【映画】太陽の子
1944年。
京大物理学研究室で研究に励んでいた科学者・石村修は、原爆の開発に参加する。
核エネルギーの研究に没頭する一方で、科学者が兵器の開発に携わることに対する葛藤を抱えるように。
そんな中、弟の裕之が戦地から一時帰宅し、兄弟がひそかに思いを寄せていた朝倉世津も、家を失ったために修の家で暮らすことになる。
この作品はAmazonプライム・ビデオで観ました。
修たち研究員のみんなは、自分達が開発しようとしているものが、とんでもなく恐ろしいものかと気づかなかったんですかね。
アメリカよりも早く開発するんだ!と意気込んでいたけど、その果てが見えなかったんでしょう。
修の弟、裕之が戦地から一時的に帰ってきて、笑顔を見せながら実家でのびのびとしてる姿を見て、何だかせつなくなりました。
裕之は、戦地のことは何も話さず、家族に気を遣っていたけど、その心の内では怖いという気持ちがあったようですね。
そうですよ、誰もが普通はそう思いますよ。
誰だって死にたくないんですから。
修と世津は、その気持ちが重々分かっていたんでしょうね。
残された人たちも、同じくらい悲しくなるんですから。
そんな裕之でしたが、実家に届いた手紙では「笑って死にます」と書かれていて、世津はその場で泣き崩れ、修も言葉が出ず。
この頃の日本は、国のために命を捧げると洗脳されていたんですよね。
それこそ、美徳で最高の誉れであるかのような。
やがてアメリカが広島と長崎に新型爆弾(原爆)を落とすんですが、
研究員は、開発でアメリカに先を越された、アメリカに開発競争で負けたと、おいおいそういうことじゃないだろ、と思った人は多いんじゃないかな?
その時、修は「これが俺たちが作ろうとしていたものの正体なのか」と、自分達がどんな恐ろしいことをしていたか、少しずつ気づき始めるんです。
その新型爆弾が次は京都に落とされるという噂が出て、修は比叡山に登って爆発の瞬間をカメラに撮ろうとしたんですよ。
その比叡山で握り飯を食べながら、涙を流すあのシーンは柳楽くん名演技だったな~
この作品は、仮にこういう人たちがいてみたいなフィクション的な設定なのかと思ったら、
エンディングで実際に当時撮られた研究員たちの写真が映ってたんですよ。
日本でも核開発をしている人たちがいたんだと、ビックリしました。
原子爆弾はこの世に存在してはいけないですよ、例え争いに勝った負けたとか関係なく。