大尉の娘  プーシキン | muchaholyのブログ

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以前であれば、本屋さんに行って並んでいる本を見ると、あーこれ読みたいという本がたくさん見つかったんですが、今はどれを読めばいいのかわからなくなっていて、好きな本を見つけるアンテナが鈍ってしまっているのを感じます。
 
なので、ここ最近読む本は、舞台、映画、テレビドラマの原作ばかり。
「大尉の娘」も宝塚スカイステージで観たことがきっかけで読んでみました。

 
『宙組公演「黒い瞳 -プーシキン作 大尉の娘より-」』
『「大尉の娘」プーシキン作 坂庭淳史訳』
 
比較しながら読むと単純に舞台と原作がどう違うのかを知ることも興味深いし、より作品に対する理解も深まる気がして面白い。
「大尉の娘」プーシキンの晩年の傑作と紹介文がついてましたけど、プーシキン37歳で亡くなっています。
 
とても若く亡くなられたんですね。そして、亡くなった理由を知って驚きました。
妻の浮気相手に決闘を申し込みそのときの怪我が原因とのこと。
「大尉の娘」の主人公ニコライ(宝塚ではニコライですが、原作ではいろんな名前で呼ばれるので頭の中でこんがらがってしまいました)のようですね。彼も愛するマーシャのためなら決闘も厭わないので。
 
ストーリーは、ニコライとマーシャの恋愛を主軸にプガチョフの乱が絡んできます。
その反乱に巻き込まれ、主人公二人が代わる代わる窮地に陥いり、それをまたお互いに代わる代わる相手を救ってハッピーエンドというものです。
 
割と単純なのですが、その窮地に陥る要因として宝塚ではマーシャの出生の秘密が関わってくるんですが、それは原作にはなし。
マーシャは、砦を護ったロシア側の英雄の大尉の娘です。それは宝塚も同じなんだけど、実はマーシャはコサックの娘で大尉の養女になっているという設定。
 
その設定のために、舞台だと話がごちゃっとし過ぎてわかりにくくなっていた気がします。
出生の秘密ってドラマチックだから、それを狙っての改変なのかな。
 
宝塚舞台用の脚本って、まずトップさんを中心に書かなくてはいけないし、番手ごとの登場人物を考えて配役を考えたり、
大劇場作品だとしたら、大人数の公演のため登場人物も増やすことも必要だし、と制約が多くて大変そうです。
 
脚本は柴田侑宏さん。
よく聞く「柴田作品」という言葉。
私が最近見ただけでも「バレンシアの熱い花」「うたかたの恋」「フィレンツェに燃える」等々再演されている作品が多数。
原作ありのものやらオリジナルの作品やら一体いくつ作品を残されたんでしょう??
偉大な脚本家であり演出家さんなんですね。
 
小説の翻訳家さんは坂庭淳史さん。
こちらは2019年発売、かなり新しい翻訳本のため読みやすかったです。
ただ、固有名詞や、引用されている出来事等、細かに注釈がついていて、読み進めながら途中で立ち止まらなければならず面倒なこともありました。
坂庭さんという人は作家さんというより、学者さんなのでしょうね。
文庫本の中の後半3分の1程度が訳者による解説という点も学者さんならではかもです。
 
新訳するにあたり、主人公を「わたくし」等ではなく「僕」とすることにこだわったとのことですが、そうすることに「宝塚で僕となっていることに勇気をもらったとありました。
ご覧になった舞台は、真琴つばささんが演じた初演だったとのことですが、柴田解釈が、翻訳にも影響を与えたとは面白いですね。
解説のなかで、原作は色あせないけれど翻訳は時代を経るにつれて古臭く感じるようになるというようなことをおっしゃっていました。だから、新しく翻訳する必要があるのだとも。
 
とすると脚本にも言えることかもしれないですね。
柴田作品を宝塚では古典と考えたとすれば、その古典の良さを味わうのも良いけれど、「大尉の娘」に限らず、原作のある舞台を別脚本を観るのも楽しそうだな、なんて思いました。