萌え(м・ω・ё)萌え -2ページ目

萌え(м・ω・ё)萌え

萌え萌え萌え萌え萌え

テーマ:

世界的にも認められているジブリ作品「もののけ姫」。

それぞれのキャラクターの思いが交錯する中、ひときわ目立つのはやはり主人公アシタカ。

彼は何を思いながら生きていたのだろうか?

 

 

難しいようで単純な性格

アシタカは、いつも何かを考えながら生きている。

しかし、その行動や言動をよく見てみると、とても単純な性格をしていて、思った通りにすぐに行動に移す。

いつも自分に正直であり、素直な人間。

序盤から終盤まで見てわかる通り、目の前に困っている人がいれば助け、間違っているものは間違っていると断言。

自分が正しいと思うことだけを貫き通す。

いつも考え事をしているように見えるため、難しく考えているようにも思いがちだが、やっていることは全て単純なことばかり。

いつでも素直に生きているだけだ。

 

当たり前のことをしているだけ

単純で素直な故に、アシタカはそれをやめることはできない。

口数が少なく、考え事をしているシーンが多いように見えるのは、ただ自分の中で葛藤しているだけなのだろう。

(私は正しいのか・・・これで間違ってはいないのか)

悩みながらも、やはり私は何も間違ってはいないと何度も決意していることだろう。

困っている人、弱い人を助け、してもらったことには感謝し、自分の行動には責任を持つ。

一人の人間として当たり前のことを貫いてい生きているだけに見える。

誰もが幸せに生きることを求めている

作品のテーマはやはり「共生」。

アシタカ本人も、「共に生きることはできぬのか!」と言っている。

生きるためには、多少の殺生や、他の者を傷つけることは致し方がないこと。

ただ、自分たちの欲望のためだけに、過剰なことをする必要があるのか。

アシタカにはそれだけが疑問だったはず。

確かに、自然の中で生きる以上は弱肉強食であることは抗えない。

しかし、私利私欲のためだけに生きれば、必ず他の何かを犠牲にし、多くの物を失うことになりかねない。

アシタカが言いたいのは、他人の不幸の上に成り立つ幸せは間違っているということだろう。

そして、誰もが幸せになる方法が何かあるはずだと探しているのだと思う。

 

最後まで答えは出ない

アシタカはまだ若く、自分の信念をどこまでも貫き通した。

しかし、シシ神の一連の出来事は、アシタカの人生にとってはほんの一部にしかすぎない。

サンやエボシにとってもそれは同じ。

作品の最後になっても、恐らくアシタカは本当の答えには辿り着いてはいないはず。

これで正しかったかどうかはわからないが、サンの住む森、タタラ場の人たちが助かって良かった。

それがこの作品の着地点になっている。

だが、本当にアシタカの求める答えは見つかってはいないだろう。

アシタカも人間だった

人間である以上、必ず何かの欲望があり、自分が救われたいという思いがある。

作品全体を見てみれば、アシタカはやむを得ない殺生を何度か行っている。

カヤたちを助けるために矢を放ち、襲いくる侍を殺めていく。

自分の命が助かるためには仕方がなかったこと。

ただ、アシタカがなぜ東の国へ行き、シシ神に会おうとしたのか?

そこにはどんな思いがあったのか?

人を助け、自分の正義を貫いてはいても、そもそもアシタカは自分の犯した罪で受けた呪いを、シシ神に会うことで救われようとしていた心があったのではないか?

また、最後にわずかな呪いが手に残っているのも、そのことを意味しているようにも見える。

サンと別れる時、自分の手を見るアシタカは、何を思っていたのだろうか。

恐らく(それでも私も人間か・・・)と感じていたのではないだろうか。

必至で戦ってはきたが、(私も私のためだけに動いていたのだな)と気づいただろう。

自分の呪いは自分で解くしかない

アシタカは一度瀕死になって、シシ神に命を救われるが、その時に呪いは解けなかった。

この時に、アシタカは何かに気づき始めている。

「生きろ」ということ。

そして、それが罪を償うことであり、自らの呪いを解くことにつながる。

アシタカは、自分で罪を犯したにも関わらず、シシ神に救われようという甘えがあったことにも気づいたはずだ。

そう簡単には終わらせてはくれず、自分の呪いとは自分で戦わなければいけない。

その答えがわかるのはいつになるのかはわからないが、どこまでも戦い、生きることが人の定めなのだということだろう。

アシタカを見習おう

様々な葛藤がありながらも、アシタカは自分の定めを見据えて、逃げることだけはしない。

当たり前のことだけを積み重ね、無意味な行動は一切しない。

見てもわかる通り、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとっている。

他の誰にも頼ることはせず、最後まできちんとやりとげている。

それが正しいとか間違っているとかではなく、それが生きるということなのだと思い知らされる。

だからこそ、アシタカはそう簡単には口を開かず、一切無駄口をたたかず、決断するまで考え、これと決めたらその通りの行動する。

アシタカは難しい人間なのではなく、しっかりと自分の人生を生きているということなのだ。

諦めて、逃げて、本気で生きることをやめることは簡単だ。

しかし、それは堕落というものであり、やがて自分を苦しめることにつながる。

生きるということの本質。

それを、アシタカは私たちに教えてくれるのだ。

 

 

テーマ:

暗い描写が多いながらも、意外と奥の深い「ゲド戦記」

その中でも重要なキャラクターであるテルー。

彼女が見てるものは何なのか?

そして、伝えたいことは一体何か?

名言や名セリフは、あなたの生きるヒントになるかもしれません。

 

 

ゲド戦記は、少し暗いイメージがあるかもしれませんが、あなたにも理解できる時は必ず来ます。

重要人物であるテルーの言っている言葉をしっかりと受け止め、考えてみて下さい。

誰の中にもアレンはいるもので、テルーの言葉のひとつひとつが心に突き刺さることもあるでしょう。

彼女が伝えたいことは何なのか?

あなたに何をわかってほしいのか?

作品を見る上では非常に重要なことです。

私なりに感じたこととともに、彼女の言葉を届けます。

 

 

名セリフ1「死ぬことがわかっているから命は大切なんだ!」

いつも彼女は誰に対しても命の大切さを語ります。

その強い眼差しの奥には何があるのでしょうか?

死を意識してこそ本当に生きることができると私も思います。

今がどれだけ大切な時間で、自分がどのように生きていきたいのか。

それは、どのように死にたいのかも意味します。

歴史の偉人や、偉大なアーティスト、トップアスリートはみな同じことを語ります。

今という刹那の瞬間が大切だということを。

名セリフ2「命を大切にしないやつなんて大っ嫌いだ!」

命を大切にすること。

それは、今ある自分自身を大切にすることです。

あなたを支えるものを大切にすることはもちろんですが、それよりも、自分自身を大切にすることはもっと大切なことです。

誰かを踏み台にし、蹴落としてまでのし上がることは愚かなことです。

しかし、自分が不幸になってまで誰かを支えようとすることも、意味は同じ。

あるものを大切にすることが、全てを大切にすることにつながるのです。

名セリフ3.「命は自分だけのもの?」「私は生かされた」「だから生きなきゃ生けない」「生きて、次の誰かに命を引き継ぐんだわ」「 …そうして、命は続いていくんだよ…」

人は誰しも人生のドン底を味わう時があります。

しかし、それでも今日もまた生きている。

それは、あなたの意思で這い上がってきたから。

わずかでも生きたいという気持ちがあったから。

天に生かされ、心に生かされて今日があるのです。

今あるあなたの姿は、あなただけのものではありません。

あなたが生きているだけで、救われる誰かがいます。

そのためにも、あなたは生きていかなければいけないのです。

名セリフ4.「死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、そんなのどっちでも同じだわ!」「一つしかない命を生きるのが怖いだけよ!」

このセリフも、言われると誰しもドキッとするのではないでしょうか?

テルーは命のことを熱く語りますが、何をするにしても同じこと。

どうなってもいい、このままでいたい。

死んでもいい、長生きしたい。

辞めてもいい、辞めたくない。

それらはどちらでも意味は同じ。

ただ、向き合うことから逃げいてるだけだったりします。

学校や仕事、恋愛や子育てが苦しくて嫌になることはあっても、そこから逃げるのか逃げないのかはあなたが決められること。

それらはある程度は修正が効くからなんとかなるかもしれない。

でも、命は失えば終わり。

永遠に生きても、それは苦しみを永遠に味わうだけ。

テルーの言う通り、意味は同じなのです。

 

 

 

最後に

この他にも、テルーが熱く語っているセリフは沢山あります。

ですが、どれをとっても同じことを言っています。

自分から逃げて、生きることから逃げて、ただ何かにすがりついて現実を見ようとしない。

そんなことがあなたにもありませんか?

死ぬのが怖いのじゃなくて、生きることから逃げているだけ。

テルーが伝えたいことは、どうにかして現状を変えてやろうと抗うのではなく、今あるものをどれだけ大切にできるのかということ。

そして、今という刹那の瞬間をどれだけ精いっぱい生きることができるのかということです。

綺麗ごとや、社会のルールに縛られて生きていても仕方がありません。

あなたがどうあるべきで、どう生きるのかが最も大切なことなのです。

 

テーマ:

ジブリアニメの超大作「もののけ姫」。

様々な角度から見て、感じることができる奥深い作品。

心に響く名セリフや名場面から、あなたは何を感じて何を学び取るだろうか。

 

自然と人間とが共生することを題材とした「もののけ姫」だが、様々な人間模様が交錯し、見る人たちの自分の感性をそのまま映しだしています。

印象に残るシーンやセリフというのは、あなたの中にある何かが揺れ動く証拠です。

私なりに心に響いたと思うシーンから、抜粋して紹介します。

「誰にもさだめは変えられない。だが、ただ待つか自らおもむくかは決められる」ヒイ様

どんな理由があったとしても、自分の行いには自分で責任を持たなければいけない。

それをそのままにして時間が経つのを待つだけが、こちらから立ち向かっていくのかは自分次第。

生きていく上で忘れてはいけないことかもしれません。

「肝心なことは死に食われぬことだ」ジコ坊

師匠の受け売りだと付け加えて言った言葉ですが、この何気ないひとことがとても深い。

生きることは死に食われない、恐れないこと。

どのような意味合いが込められていたかはわからないが、あなたはどう感じるだろうか?

「我が名はアシタカ!東の果てよりこの地へ来た!そなたたちはシシ神の森に住むときく古い神か!」アシタカ

アシタカとサン、山犬たちが最初に出会うシーン。

ここで注目したいのは、やはりアシタカの毅然とした態度だ。

何もやましさもなく、それ故に恐れることはない。

こうした姿勢を見せることによって、同じ人間でも山犬たちは敵とはみなさない。

もちろん、アシタカは何も考えずにそうしているのだが、これは見習うべきところ。

「曇りなきまなこで見定め、決める」アシタカ

タタラ場でエボシ御前に出会い、この地へ来た理由を述べるシーン。

このセリフから受け取れるのは、アシタカがまだ呪いとどのように向き合えばいいのかわからず、その答えを探しているといこと。

それには、曇りなきまなこで見定める覚悟が必要だということ。

これは、私たち現代人にもとても重要なこと。

傷を受けた者にしかわからない痛みがある。

だからこそ、これから自分が何をしていけばいいのかをしっかりと見据え、実践していけるかということだ。

「これ以上憎しみに身を委ねるな!」アシタカ

自らが呪いを受けて、その憎しみと恨みを持つことがどれだけ苦しみとなるのかを知ったアシタカ。

また、その憎悪の念を持ち続けて、それだけに身を任せて生きればさらに呪いは増えていく。

自分を救いたいからこそ、他者を救う力強いアシタカの言葉。

されたことを人にはしないという、そんな男になりたいですね。

「私は自分でここへ来た!自分の足でここを出る!」アシタカ

やはり、どんな場面においても、全ての行動は自分の責任。

だからこそ、自らの行動は誰にも止めることはできないこともよく知っている。

自ら赴いて、自ら去ることの潔さが男らしくて素晴らしい。

何が正しいのかわからなくても、これだけは守っていきたいですね。

「生きろ・・・そなたは美しい」アシタカ

瀕死の状態でサンに刃を向けられながらも伝えた言葉。

アシタカには、生きることに全力を尽くすサンの姿がとても美しく見えたのだろう。

だから、争わず、憎しみを捨て、生きることだけに力を注いでほしいという願いが込められているように感じる。

「あの娘を解き放て!あの娘は人間だぞ!」アシタカ

アシタカは、人間の気持ちも、モロの君の気持ちも、サンの気持ちも全て理解している。

ただ、サンの思いの根源は、モロの君が持つ恨みを映し出したものだと気づいていたのだろう。

サンにはサンの生き方がある。

それを認めてあげたかったのだろう。

別のシーンで、モロはサンに自由に生きることを許しているセリフがあるので、モロも心の奥底では本当はわかっていたのかもしれない。

「わからん、だが共に生きることはできる」アシタカ

モロの君にサンをどうするのかと問い詰められた時のアシタカの返答。

わからないと正直に答えているものの、それでも何かいい方法があるはずだという強い意志が見える。

このアシタカの姿勢には誰もがホレボレするだろう。

今はその答えはわからなくても、必ずどこかにいい解決方法があるはずだと諦めない。

この気持ち、忘れたくはないですね。

「シシ神の首とタタラ場とどちらが大切なのだ!」アシタカ

ひと昔前までは、男性が嫌がる女性の発言としてよく取り上げられていたもの。

「私と仕事とどっちが大切なのよ!」とよく似ていますね。

現代では、これは正しく聞こえるのは私だけだろうか。

本当に大切なものを守るために、動くべき時に動かなければ、多くのものを失ってしまう。

今それがやるべきことなのか。

アシタカは必死にそれを言いたかったのだろう。

「私は人間だ!そなたも人間だ!」アシタカ

クライマックスのシーンで、何もかも終わり、人間なんて大嫌いだと言うサンにかけた言葉。

誰もが自分の意思に従って生き、苦しみと闘いながら生きている。

それが人間であって、生きることの本質なのだということだろう。

「バカには勝てん」ジコ坊

全てが原点に帰り、作品の最後を飾るセリフがこれ。

簡単なセリフではあっても、これまでのストーリーがあってのこのセリフだからこそ、深い意味を持つ。

バカでもなんでもいいので、全てを諦めさせるほどのアシタカの強い心が、人を無欲に返したのだ。

 

 

 

最後に

もののけ姫という作品は、本当に多くのことを教えてくれます。

様々な人間模様がありながら、アシタカはたったひとつのことだけを貫いた。

どのキャラクターのセリフを見ても、理解は出来ることばかり。

それぞれに生きる理由があり、そうなってしまうのも仕方がないこと。

しかし、それでも苦しみに負けて、憎しみに身を委ねてはいけない。

強く生きるために、多くのことを学ばせてくれる。

こうした名セリフ、名場面からあなたは何を感じ取るだろうか?

 

 

 

 

 

 

テーマ:

ジブリアニメ「ゲド戦記」の名セリフ集。

とても深く、少し難しい物語ですが、とても大切なことを教えてくれます。

あなたの心にはどのように響くだろうか?

 

生きることについて多くのことを教えてくれる「ゲド戦記」。

作品のシーンは少し暗くて怖いイメージですが、本当に大切なことを語っています。

誰にでも心の闇はあるもので、辛く苦しい時もありますが、そんな時にこそ思い出してほしい言葉たちです。

「自分がいつか死ぬことを知ってるということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ」ハイタカ

人は、生まれた以上はいつか死ぬことも決まっている。

だからこそ、どのように生きて行くかがとても大切なこと。

何をして、何を残すのか。

毎日をそういった気持ちで生きなければいけないのでしょう。

 

「死ぬことがわかっているから命は大切なんだ」テルー

テルーの言葉ひとつひとつはとても力強く、胸を打ちます。

ハイタカと同じように、死ぬことを知ることが生きることにつながる。

この意味がわかれば、これからの振る舞いも替わってくるはずだ。

「命を大切にしないやつなんて大っ嫌いだ」テルー

命が大切なことは当たり前のこと。

自分が天から授かったたったひとつの命を粗末に扱ってはいけない。

つまり、自分が今ここで生きることがどれだけの奇跡であって、それが大切であるかということだ。

「命は自分だけのもの?私は生かされた。だから生きなきゃいけない。生きて、次の誰かに命を引き継ぐんだわ。そうして命は続いていくんだよ」テルー

人の命はとても大切なもの。

他人でも自分でもその価値は全て同じ。

生かされているのだから生きるしかない。

生きている以上は生かされている。

生きているということが最も価値のあることで、毎日を全力で生きていかなければいけないのだろう。

「わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ。苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもあるわしらの命も」ハイタカ

人間の肉体、心、命のどれをとってもそれは大切なもの。

苦しく、辛いこともあるけど、それが生きるということそのもの。

失ってしまうことがわかっているからこそ、今あるものを大切にしなければいけないのだろう。

「怖いのはみんな同じなんだ!」アレン

怖いのは誰でも同じ。

しかし、生きることを怖れているようでは、生きてはいない。

逃げてもどこまでも追いかけてくるもの。

いつかどこかで生きることに立ち向かわなければいけないのだ。

「死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、そんなのどっちでも同じだわ。ひとつしかない命を生きるのが怖いだけよ」テルー

これが最も心に響く言葉。

死を覚悟しながらも、今を全力で生きなければいけない。

それが生きるということの本質なのだ。

死んでもいい、死にたくないはテルーの言う通り同じ意味にしかならない。

現実を受け入れて、今目の前にあるものをクリアしていくことでしか、人は生きてはいけないのだ。

「ダメなのはぼくの方さ。いつも不安で自信がないんだ。なのに時々、自分では抑えられないくらい、狂暴になってしまう。自分の中にもう一人自分がいるみたいなんだ。」アレン

これは人によって違いがあるかもしれませんが、誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

自分では考えられないほど感情的になって、爆発してしまう時がある。

それがダメなことなのかどうかは別として、もう一人の自分が追ってくる感覚は確かにあるはずだ。

しかし、その自分ともきちんと向き合って、負けないことが大切なことなのかもしれない。

「アレンが怖がってるのは死ぬことじゃないわ。生きることを怖がっているのよ」テルー

これは、かなり胸に突き刺さるのではないでしょうか。

生きることから逃げて、何かに身を投じて、現実逃避をして誰かにすがって生きている。

そんなことが誰にもあるのではないでしょうか。

しかし、現実からは誰も逃れることはできませんし、誰も助けてはくれません。

生きることに立ち向かわなければ、いつまでも苦しみは続くものです。

「お前は僕と同じだ。光から目を背けて闇だけを見ている。他の人が他者であることを忘れ、自分が生かされていることを忘れているんだ!死を拒んで生を手放そうとしているんだ」アレン

現実を受け入れることができず、なんとか抗おうとするクモへ向けた言葉。

他者がいて生かされていることを忘れてしまって、自分だけが逃れようとする。

死をなくすことで、生きることを忘れようとしている。

そうではなく、生きることの本質を見極めて、死が近づいてくることを意識しなければいけない。

だからこそ、今をどう生きるのかが大切になってくるのだろう。

 

 

 

最後に

ゲド戦記のセリフたちは、自分たちがどれだけ堕落し、楽をして生きようとしているのかを考えさせられる。

楽になりたいからと逃げだせば、必ず苦しくなっていくはず。

辛く苦しく、恐怖するところに立ち向かっていけば、生きる喜びが生まれる。

誰かにすがりついたり、逃げようとすることは、生きているとは言えない。

ただ生活している人と、生きている人は輝きが違うもの。

あなたはこれらのセリフをどのように解釈するだろうか?

また、あなたは毎日生きていると胸を張って言えるだろうか?

 

 

 

テーマ:

レグがトコシエコウの花吹雪を見た場所で、死者たちの名札が足元に大量に落ちていましたが、そのなかにシェルミという文字が意味ありげに描かれています。

そしてそのあとに暗闇の中での言葉でシェルミという人物には双子がいること、オーゼンと知り合いであろうことが明かされます。

 

シェルミという人物の返答がないことから、彼が生きているかも分かりませんが、シェルミと双子だという人物が慣れ果ての村の秘密や、アビスの2000年の周期と関わってきそうです。

どうやらオーゼンとシェルミの双子は博物館に行ったようで、彼女たちのもとへやってきたことがあるようです。彼らの正体については今後の展開を見守りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メイドインアビス』をネタバレ考察15:ミーティは生きている?

メイドインアビス 6 (バンブーコミックス)

作者 つくしあきひと
出版社 竹書房
出版日 2017年07月29日

慣れ果ての村にやって来たナナチに、カジャがあなたの価値は何だ、どういうものを価値としているか、と聞きます。

ミーティが価値のひとつだと答えたナナチに、カジャはそれは自分も欲しいと、彼女を知っているかのように話します。

「仮面の男が置いてったあたたかな呪いのかたまり」であり、「三賢のベラフ」が使っているという慣れ果ての村のミーティ。

かつて痛みで朦朧とした状態からリコが目を覚ました時、ミーティの存在を感じており、彼女とはまた会えるような気がすると言っていたことがありました。

 

アビスで生まれたリコ、アビスの呪いだけを一身に受けたミーティ、ここに自分の価値を明け渡し、住み着いている成れ果てたち……。彼らがどこかで意識が繋がっているかのような印象すら受けます。

 

ミーティに隠された秘密も成れ果ての村の秘密に関わってきそうです。