見回すと老人ばかり、多病息災 | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

ふと気がつくと、周りは自分も含めほぼ老人ばかりです。


なのでもう、無病息災なんて理想は捨てて、


多病を受け入れて息災に、そこでバランスをとりながら生きていく方がしっくりくるのです。


どうしようもならないことを、なんとか克服することは、多大なる利益も生みますが、必ずなんらかの反作用が生まれます。


多くを求めれば、失われることも少なからず出てくるのです。


歳を重ねるほどそういうことが自然とわかってきて、そういう考え方が、ここの合気道との教えととても相性が良いというを実感するのです。


そういう中で、たまに若い方が、ここに来られると、とても新鮮だったりするのです。


ただ、そうして若い方とやってみて、さらにわかることがあるのです。


それは年齢とは関係ないもの、、

確かに若い人のエネルギーがあるがゆえの未熟さと、長年生きてきたからこその熟練度の違いはあるのですが、それ以上にその人の考え方がその人の動きなどの身体性に現れるのです。


誰にでも感じられることなのですが、意識をエネルギーという言葉に変えて表現すると、本当に人によってそのエネルギーの在り方が違うのです。


何かに集中している人、放散している人、外側の割合が多い人、内側の割合が多い人、エキサイト質が多い人、冷静さの質の割合が多い人、そういう違い、、様々です。


中心帰納という切り口で内観していくと、そういうことがとても感じられるのです。


外側の宇宙を探究する科学者の導き出す解釈と、瞑想の内観によって悟ったブッダのような覚者の教えが一致することの意味、


若さと老い、強さと弱さ、美しさと醜さ、大きいと小さい、幸せと不幸、部分と全体、憎しみと慈しみ、瞬間と永遠、、、


それらは実は全て相対的で、それぞれ思い込みだということも実感するのです。


だから、病気と健康も同様のことで、


多病息災という考え方は成り立つのです。


見回すと老人ばかりというのも単なる僕の主観なのです。



世界で禁止になっているトランス脂肪酸の素材がいまだに日本ではパンやお菓子にガッツリ入っているは、様々な社会システム的な力学が働いているからだろうとは思うのですが、


その場合、無知な状況で口に入れるのではなく、

それを分かった上で、それをもう食べないとか、少しは食べるとか、気にせず食べるとかの選択的生き方を理解してするべきなのです。


それは何故なのかと言いますと、健康を第一に考える人は食べないという選択の一択でしょうが、

安くて美味いを享受したいという価値観の人も必ずいるのです。


違う話で言いますと、

最近流行ってきているひとりキャンプをすることで自然を楽しむ人が増えてきてますが、

何を持って自然で、何を持って人口なのかという、自然と人口、という先ほどの考え方でいくと、便利なグッズを身にまとっていく時点で、自然の中にいて、人口の空間に身を置いている事になるのです。


つまりそういう認識があるべきなのです。


そこの認識が明確であると、

今度は都会の中にあっても、普段では無意識である重力という万物に等しく働きかけるもっとも身近な、でも目には見えないその感覚を感じるようすることが、


つまりそれ自体が、自然の中にいることそのものとなるのです。


そして、それは自分を内観する切り口にもなり、そこに中心帰納というエッセンスを加えることで、


より重力を感じる感覚の精度が上がるのです。


脈絡のない話のように思えるかもしれませんが、


全ての認識は、知識は、ただそれだけを積み重ねて、収集しても全く意味がなく、するべきことはそれを俯瞰的に理解した上で活用すべきということが、共通する視点なのです。


全ての知識、常識、情報は、その時の流れ、勢いに取り込まれ、偏見、思い込みに振り回される。


それらを正確に理解するためには、自分で全体を把握して、自分の立ち位置を明確にすることが必要なのです。


それは今流行りの右脳だけでなし得ることはできなくて、右脳と左脳のバランスの中で、可能となるのだと思います。


この時、ここの中心帰納はとても役立つツールとなるのです。


中心帰納があるからこそ、老人力が発揮することが出来るのです。


結構本気でそう思います。





では、理解することが必要なら認知症という病気には敵わないか?、、、


いえいえ、中心帰納を習慣づけると認知症の予防になるのです。



それは中心帰納は瞑想そのものだからです。





なんて、思ったりもします。


\(^o^)/






修行はつづく。