ピンと来ていないことが何となく最近わかって来ました。
合気道をやっている人でも人それぞれ考え方に
少しづつ違いがあるような感じがします。
どうも合気道をやっている人は、技と組み合わせた入り身投げなどのように形として理解している人も多くいると思います。
その入り身の説明の切り口として、
先の先、対の先(先)、後の先という考え方を採用すると見えてくるものがあります。
ちなみに、先先の先という表現もあります。
これらの言葉は剣の世界で、攻撃のタイミングを表すために使われた言葉なのですが、
ここ無元塾ではそういう分析的解釈で、意識的にタイミングを取ろうとするとうまく行かないものであるという考え方をします。
興味深いのは植芝翁先生は晩年、先とか先の先とか後の先とか分けて考えてはいけないと、すでに勝っていて、あとはすーと入るだけで良いというようないわゆる境地のことを話されています。
平井伝成田伝合気道と同じです。
やはり、岡山で意気投合して、平井先生を東京に呼び寄せるだけのことはあります。
では、実際的にどうするのでしょうか?
大概の合気道の先生は、
先の先や、先は難しいと思ってらっしゃるのか、後の先を一生懸命教えます。
先に仕掛けてこられた攻撃をかわす、いなすことでいつのまにか受ける側が優位になっている、、くらいな解釈で、先生によっては、合気道は後の先の技であると断言する人もいるくらいです。
教わる方としては混乱するばかりなのです。
なぜなら翁先生のおっしゃることと違うからです。
仮にその先とか、先の先のいう技法はとてつもなく難しい技法であると考えているのであれば、
その考え自体が自ら壁を高くしてしまっているのではないかと思うのです。
そうではなくて、全ての技に、その先の先や、先先の先が必要であって、どのタイミングにでも組み込めるような考え方になる必要があるのではないかと思うのです。
そしてそれを実現するための作業として中心帰納があるということなんです。
そして現れる質感としての腰回し。
いま書いていることが、この文章で伝わるかどうか不安なのですが、
何を言っているのか分からなければ是非とも一度との講習会でもでていただければと、
(^O^)/
ちなみに先の先、先先の先でググって上の方に出てきたのが下記動画でした。
他にもありましたが、とりあえずこの動画で、、
意外に合気道系の動画は少なく、
やはり打撃で切実だからと思うのですが、
空手系の動画が多いです。
おそらく極真空手の志田先生は日野晃先生の下の動画の目で倒すというやつを使ってらっしらるような感じです。(下動画の中の目でたおすというやつです。)
下の宇城憲治先生の動画は
先の先や、入り身の検索では引っかからないですが、まさにそれをやってらっしゃると思います。
合気道系では、下の動画があります。
合気会の遠藤征四郎先生のものですが、表題は違うのですが、先の先や入り身の考え方が組み込まれているという解釈で貼り付けました。
ちなみに成田新十郎先生の入り身に該当する動画はこれでしょうか、、他にもありますが、、
無元塾の稽古ではこんなのがあります。
さっ、どうでしょう。
どの動画が一番怪しいでしょーか!?
^_^
決して、
どの"先の先"が正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとか、言っているのではありません。
同じ先の先という解釈でも考え方でこうも表現の仕方が違うのです。
どの動画も公表している分、決してウソを表現していることは無いと思います。
何か真理を伝えようしているのです。
ここで必要なのはこれらの動画の差異と同一性をくみ取ることです。
その作業が発展に不可欠な思考なのです。
そうすると見えてくるものがあります。
ただ言えることは、
この無元塾ではそういうことを包括して理解出来る理屈というか、システムというか、その完成度は非常に高いと自負しています。
きっと来られる方もそう思われるに違いありません。
あと大切なのはその質感を感じることです。
伝える側としては、理解と同時に感じさせることが重要な役割になります。
理屈をしっかりと理解して、出来る限り一貫性のある稽古をすることが到達の早道なのだと思います。
事理一致というわけです。
山岡鉄舟先生は、
"
撃剣の法術は理事の二つを錬磨するに在り。事は技なり、理は心なり、而して錬磨功つむとき理事一致の妙所に至る"
とおっしゃっています。
母体武道 合気道 無元塾 ではこういうことを理解してもらうためにも、定期的に講習会を開催していきます。
是非ともお試しください。
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では、お会いできること楽しみにしております。