高校の頃のわたし | むっちぃのブログ

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100万人に1人の難病から車椅子ミラクル人生記。


昨夜から頭痛が激しかったけど
あまり飲みたくない薬だったけど
今朝飲んで寝てたらすっきりしました^^w
よかったーー

福岡はまた曇ってきましたが
明日から晴れという予報です!

高校の頃の私は
中学2年から病気になった母を
看病するようになり
一番酷くなったのは高校からでした。

母も今まで元気いっぱいで好きなことしてきた人だから
突然の病気で自分の思ったようにいかなくなり
お薬の副作用もあってイライラしたりしていました。

私はまだ子供だったから
母の気持ちまではわからずにいたけど
高校から帰るのが20時過ぎるけど
それからご飯作ったり洗濯もの片づけたりとしていました。

そういうことは自分がやればすむことだったけど
一番きつかったのは母が怒ることでした。

「あーしてこーして」といってくるし
イライラして私が作ったものには
「これは食べれん!」「朝ご飯も昼ごはんも作れ!」という。

その頃の私の生活は朝5時前起きて
洗濯して
簡単な朝食を作り、昼はパンをおいて
6時半に出てから帰ってくるのは8時過ぎ。

なので就寝時間はあまりなく
夜母の病状が悪くなるため
2時ぐらいに起きて看病していました。

そういうのはよかった。
とにかく母の発する言葉がつらくて
高校にいってる方がよくてラクだった。


高校では明るくよく笑って他のクラスの人たちからは
「元気だね!楽しそうだね」っていわれてましたが

授業をちゃんときいてたけど
時には
授業中に泣いていました。
休み時間に親しい友達に愚痴をきいてもらったりして。。。

他のクラスの人からは
「元気やね!」とか

母のことをわかってあげれなかったし
母も私のことわかってくれなかった。
親子だからわからなかったんだと思います。

時にはすっごいケンカしたりして
お互いどうかしてたと思います。

今はこうやっていえるけど
昔は本当辛かった。母と変わってやれないし
人にあたる母も嫌いだったし
本当、今だからいえることです。

そして
今は病気した人のこと
看病する側の人のことはある程度わかることはできると思うけど
それは
昔母とケンカしたからわかってやれることで
今までできた自分のことが
できなくなった人の辛さ、歯がゆさは
その人にしかわからない・・・。

(私の場合)
でも話をきいてやることはできるし
どこかで病気した人が
病気した自分が悪かったんだと思えたら
今の自分を変えれるのは自分だけだと思えたら
つらいリハビリなどやってのけて
できるだけ自分のしたい生活に近くなれると思います。

高校の頃の私の経験があったから
今の自分まで乗り越えれたし乗り越えようと思うし
母とも昔のことを笑って話せるようになれたと思っています