ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です
「「釜ヶ崎」を歩いてきます(前)」
歩いてきました
遅くなりましたが
報告記事になります
見た聞いた感じたことを書いていく前に
釜歩き中に出会ったおっちゃんが
こんな事を言っていました
「最低3年はここに住まな、ほんまの釜ヶ崎の底の底の底は分からへん。」
この言葉が残っていて
書くのを少し躊躇っていました
岡本さんという案内人の方がいて
街を一周歩きながら
いろんな話を聞かせてもらったのですが
たった2時間「いた」だけの自分が
知った顔でなにを書いたらええんやろ
って思ったからです
しかし書きます
「伝えて下さい」
っておっしゃっていたからです
できる限り
事実に相違なく
書いていこうとは思っていますが
ひとつの物事に対して
必要以上に誇大解釈する
悪癖がある真崎なので
どこが事実で
どこが真崎の解釈(妄想)か
見極めていただきながら
読んでいただけるとありがたいです
「Homedoor」の方々も
もし読んで下さっていて
なにか修正すべきところがあれば
お手数ですが
ご指摘いただけると助かります
随時手直ししてきます
長くなりました
本編です

今回の釜歩きでは
釜ヶ崎に詳しくて
現地の日雇い労働者の方々とも交流のある
案内人の岡本さん
「Homedoor」スタッフ
まさかの高校の後輩だった
片野田さん
そして
真崎を含めた参加者4名
合計6名での
スタディツアーとなっていました
前回のブログにて
真崎が「釜ヶ崎」に興味を持った
一番最初のきっかけは
「大阪新世界に行ってみたい」
という願望だったと書いたのですが
実際
大阪新世界
通天閣のある場所は
釜ヶ崎とは
通り1つ隔てた
"浪速区"
に位置しており
通天閣やスパワールドなど
観光名所や遊ぶ場所のある浪速区には
いろんな場所から観光客も来るのですが
通り1つを挟んだ先にある西成区には
やっぱり
あんまり好きこのんで
人は来ないようです
前回来た時は
"浪速区"の方から眺めるだけだった
ずらりと並んだビジネスホテル
その中の1つに入らせていただきました
宿泊費はまちまちですが
安いところでは
1泊500円~1000円
みたいなところもあるそうです
今回入らせてもらって
見せていただいた部屋は
確か2000円くらいだったと思います

(広さ約3畳)
最近では
日雇い労働が減少していることもあって
バックパッカー用の安宿や
生活保護受給者の居住マンションとして
用途を改めたりするところも多いそうです
「飛田新地」
という場所に行きました
飛田新地は
日本最大の「遊郭街」だそうです
表現が正しいのか分かりませんが
「料亭」として登録されてる「売春宿」が
ズラリと並んでいる場所でした
(1958年に「売春防止法」が施行され、売春が非合法となったため、「売春をするための店」ではなく「料理組合」として正式登録して、中で行われる行為は「料理を食べにきたお客さんと従業員の自由恋愛」という風にすることで誤魔化しているらしいです)
約140件もそういう店があって
5つある通りの1つを歩きました
どの店も
入口は大きく開かれていて
家の中が見えるようになっていました
入口にはふたり女性がいました
ひとりは客引きの中年女性
もうひとりは
いわゆる「ホステス」さんでした
女性が歩くには歓迎されない場所で
真崎自身あまり不躾な視線を向けないよう気をつけながら
やっぱり気になって
横目でちらちらと
1軒1軒中を確認して歩きました
胸の大きく開いた
様々な衣装を身にまとっていた
ホステスさんたちは
めちゃくちゃ綺麗でした
(綺麗な方が多いと有名だそうです)
真崎が「飛田新地」の存在を知ったのは
新世界へ行った直後
「西成区についてもっと知りたい」
と思って
ネットで情報収集をしている時でした
「飛田新地で働く女性にインタビューできました」
みたいな記事を発見して
西成区に
「売春宿の並ぶ場所」
がある、という事を知りました
で
「飛田新地」で検索すると
飛田新地で女性を買って
その行為の様子が生々しく描写された
クソ胸糞悪い
おっさん達のデレデレした記事が
いっぱい出てきました
やっぱり純粋に疑問なのが
「飛田新地の女性たちは、なぜここで働いているのか?」
ということでした
当然と言えば当然
その理由は様々で
インタビューに出てきた女性は
単に金稼ぎのため
(1年間で500万貯金ができたそう)
また違う記事に出てきた女性は
彼氏の借金を背負わされて
闇金業者に連れてこられたため
昔は
九州などの地方から
無理矢理連れてこられた女性も
多かったそうで
彼女たちが逃げられないように
飛田新地には大きな壁が設置されていて
今でも一部
その壁が残っている場所がありました
料金は
15分~20分で
10000円強くらいだそうで
「この料金って、実際ソープとか行くのと比べたら安いんですか??」
と真顔で聞いて
男性陣の間に
すごい気まずい空気が流れたんですけど
その時の意見では
「高い」
と言うことでした
実際に店でその行為にふける際
シャワーは浴びず
また
避妊具をつけない場合もあるそうです
それゆえに
HIVや梅毒に感染する女性もいて
昔は
梅毒にかかった女性たちを
隔離する部屋なんかもあったそうです
ブログに全部書こうと思ったら
ちょっと大変な事だという事に気付きました
(文字数的に)
ここからは
真崎の感想を中心に書いていきます
ネットで情報とってくるだけなら
真崎のブログよりも
もっと詳しくいろいろ教えてくれるサイトはたくさんあります
でも
「百聞は一見にしかず」
です(どや顔)
第3回「釜歩き」
4月27日(土)に開催されるので
是非行ってみてください
イベントページ
http://www.facebook.com/events/126573464202118/
「飛田新地」の後
日雇い労働者の方が集まる
「三角公園」にお邪魔したり
1000個くらいベッドが設置されて
日雇い労働者の方が整理券をもらって利用できる
シェルターみたいなのを外から見たり
三角公園の外で
自作の詩を見せてくれた
イケイケ系のおっちゃんと出会ったり

(おっちゃんの詩)

(おっちゃんのトラック)
(「俺を信じん貝!!」と書いてる)
(イケてる)
釜ヶ崎に住んで40年
即興楽団Udje(ウジャ)で
太鼓を叩くおっちゃん宅でお話を聞いたり

(太鼓のおっちゃんの井上さんと)
『あいりん労働福祉センター』
の中を見せてもらったり
「釜ヶ崎」をぐるりと一周
岡村さんにいろんな話を聞き
いろんな質問をさせてもらって
2時間の「釜歩き」が終了して
考えたのは
『「人権」と「貧困」』
『「表現」と「繋がり」』
そして
『自分はここにどう向き合っていくか』
です
『「人権」と「貧困」』について
ここにいる
日雇い労働者の方々の
「人権」
しばしば
無視されてきた事だそうです
昔は
道に倒れている労働者の方を
警察の人が見かけた時に
手を差し伸べるではなく
「ムシロ」と呼ばれる
死体にかける藁布団のようなものを
その人にかけて立ち去る
みたいな事があったそうです
公ではあまり報道されていませんが
原発の開発の際に
多くの日雇い労働者の人が
現地に駆り出されて
被爆して亡くなられた方も
多くいたそうです
仕事を与えられて
仕事先の寮(「飯場」という)に入ると
日当から
「寮費」として多額の金を搾取され
そこに来た労働者の人たちが
外に出れない環境をつくり
半ば「タダ働き」のような状態で
酷使されていた日雇い労働者の方々もいました
警察の対応
劣悪な労働条件下での過酷な労働
ここに抵抗していくために
日雇い労働者の方々が起こした「暴動」
1961年に始まって
5年前の2008年までに
24回行われました
「貧困」につけこんで
生活保護を搾取するような
「貧困ビジネス」というものもあるそうで
生活保護をもらいながら
劣悪な生活状況に苦しむ方もいるそうです
「貧困」=「自業自得」
という認識は、あると思います
でも
そうじゃない事が
いっぱいあるんだと知りました
日雇い労働者
ホームレス
そうなる背景には
その人のせいだけではない
「社会構造」
という
大きすぎるものから
起因するものもあるのだと知りました
そんな「貧困」の中で
「人権」が無視されてきた
ということを知りました
『自分たちと同年代の中高生が
「ホームレスは社会のゴミだ。俺たちはゴミ掃除をしてやってるんだ。」
と言いながら
襲撃事件が起こってることを知りました。
寝ているおっちゃんたちの眼球を
ナイフでいきなりぐさっと刺す
灯油やガソリンをかけて、焼死させる
そんなひどい事件もありました』
「釜歩き」の
パンフレットに載ってた内容です
見ながら打ってる今も
怖くてめっちゃ震えます
前のブログにも書いたけど
真崎の中で
「ホームレス=危険・怖い」
みたいな認識は
正直ありました
飲料物を持っていたら
すごい勢いで盗られるとか
追剥で持ち物取られて
露店で売られるとか
どこまで嘘か本当か
正直まだ分からないけど
でも
釜ヶ崎に
たくさんの「社会の偏見」が
詰まっている
ということは、感じました
その偏見が
そこに住む方々が
「同じ人間である」
という認識を霞ませて
「人権」という概念を
その人たちから剥離させている
そんなことを
すごく感じました
『「表現」と「繋がり」』について
今回最も印象に残ったことです
釜ヶ崎は
昔から「芸能」が盛んだそうです
今回の「釜歩き」でも
昔ながらの「大衆演劇」が行われている
演劇場にも連れて行ってもらいました

演劇という
ひとつの
「芸術」「表現」
があるわけですが
「「表現」は、この地に住む人たちにとって、非常に重要なことなのです」
案内人の岡本さんに
教えていただきました
上記にも書きましたが
今回の釜歩きの中で
「詩を書くおっちゃん」
「太鼓を叩くおっちゃん」
に出会いました
社会から弾かれて
「人権」を切り離されて
自己主張はまかり通らず
他者とのコミュニケーションも
わりと苦手だという
そのおっちゃんたちが
「芸術」
「表現」
を通して
「人と繋がる」
そうです
詩を書くおっちゃんは
仲間やよそから来た人に
自作の詩を見せてくれて
すごく素敵な顔を見せてくれました
太鼓のおっちゃんは
他にも楽器や音楽できる仲間と繋がって
即興演奏のコミュニティをつくって
いろんな場で演奏しているようでした
釜ヶ崎において
「孤独」
というものが
すごく大きな問題になるそうです
いろんな事情によって
自分の職場や家族との繋がりを切って
全国から日雇い労働者が集まってきていて
年間200人
餓死者や凍死者が出る中で
身よりも分からず
誰との繋がりも分からず
無縁仏となる
「孤独死」
たくさんあるらしいです
生活保護受給者は
家を出ずとも収入が入るので
最初に貼ったような部屋で
一日中外に出ずにテレビを見る
みたいな生活に
なる人はなるようなのですが
人との繋がりがなくなった時に
心を壊す人がいるらしいです
「みんな、繋がりたいんですよ。」
という
岡本さんの言葉が
自分の中に
すごく重く残っています
自分を「表現」することは
人と繋がる術なんだと思いました
太鼓のおっちゃんがやってる
「即興楽団UDje(ウジャ)」
のページです
イベントなどやってるそうなので
興味のある方は是非見てみて下さい
「即興楽団UDje(ウジャ)」
最後に
『自分はここにどう向き合っていくか』
です
自分がいる場所とは
全然違った環境
一般的に「良くない」と言われる
貧困がはびこる環境
治安が悪いと言われる環境
そこに
ズカズカ入り込んでいって
たった2時間
そこにいただけの自分が
こんなブログを書くこと自体
すごくおこがましい事なんじゃないか
そう感じながら書いています
この"問題"に対して
自分にはなにができるのか
そもそも
「なにができるのか」
という発想自体が傲慢じゃないか
「知ること」「発信すること」で
自分自身が置かれている
「恵まれた環境にいる」
という
至極特殊な「罪悪感」を
振り払いたいだけじゃないか
釜ヶ崎からの帰りや
この記事を書く際
ものすごく葛藤しました
今回のことで知ったのが
表面の表面の表面の
薄っぺらい表皮部分のことくらいだから
まだ自分には
なにも見えていないから
なにかすべき事があるのか
だとすれば
本当に必要な支援とはなんなのか
全然分からなくて
分からないから
恐れているんだと思います
「知った顔するな」
「可哀そうな顔して立ち入ってくるな」
おっちゃん達に
そう思われることを、です
「釜歩き」が終わってから
スタッフの片野田さんと話している時
本当に無意識に
なんの悪気もなく
釜ヶ崎のことを
「スラム」
と呼んだ自分がいて
片野田さんが
少しだけ笑いながら
「自分の住んでいる町を「スラム」と呼ばれたら、どんな気持ちがするんでしょうね。」
と言って
ものすごく
鼓動が早くなったのを覚えています
岡本さん
片野田さんは
「今日のことを、是非伝えて下さい。」
と、おっしゃっていました
まだなにも分からないけど
少なくとも
行かなければ分からなかった
「勘違い」
が、たくさんあった事を知りました
「勘違い」
「知らない」
から生まれる
「悪意」
「人権侵害」
があることを知りました
今回のブログで伝えられるのは
多分これだけな気がします
あとは
「こんなブログを読んだところでなにも分からないので、「興味を持った」とか思うんだったら行って見てください。」
ということくらいです
「釜歩き」はこちらからです
真崎は
「貧困地域の教育」
「貧困地域の家庭」
に関心がありましたが
釜ヶ崎には
「家庭」
が、ほとんどありませんでした
子どもの姿もほとんど見ていません
ただ
児童館が区内に3つほどあって
「飛田新地」で
お母さんが働いている間に
預けられている
みたいな子ども達がいるそうです
ネットで調べたら
普通に一般人でも
お手伝いにいけるそうなので
関西にいる間に
一度行こうと思っています
興味がある方
一緒に行けると嬉しいです
長くなりましたが
以上が「釜歩き」の報告になります
最近いろんな意味で迷走中の
マクドナルドよりお届けしました
真崎




