の神保町から飯田橋へ | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

神保町から飯田橋への道のりの間に水道橋があります。


その夜は久々に懐かしくその3駅を通っての徒歩となりました。


いま思うと、私の20代から30代前半まではその界隈の中で展開されてました。


なぜならアルバイトも大学もそのエリアにあったからです。


大学を卒業しても、ウダウダとそのエリアにお世話になってました。


就職した時も得意先の幾つかがこのエリアにあったりもしました。


ある意味良い時代だったのです。


バブルが弾けたといっても、次にはITバブルがあったからです。


重厚長大な企業になんかには入りたいと思わなかった、、、というより、はなから入ることなどかなわなかったのですが。


だからというわけではないのですが、当時どうなるかもわからなかったPC周辺機器・ソフトの流通業界に就職したのです。


今では知らない人はいないソフトバンクの競合会社だったのです。


競合会社の立場にいたので改めてソフトバンクの躍進には驚かされます。


なぜなら当時百億単位の売り上げでたまに噂でアブナイ会社と言われていた存在から、何兆円もの規模になるなんて全く想像などできようもなかったのです。


かたや自分の勤めていた会社は諸々あって倒産してしまいました。


決してそんなに悪い会社ではなかったのです。


可能性はソフトバンクと変わらないくらいあったと思います。


でも、この天と地の差はなんなのだろうか、、とたまに考えます。


言うまでもなく、違いは経営陣の考え方とそれに伴う行動の差が出たのです。


つまりはやはり孫正義さんはすごいということなのでしょう、、


考え方とそれに伴う行動、、、


組織という生き物を最適な状態に導く哲学と行動に踏み切る判断のコツがあるのだと思います。


40年前のそのエリアの風景と現在の風景の違いはまさに立ち並ぶ店などの違いが作り出しています。


後楽園スタジアムから東京ドームに、旭屋書店は洋服のアオヤマに、何店かあった天ぷらイモヤもなくなり、半ちゃんラーメンのさぶちゃんもなくなり、三省堂書店もビルの建て直しが始まり、最近では芳賀書店もなくなった。


今までの数十年のこのエリアの変化は切ない感情を沸き起こさせるのです。


その"切ない"という感情は以前の状態から変化する時に自分の中の変化したくないという保守的な思考や感情と、でも否が応でも変化していく現実を受け入れるプロセスの中で起こるのです。


変化という事象は紛れもなく全てに対して起こるもので、


良い状況でも、悪い状況でも、そんなことはおかまえなく起こるのです。


そして、成田伝合気道の極意はその変化に対する認識の仕方のことなのです。


その変化にどう対応しいくか、、


失敗しようが成功しようが外側での対処である限り必ず崩れが生じるのです。


その時すべきことは、静寂なる中心に戻り、そこから観ることなのです。


また、その中心は必ずしも自分のど真ん中にあるとは限らないのです。


成田先生が平井稔先生からの言葉のメモの中に次のような教えがありました。


絶望など笑止であると、放っておいてもどんどん周りが変化して状況は変わっていくものだ、、



というような内容なものでした。



気持ちだけは若くても必ず老化は加速して、最後には死に至る、、周りもそうだし自分も例外ではない、


どれだけアンチエイジングの技術が進んでも必ず受け入れなくてはいけない事柄、


つまりは生物のベースとなる姿勢は、傲慢さでも、卑屈さでもなく、依存することでもない、静寂の中で全てを受け入れることなのだということです。


そういうことを理解しつつ、全ての変化を切なく、愛おしく、静寂の中で観ていきたいと思います。


修行は続く。


\(^o^)/