脳卒中系のブログや日記はとても真面目です

発症後からリハビリの様子そしてその成果を見ることの

できる本当に真摯なものが多いです

当たり前ですよね みな真剣ですもの!

あたしも入院中は救われた一人ですしね
勿論 五年間のリハビリの様子を

あたしも綴っていくのですが現実は微妙です

だからこそ少し恥ずかしい事や

馬鹿なことも書いてみます
どんなふうに感じ どうなったのかを

正直に書くこともアリだと思うからです

アップ あたしの中性脂肪君を倒したたナイスなやつです

 そのお話し

 

お正月も明けリハビリも再開されました

 

残念ながら左手の進展は何もありません
亜脱臼が痛くて痛くてー なのです

デルタレゾナンス を聞いているときは

そこそこいいのですが
リハビリや検査のときは痛いビックリマーク

作業のリハビリもほぼマッサージ状態・・・
調べても腕・手首・指は動きづらいと ・・・

五年たった今も厳しい~のです

まぁ右手の手伝いを少しだけさせてます

それでも動くイメージ作りだけはやめない!

 

その頃は筋肉の緊張も無かったので
逆にだら~んとぶら下げているしかなく
間違えて踏まないことがリハビリだったかもです

言葉と顔は顔運動や音読のお陰で
まぁまぁ良くなったと思います

病気のことを知らない知人に

電話しても わからいようでした


顔運動でググると沢山出てきます
健常な方にもオススメですビックリマーク

左足は少し変化がありました
もちろん歩くことはできませんが
股関節と太ももが意思のもと
動かせるようになりました

本当に僅かですがねー

 

車椅子には随分慣れて同じフロアの病棟内を
一人で移動することが許されました

 

下肢の麻痺は足首がダメになる

ことが多いのです ですから
当然カカトをつくことが出来ないわけです
人は歩く時はカカトから着地するでしょ?
当たり前のことですが忘れていました
車椅子をこぎながら 麻痺した左足のカカトを
なるべく使う !!

これを自主リハビリの日課にしました

 

リハビリの進捗はこんな感じでした

 

以前に少し書いたことですが
あたしがここで見た あることが衝撃的でした
そして 「やってやるぜ!」になったお話です

この病院は事故など脊髄損傷になった方の
リハビリ受け入れに熱心でした
その後 作業療法のKWさんも脊損(脊髄損傷)

の人のケアを目的とするNPOを

立ち上げる事になるほどです

あたし 「ここってすごく若い人も多くないはてなマーク
KWさん 「脳卒中の方も多いんだけど

事故なんかで障害を負った人も多いんですよ」
あたし  「そうなんですかぁ」
KWさん 「交通事故が多いですねぇ

特にバイクかなぁそれで若い人も多いんですよ」
あたし  「バイクですかぁ・・・」  

あたしも16歳から乗ってます
KWさん  「脊損の人は色々な障害があるんです

下肢が駄目な場合排泄のコントロールも

厳しい場合が多いんですよ
だからむーさんは まだ良いほうなんですよ
頑張らなきゃですね」

 


リハビリ室の運動用ベッドで まだ高校生くらいの

女の子が両手で身体を支えながら

必死に身体の向きを反転させようとしています
何度やっても上手くいきません
暖房が入ってる室内でも 寒い冬なのです
でも彼女の額には大きな汗が光ってます


腹から振り絞るような うめき声にも似た

呼吸音が響き 彼女は挑むのです
何度も何度も何度もです

 

回りには数人の彼女の友達らしい女の子が
 「できるよ!できるよ!」
 「ガンバ もう少しだよー」

小さくても熱いエールです  彼女は
  「よーし やるよぉ!!!」
明るく大きな声で答えるのです


あたしは号泣してしまいました
頭をハンマーで殴られたような衝撃でした

彼女があたしを見て

「どうしたの おじさん 大丈夫?」

あたしは頷くのが精一杯でした

それ以上は無理でした

 

自分がいちばん不幸だと思いあがっていました
あたしには今は動かないけど左足はあるし
元気な右足もあるんです
なんという勘違い野郎だったのでしょうか・・・
バカにも程がある!

 

少し恥ずかしいけど本当のことです

 

このことが 今後どんなことがあろうとも
笑って立ち向かおう

と あたしに決意させたのです

このあとも脊髄損傷の方とは

運命的に出会うことになります

そして

あたしが出会う脊髄損傷の人は

どの人も どの人も

熱いかたまりでした

あたしの明日を照らしてくれたのです


   まだまだ続きます