アレキサンダーテクニークと合気道 | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

こられている方から、アレキサンダーテクニークの本を紹介されました。


これから少し何回かに分けて、この本に書かれていることを、特に脈略もなく、このブログで書いていこうかと思います。


その本とは、



です。


この本は合気道を含め武道をする人のための本だと思いました。


いくつかキーワードがあります。


それは、


エンドゲイニング(結果の先取り)しない、


自分(セルフ)を誤用(ミスユース)しない、


プライマリーコントロール(頭、首、背骨のコントロール)と"方向づけ"を理解する


そして、抑制(インヒビジョン)と

何もしないこと(ノットドゥーイング)を学ぶ


これらの概念がアレキサンダーのコアな概念のようです。


これらの抽象的な言葉をとても魅力的に表現している内容です。


西洋の人が書く合理的な、論理的なタッチで、何もしないといいつつ、頭の上へ、前への方向づけを強調するなど、他にもさまざまな矛盾した表現をし、説明がなされています。


なんといえばいいのでしょうか、


読んでいてとても不思議な感じがしてくるのです。


よく、西洋思想と東洋思想を真反対のように区別して、様々な人が西洋人と、東洋人の考え方の違いを説かれますが、


半世紀前の西洋の人が、自分の身体の不調を克服、試行錯誤する中で、東洋思想的な発想に至り、それを西洋的なアプローチで表現、展開していっているような、


新しい切り口の東洋思想を学んでいるような不思議さというか、新鮮さを感じるのです。


この著者の書いていることが、創始者アレキサンダーさんの考えや、伝えたかったことに、より原初的で、近いのであれば、おそらく時間が経ち、多くの人が携わり組織化され、大学などで教えるというふうにアカデミックになればなるほど、


様々な枝葉が生まれ、場合によっては、全く創始者が伝えたかったこととは違った内容のものも多く出てくるだろうなと勝手に想像するのです。


この本に書かれていることは武道と同質の矛盾を有しています。


その矛盾とは良い意味であり、心と体は分けて考えるのではなく一元的統合的に捉えているが故に出てくるもので、


そういうことを包括的に理解して出てくる発想、そしてその発想により出てくる質感を表現している文章を読むにつれ、


現代のアレキサンダーテクニークの教師は、どのようにこれを学び、伝えようとしているのか、とても興味が湧いてきます。


ここの合気道もまさに全体を見通せば矛盾だらけであり、でもそうした矛盾から、弁証法的、瞑想的切り口で、洞察を得ようと試行錯誤しているのです。


それはやはり "それ" に関して、思考でアレコレ説明しようとしているのではままならず、


基本的には、自分を俯瞰し、自分のクセを理解して、受け入れ、よりその一連の流れを適正にするための、方便なのではないかとも考えるのです。


心と身体を一元的に見ている分、目に見えない心の方に傾くと、スピリチュアル的になっていくでしょうし、身体の方に観点が傾くと、より厳密に身体の構造のことに注力されることになるでしょう。

きっと先生によってその割合はマチマチで、その最右翼から最左翼までの、振れ幅はかなりあるのではないかと勝手に想像してしまいます。


その本による知識しかないのですが、そしてその本を読む限り、またここの合気道をやっているからこそ、文章の一言一句とても共感できるのです。


おそらくここの合気道の稽古プロセスと同じだからなのだと思います。


次回以降しばらく、本に書かれたアレキサンダーテクニークの概念に沿って、ここの合気道の概念を考えていこうと思います。



\(^o^)/



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