ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です
インタビュー3人目です
2年目の
現役中学校社会科教員
系女子です
【秋友裕香のお話です】
「誰やねん」
な方の為に
最初に真崎から簡単に
彼女の説明をします
あっきーて呼ばれてます
山口産
兵庫在住の現役教師です
彼女との出会いは
Teach For Japanです
2年前の秋に
TFJの学習支援事業「寺子屋くらぶ」に
真崎は学生教師として参加して
その次の第3期にあたる時期に
あっきーは学生教師として
TFJにやってきました
自己紹介の時に
「芸能人では鶴瓶に似てると言われます」と言ってて
衝撃を受けた記憶があります


(「あ、ちょっと分かる」って思った記憶もあります)
インタビュー企画を考えた時に
「この人の話をのせたい!!」
思う人は
実はそんなに
多くは出てこなかったんですけど
あっきーは
すごく載せたかったです
「私の人生聞いてもなんもないよ><」
「なんも面白い出来事とかないよ><」って
まあ彼女は言うわけです
実際インタビューを始めると
自分の小中学生・高校生時代の話は
わりとさっくり話す感じだったんですけど
「子ども」
「自分のクラスの生徒」
「社会科」の話になった瞬間から
あっきーの話すエネルギーが
500倍くらいになりました
真崎があっきーを
すごく尊敬している理由です
ただの教育者です
(真崎の使う「ただの」は「純粋で真っ直ぐな」というわりと上級の褒め言葉です)
「私は知識も技術もまだまだ全然よ><」
「自信もってできるのは「愛すること」だけ><」
っていう先生です
あ
今から
あっきーの人生を書いていくわけなんですけど
山口産の方言交じりで話す彼女の口調を
完全に再現する自信がまったくないので
できるだけ近づけて書くつもりですが
勝手に語尾に「~けん」「~よ」的なの
つけながら読んでもらっても大丈夫です
たぶん
■都会から田舎の学校へあっきーは
山口で生まれました
生まれてすぐ福岡に引っ越し
幼稚園卒園まではそこにいて
小学校の6年間は
わりと都会な横浜で過ごし
中学校に上がる時に
また山口に戻ってきました
都会の小学校で育ったあっきーにとって
山口の中学校は
すごく限られた人間関係で形成される
小さな小さなコミュニティでした
「やっぱり、横浜にいた時よりすっごい田舎で、その雰囲気をすごく見下してたと思う。」
「ここにいる人たちは『井の中の蛙』だなって思ってた。」
この狭い環境の中では
人よりも勉強や運動ができれば
たちまち「スゴイ人」だったそうです
あっきー自身
小学生の時から
わりと優等生気質で
性格も明るく
学級委員長や応援団長もやるような
いわゆるシャキシャキ系女子だったそうで
中学生になってからも
勉強で1番をとったり
バスケが上手かったり
足が速かったりで
「すごい」
と言われる存在でした
「それがすごい嫌やったんよ。」
「確かにこの中では1番やけど、この学校から出たら、別に勉強もバスケも1番じゃないし、そういう"外"があるっていうことを、この学校の子たちは知らないんだろうなって、一歩引いたところからその子たちを見てた。」そんな環境が嫌で
半数以上が
市内の同じ高校に進学するのが常な中
「自分は絶対市外に行く!!」
と決め
成績の良かったあっきーは
推薦をもらって
楽々市外の高校進学が決まりました
「ここまでが、エリート路線だった^^」■エリートから外れるも楽しい学校生活
「やっぱり、自分がちっちゃいとこにいたんだって、高校に来てから痛感した。」市外の高校に来たあっきーは
中学の時とはうってかわって
勉強の順位も下
バスケの実力も下
足の速さも下
みたいな状況になり
今まで味わったことのない感覚の
「挫折」のようなものを知りました
「でも、全然ショックではなかったんよね」
「「あぁ、やっぱり自分は井の中の蛙やったんやなあ」って、そこで改めて痛感した感じ。」そんな状況下でしたが
あっきーは
相変わらずシャキシャキ系女子でした
勉強はさておき
体育大会はひと一倍頑張っちゃう
3年間応援団やっちゃう系女子でした
この時から
あっきーの中で
「将来学校の先生になりたい」という想いが湧くようになりました
「学校すごい好きで^^」
「ずっと学校におりたいって思って^^」
「じゃあ、先生やん^^」
高校の時の
楽しい楽しいイベントの数々
体育祭
文化祭
修学旅行
etc...
「先生なったら何回でもできるやん^^」
勉強を頑張ってこなかったあっきーは
センター試験でこけ
行きたかった私立には行けず
結果的に合格したのは
山口の私立1校
兵庫の女子大2校
でした
あっきーは、英語教師志望でした
「英語好きだったし、先生がすごく良かったんよ!」
「あと、フラッシュカードこうやってやるの(高速でめくる動作をしながら)やりたかってん。笑」
兵庫の2校で考えた時に
英語の免許をとるならA校
社会の免許をとるならB校
みたいな状況で
あっきーが進学を決めたのは
B校
つまり
神戸女学院でした
「TFJ代表の松田さんが、体育教師になりたくて、早稲田けって日大入学したのとは、全然逆の選び方だった。」
「その時は、ブランドで選んだんよ。」「まぁ、先生になれたら教科はなんでもいいやって思ってたんやけどね^^」
ここから
あっきーの大学生活が始まります
■社会科の授業が面白い(想定外)というわけで
大学に入学して
同時に
社会科の教師を目指して
勉強していく日々が始まったのですが
「また勉強せなあかんのが、めんどくさかった。」
「あと、私もともと社会嫌いで、センターこけたんもほんと社会のせいってぐらいで、入学した時から、他の大学に編入するか大学院に行くかして、英語の免許とろっかなってすごい迷ってたんよ。」総じて
やる気なかったようです
ただ
大学の社会科の授業が
想像以上に面白かったようです
( ≠ 真面目に受けていた)
「自分が先生になった時のことすごい考えてて、授業で聞いた内容を、「この内容自分の授業で話せる」「これ聞いたら子どもびっくりするやろなー」って思って聞いてたら、すごく楽しかった!!」ここから真崎に対して
あっきーの社会科講義が始まりました
とりあえず
真崎があっきー先生から学んだことは
〇江戸時代のお産の話・当時は立ってお産をしてた
・血は汚れたものとされていた
・ゆえに出産の時は出血するため隔離されていた
〇江戸時代の体調不良の話・当時の頭痛や腹痛に関して
・「ちっちゃい鬼が頭やお腹の中にいてバコバコ叩いてる」イメージ
・つまり鬼のせい
・医者の役目や薬の処方でなく祈ること
・まじかい
〇リンカーンの奴隷解放について・奴隷解放の理由は
・解放された奴隷たちから
・税金取れるようになるから
・まじかい
みたいな感じです
「よく、「社会とか数学とかできてもなにに活きるん?」「生きてく中に必要ないやん」「暗記して点数とってもなんにもならん」って言う人いるやん??」
「私も、その答え分からんかったんよ。」2009年
衆議院議員総選挙がありました
ある日あっきーが
その様子をテレビで見ていると
ニュースに出ているコメンテーターが
選挙の仕組みについて説明していました
議席数
与野党
ドント方式
「「これ全部教科書にのってるやん!!」って思ってん。」ちょうどその時
公民の模擬授業をしなければいけない時で
勉強の真っ只中だったあっきーは
その時
「学校の社会科の授業」
と
「自分たちの生活」
これが
密接に繋がっていることを知りました
「社会って『生きてる授業』なんだって思った。」公民は
まさに「今」に関わることで
憲法改正などがあると
どんどん教科書も変わっていくわけで
あっきーにとっては
それがまさしく
『生きてる』という感覚だそうです
「歴史は、すごい人間味があるんよ!」ものすごくさっくりと
あっきーが歴史を要約すると
キリスト教いやや!!!っていう感情からの鎖国
こいつらうぜーな!!!と思ったからその国に輸出してやんない
「子どもの喧嘩みたいやん。笑」
「そう思って話してみたら、子どもも面白いかなって思ってたんよ。」実際に教壇に立って授業していても
歴史はすごく楽しかったそうです
2年前の冬
「寺子屋くらぶ」で
生徒に社会科を教えていたあっきーが
Twitterでつぶやいていた事で
真崎が「すごくいいなー」と思ったのが
『うちは授業で「わかった」より「ずるい」「かわいそう」「やばい」を大切にしたい。「わかった」なんて教科書読んだら出来る。だからこそ教科書を越えて感じて欲しい。自分の生活とリンクさせて、その場に立った率直な気持ちが聞きたい。所詮歴史なんて同じ人が積み上げてきたものやけぇね。』『やけぇ昨日今日で社会やって生徒から自然と出てきた「幕府ずるいやん」「日本やばいんちゃう?」って言葉が何より嬉しかった(^^)そもそも流れを理解しなくちゃ出てこない言葉やもん!あの目を見たらどんなに疲れてても頑張れる!!』というものでした
「歴史を、身近に感じてほしい。」あっきーは、すごく言います
地理は、嫌だそうです
韓国や台湾など
自分が行ったことのある場所は
いろいろ話せるみたいですが
「行ったことのない場所の話しても、自分自身実感が湧かんというか、ピンとこんのよね。」ものすごく素直だと思いました
「自分が楽しく授業できると、子どもも楽しいと思ってるのが伝わるけど、自分が面白くない・苦しいって思って授業すると、子どもも下向いてたり、面白くなさそうなんよ。」
「「授業する自分が面白いと思ってないけんねや」って、すごく思った!」今実際に
あっきーは教壇に立って
社会科の授業をしています
子ども達は若い先生が大好きなので
あっきー先生にも興味津々なわけですが
「「私」じゃなくて、「社会科」が好きってなるのが、理想やね^^」と言います
■2つの支援を通して見え出す「教師像」
2011年3月11日
東日本大震災が起きました
真崎が簡単な言葉で説明していいのか
分からないくらいに
地震と津波で大勢の命が犠牲になり
たくさんの人が家族や家や仕事を失い
その状況を前に
「自分になにができるのか」
と考えた人も、たくさんいたと思います
あっきーも
例外なくその一人でした
「すごくショックで、"なにかしなきゃ!!"ってすごく思った。」
「でもできる事ってすごく小さくて、募金箱見つけたら500円入れたりしてたけど、イチローとか有名な人たちが何億円っていう額を寄付してるの見たら、自分のやってることなんてすごくしょーもないって思って、現地にも行けなかったし、すごく情けなかった。」
そんな時に
地元の山口の友達から
あるボランティアの話が来ました
福島の原発の近くに住む子どもたちは
汚染のため外で遊べなかったそうで
そんな子ども達と
原発から離れた内陸の方へ行き
「一緒に遊ぶ」という
3泊4日のプログラムだったそうです
「子どもと遊ぶことならできる!」そう思って
あっきーはそのプログラムに参加しました
一緒に遊び
お風呂やご飯
寝るのも一緒だそうで
「すごい楽しかった^^」らしいです
そのプログラムの時に
あっきーの印象に残っていたのが
一緒に参加していたスタッフの方々でした
教師・教育関係者じゃない彼らが
すごく上手に子どもと関わっていたのが
あっきーにとって驚きだったそうです
"俺たちは、先生じゃないんだよ"そう言ってたそうで
「先生っていう立場じゃなくても、こんなにうまく子どもと関われる人たちがいるんだって思うと、すごく嬉しくて、ワクワクした^^」当時
大学で一緒に
社会の教職をとっている同級生と
そこで出会ったスタッフの方々とで
あっきーの中に
すごく比較が起きたようです
あっきーが言うには
一緒に教職をとっている人たちは
「とりあえず親に言われたから」
「せっかく大学来たしなんか資格とろ」
くらいの気持ちで
教職の勉強をしていたそうで
授業の中で模擬授業や発表をしても
その子達から返ってくるフィードバックは
「いいと思います」
「良かったと思います」
みたいな
当たり障りのないものばかりで
子どもに対してのスタンスも
どこか
"大人ぶってる"
ものを感じたそうです
「キャンプを一緒にやった人たちを見てると、それとはすごく逆で、「子どもと一緒にやる」っていうのが見えて、すごく良かった。」
「この経験を通して、すごく泥くさくなった笑、というか、子どもの前で変にかっこつけなくなった!」あっきーは学校でも
「大きな声であいさつ」
と生徒に言うなら
まずは自分が
誰よりも大きな声であいさつ
ピアスや茶髪禁止
と生徒に言うなら
自分だって
同じくピアスも開けないしずっと黒髪
みたいな先生です
「「大人だからこう、子どもだからこう」っていうのは、絶対にしたくない。」それからしばらく経った
あっきー4年生の11月
その時のプログラムとは
また全然違った企画に参加しました
小学生対象の
「セカンドスクール」
というもので
学校勉強と日常生活が一緒になっている
長期宿泊プログラムみたいなのらしいです
(説明合ってるか自信薄)
先程のプログラムとうってかわって
今度は
「先生」という立場で
あっきーは子どもたちに関わっていきます
あっきーは小5担当で
勉強の補佐的な役割だったそうなのですが
やっぱり
勉強が遅れていたり
人よりも行動が遅い
そういう子たちもいるわけです
「そこで、「待つ」「見守る」を学んだ。」
「早くできない子どもに対して、「早くしなさい」って言うんじゃなくて、その子ができるまで見守りながら待ってる、ってすごく大切なんだって、学んだよ。」また
この時の立場が
「先生」
だったことから
「叱る」ということをするのが
必要とされる場面にも出くわすわけで
「大学3年生までは、実際に現場に出たことがなくて、こうやって実際に子どもに出会う中で、いろんなやるべきことだったり、スキルが必要になってくるんだって思った。」
「こうやって、"自分の教師像"が明確になってきたんよ^^」
「大人だから」
「子どもだから」
というのが嫌
というのも含めて
真崎がめっちゃ好きな
あっきーのスタンスが
もうめっちゃクサいんですけど
愛なわけで
「プログラムの中で、自分が関わった子どもたちに、「あっきーの班で1番良かった」って想ってほしいって思ってたんよ。」
「それは、なんていうか、「あっきーはお菓子くれたから」とか「あっきーの班だと早くご飯食べれたから」とかじゃなくって、『あっきーは自分たちのことをこんなに大切に想ってくれたから』って、子どもたちに想ってほしかった。」
自分には
すごいスキルや知識で
子ども達を惹きつけたり
GTOの鬼塚先生とかみたいに
すごいリーダーシップで
ぐいぐい生徒を引っ張っていくことはできない
「「みんなのこと大好きで、大切なんだよ」って、言葉じゃなくて、行動を通して伝えること、あったかい雰囲気をつくることしか、自分にはできんけんね^^」
(生徒が書いたあっきー画)
TFJであっきーと出会ったのは
おそらくこの体験の直後でした
上記の言葉が
嘘じゃないというかなんというか
言葉にするまでもなく
あっきーの全身から溢れているのを
生徒と向き合うあっきーの姿から
すごくすごく感じてきました
一生懸命すぎて
生徒が大好きすぎて
生徒が大切すぎて
教育への想いが強すぎて
大好きで大切だった彼氏とすれ違って
寺子屋の途中で別れるくらいには生徒一筋みたいな女でした
(ごめんあっきー載せるわ)
そんな傷心あっきーを
心から心配して相談にのる生徒の姿もあり
すごく良い意味で
「一緒だなあ」
と感じました
今は
兵庫県の公立中学校で
大好きな子どもたちと
毎日楽しい日々を過ごしているようです
去年1年だけ
担当するはずだった学校で
とにかく全力で生徒と向き合い
話を聞いている限りでは
時に全力で生徒と喧嘩し
合唱コンクールの時にも
直前で生徒がバラバラになる事があり
あっきーも思わず
「なにがNO1の絆なん!?」と
終学活で生徒に本気でぶつかり
次の日生徒全員に手紙を書く
みたいな事もしたそうで
「結局合唱コンクールでは3位入賞できなかったんやけど、その結果発表の時に、生徒達が私の方バッて向いて、指で「4」ってやってきて。」
「「僕たち、4番だったんだよね」みたいに、私に笑いかけてくれたんよ(´;ω;`)」こんな事を
日夜繰り広げているようです
1年で学校が変わる予定だったので
担当していた中2の生徒たちが
卒業するのを見られないことは
最初から分かっていました
終業式が終わって
最後の最後のホームルームで
やっぱり
あっきーは案の定
クラス全員に手紙を書いていって
表彰状を渡すみたいに
ひとりひとり名前を読んで
前で手紙を渡す
みたいな事をしました
(途中から嗚咽が入ります)
出席番号1番の子が
なかなかのやんちゃ坊主だったそうで
合唱コンクールの時に
「喧嘩」した男の子でもあったらしいのですが
あっきーの手紙をもらって
その場ですぐに開いて
「ひとりに対してこんないっぱい文章書いて、アホやん!!」と言いながら
嬉しそうに読んでいたようです
そのやんちゃ坊主が
予想外の手紙を
あっきーに書いてくれていて
「来年も、先生のクラスがいい」と書いてくれていたそうで
まさかの
あっきー先生残留になりました
いろいろあって
同じ学校に残ることになって
中2から持ち上がりで
また
大好きな生徒たちの
担任をする事になりました
「そのやんちゃ坊主がまた同じクラスやってん^^」
「お互いお別れやと思ってたのに、また私がおって、しかもまた一緒のクラスやったから、「えぇ~~~~~~~~~~~~」ってなってた^^笑」
「卒業のこと考えるともう泣きそうだけど笑、また1年間あの子たちとおれるのが、すっごい嬉しい!!」
学校にいると
いろんなしがらみがあったり
必要になってくる力や知識も
もちろんまだまだあるそうですが
「私は、『子どもが好き!!』だけでいいやんって思ってる*笑」っていうあっきー先生が
真崎はとても好きです
真崎