この話好きなんです。 | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

何回かここのプログに取り上げたことがあります。

それは、


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野口晴哉先生とフェルデンクライス博士とのやりとりがあり、


フェルデンクライスは、病気を治し健康を獲得する為に

1700余りの体操を作ったそうだが、それでも足りないと言う。

「 あなたはどれ位つくられたか? 」 と訊かれたと ・・・

それに対し、野口晴哉は オンリイ・ワン

「 生命の為の体操は一つで良い 」 と答えたとのこと、

つまり、それは活元運動 のこと。

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野口晴哉先生とは、知る人ぞ知るの野口整体の創始者、

フェルデンクライス博士とは、ヨーロッパで初めて柔道の黒帯をもらったという方で、ボディーワークのフェルデンクライスメソッドのこれまた創始者、

その話の構図は、思考を駆使して分析的に拡張する方向性のフェルデンクライスメソッドと、無意識の力を活用する為の一点に向かう方向性の野口整体との180度の違いを如実に表しています。

でも、この話、現在の武道、格闘技の世界にも多少当てはまるのです。

世のほとんどの武道、格闘技は先程の話ではフェルデンクライスと同じ方向を向いているのだと思うのです。

攻撃力を増すために、様々な技を開発していく、他武道、他格闘技の技を研究して取り入れていく、

知らなかった力の使い方や、考え方など、とても、勉強になるだろうと思います。

そして、その最終形態が総合格闘技なのかもしれません。

でも、そんな格闘技ではこんな傾向が見え隠れします。

人には得意、不得意があり、どれだけ拡張的訓練をしても、結局は限定的な攻撃になるということ。

あとは、技が多彩でかつ厳密にルール化されているということは、とても戦略的な戦い方が要求される、、

それは、勘に頼るよりは、相手の対策を考えて、戦略、戦術的に戦う必要があるということ。

でも、その先の考え方を用意していないと多分迷子になってしまうのです。

どれだけ分析的に戦略を構築しても、上手くいけば良いのですが、想定外のことが起こると、

結局は"勝つこと"が重要だということだけに囚われて、今度は逆に思考が停止してしまい、感情に支配された迷子的動きとなってしまうのだと思うのです。

分析的、拡張的な稽古は、プロセスとしては大切なのですが、

その迷子になった時にどう修正していくかという訓練も必要なのだと考えるのです。

勝つ為にただ強くなるということだけをしていると、さらに輪をかけて強い人が出てきた時にどう対処するかということを考える必要があります。

そこで迷わないということは、さらに強くなる様に身体を鍛え、技を開発し、より早いスピードを身につけることなのでしょうか。

でも、その強さというのは、条件づけされたなかで初めて相対的に得られるものですので、突き詰めていけば、ジャンケンと変わらないということにいつか気がつくのです。

絶対的な強さというものは幻想なのです。

でも人は、そういうことと知ってか知らずか、その相対的なものを、絶対的な存在として、憧れる対象とするのです。

漫画で言えば、ドラゴンボールなんか、次から次に強い敵が出てきて、悟空はさらに強くなっていって、そういう構図は漫画でしかあり得ないと皆んなわかっているのに、大人になってもワクワクして見入ってしまうものです。

きっと皆んな騙されたいんだと思うのです。

わかっていても架空のヒーローに憧れたいのです。

その強さへの憧れは自分が強くなりたいという気持ちの投影ということなのです。


さて、、最初の話に戻って、

では、

野口晴哉先生がおっしゃっていた活元運動に匹敵する、

戦略的な戦い以上に僕が重要だと考える迷子にならない為の考え方とは、


それはここの中心帰納なのだということです。


そもそも中心帰納という考え方を有していたらまず殴り合いにはならないですし、

仮に殴り合いの中で中心帰納を発動すればどうなるのかということを、

ここ無元塾ではお伝えしております。


矛盾してますか?

でも、矛盾したものが同時に存在していることが真実なのだと思うようになってきている今日この頃なのです。


そもそも中心帰納がなんなのか、、


それは是非ともこちらに来てご確認いただけばと思います。


\(^o^)/


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緊急事態宣言なんかしっくりこないです。