「そんな人に子どもを預けたいと誰が思う?」
という言葉が
1年半前、辻堂の1室で突きつけられて
感情に任せてその行動を続けたい
でもその言葉を前に身動きが取れない
どうしようもない気持ちで泣きじゃくる私のそばにずっといてくれて飲みに連れ出してくれたのがりなママ
りなママのあの時の言葉は本当に重くて
SNSを通して「「自分を傷付けた人だから」という理由を持ち出してその人を傷つける」という行動に手を染めてしまいそうだった私を引き戻してくれた
あの時のあの言葉やりなママの存在がなかったら
もしその時その行動を続けていたら
なんせ「真面目」なワタクシ
たぶんもう子どもの前に戻ってこれなくなってたと思う
子どもは見てる
私の行いよりも
その奥にあるモノをしっかり見透かしてくる
おとな、だとか
せんせい、だとか
おや、だとか
しゃちょう、だとか
えらいひと、だとか
それ以前に
ちゃんと
「ひと」
としてこちらを見てる
だから
間違うことはあっても
迷うことはあっても
「子どもに顔向けできなくなる」
と思ってしまうような行動はしたくない
言うてしまえば、それだけが軸
誰がどうとか
とってもどうでもいい
「そんな人に誰が子どもを預けたいと思う?」
その言葉はもちろん
本質的なところに引き戻してくれる
大切な仲間がいることが、自分の誇り
感性とこころは濁らせず
今日も笑って子どもと向き合っていきませう
昨日のアクセス数が「777」
見てもらったと言うより
晒されたに近い形でも
なにやら運は私に味方している気配
( ̄ー ̄)
真崎