殴り合わないという観点から見えてくるもの | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

殴り合うという環境で、殴り合わないという思考は成り立つのか?


先日、殴り合う環境に敢えて身を投じてきました。^_^


それはマスボク前提なのですが、


でもかと言って、人によっては自制の基準が違うので、当たり具合はそれぞれで、いい感じで当てられたり、当たったりも。


つまり、相手によってはスパーリングとなんら変わらない状況にもなるのです。


相手を倒し切るという環境ではない分、おそらく本当の試合のシビアさはないとは思うのですが、


それなりに、見えてくるものがあるものだと感じるのです。



で、冒頭の話、、


殴り合う環境にありながら、殴り合わない思考、状態とはどういうことなのか、、


それは相手の闘気に対して、付き合わないということなのです。


相手は殴ろうとしてくるのですが、こちらは殴ろうとは思っていないということなのです。


それは殴ろうという意図なく殴るということでもあるのです。


側から見れば、スタイルの違う者同士が殴り合いをしているように見えるかもしれません。


でも、こちらがやっていたこと、やろうとしていたことは、いわゆる当身なのです。


当身とは、決して相手をただそれのみで殲滅させるようなものではなく、虚をついたり、崩したり、次の行動を誘発させるためのもので、


かと言って、気の抜けたものではなく、ちゃんと一発一発が重たく衝撃のある、場合によっては相手が戦意を失うほどの質を持ったものでなければ意味がないのです。


よく合気道で行う当身はとても形式的で、まして当身自体の稽古など全くしないので、


それ自体の意味をほとんどの人が理解していないのだと思うのです。


そういうことの確認で、殴り合う場で稽古することはとても意義のあることで、


でも、間違っても普段から殴り合うことをトレーニングしている人達と同じ土俵でやり合うなんて、おこがましく、勝負という観点で勝とうなんて考えず、


少なくともそういう人達と場を同じくするならば、違う観点で、違う次元で対応する必要があるということなのです。


それすなわち、成田伝合気道にある中心帰納という教えの観点です。



そこで、改めて素晴らしい稽古システムを持っているなと思うのは、システマです。



昔システマやっていた稽古を思い出した時、ほとんどその意味を理解していなかったということが、今になってよくわかるのです。



いまシステマをやってらっしゃる方は、ここの中心帰納を習うとモヤモヤしていたことが少しは減り、腑に落とせることも少なくないと思います。



なぜなら、システマでは中心帰納という言葉を、つまり概念を持っていないからです。


多分システマだけではなく、世の全ての武道は持っていないと想像します。


おそらく、その概念というか質感は他の武道では自得する領域だと考えられているのだと思うのです。


かと言って、それを自得する様に方向づけしているようにも思えないのですが、、。





要するにお伝えしたいことは、


中心帰納は、自分が打撃を打つ際の闘気を打ち消すツールになるのだということです。


そして、その中心帰納を自分の行動の中心概念に据えて、それ自体を呼吸の如く、自分のリズムにしていくと、


相手の攻撃に影響を受けないし、自分の拍子を確立することができるのです。


入身や間合いのコントロールなどのツールとして昇格させることもできるようになるのです。


これ難しいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、僕は中心帰納を理解して深めていけば多くの人が自ずと会得出来ることだと考えているのです。



そして、そこがわかってくれば、


合気道の数多ある技の中で発生する、接触する部分、意識する部分、崩しの方向が、


システマのストライクする場所と方向が同じなんだということのみならず、


合気道の稽古の中で、中心帰納を組み込むことで崩れが大きくなるという現象を理解している分、


そのストライクにも中心帰納を組み込めば、さらに威力が増し、相手の闘気に振り回されもせず、こちらの闘気も相手に察知されにくくなるということがわかってくるのです。



こうして、平井〜成田伝合気道を、

白石伝合気道に進化させていくように、未だチャレンジして試行錯誤している毎日です。



そういうことも、ここ無元塾ではお伝えしているということです。



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