会合でダンサーに口移しでチップを渡し、尻を触っていた自民党和歌山県連による過激ダンスショー懇親会が問題になってますね
さて、冒頭に書かせて頂きました自民党和歌山県連による過激ダンスショー懇親会も、もしかしたら関係しているのかも知れませんが、昔からある言葉で報いは必ず受ける的な言葉がありますね
この言葉なのですが、言葉のニュアンスからも報いを受ける側ではなくて、そうではない側の人の発想から生まれた言葉なんじゃないかなと思ってまして、願望に近いものがある言葉なんじゃないかなと思いますけどね
じゃあこの報いは必ず受けるのかと言われましたらこの言葉を考えました、そうではない側の人には怒られるかも知れませんが、報いは必ず受けるとはならないんじゃないかなと思いますが
この報いは必ず受ける的な言葉と似たようなと言いますか、もしかしたら対義語になるかも知れませんが努力は必ず報われるって言葉がありますが、個人的には努力が必ずすべて報われるとは個人的には、思ってませんので
努力が必ず報われる訳ないのに、報いだけを必ず受けるってのは、個人的にはオカシナ話だと思っておりまして、どちらかと言いますとフェアじゃない気もしますので、報いは必ず受けることはないし、努力が必ず報われるってこともないってのが自分の考え方であります
もちろん、人それぞれ考え方がありますので、どれが正確ってのはないんでしょうけど、ただ日本の日本人特有の何かを美化するって考え方が、この努力は必ず報われるとか、報いは必ず受ける的な発想になっているんじゃないかなと思いますけどね
やはり、一生懸命努力している姿は美しく報われて欲しいと思いたくなりますし、義理人情を欠いて誰かに何かをした場合の報いは必ず受けると思いたくはなりますからねぇ
ただ、何度も言わせて頂きますけど、報われない努力もあれば、受けない報いもあると個人的には思っていますが、どれが正確でどれが不正解ってのは無いとは思いますけどね
努力のうちに入らないから努力が報われないとか、報いを受ける程のことはしてないからとかを仰る方もいらっしゃいますので、それはそれで本当に面倒くさく難しいかなとは思います
美人さんの報いを受けてみたいものですが、受ける程のことをやってみたいですけどね