その通りでいちばん華やかだったのは、街灯の造花の花飾りだった。風に揺れ、ときにきらめく。その次に、万国旗。けれど、どちらとも、同時に、人通りの少なさを際立たせるものだった。
駅裏にはちょっとした商店街があった。商店街と聞いて思い浮かぶものがたいてい並んでいた。昔からあったタバコ屋は最近つぶれ、閉じられたシャッターが日光をただ跳ね返す。にぎわってた昔のことは、古い写真だけで知っている。観光客が訪れるようなところではない。わずかに常連客があって、細々と商う店がほとんどだった。
角の居酒屋には、犬小屋があって、大きな耳を垂らした大型犬が、いつも顎をつけて寝そべっていた。起き上がってるところをめったに見たことがなく、通行人があっても、一瞥もくれなかった。もちろん、威嚇して吠えることもない。まるで弾力のなくなったクッションのような犬で、季節を問わず、犬小屋と一体化し、夏には肩で激しく息をした。
元々、やさしい性格だったのかもしれない。哀愁とか悲哀とかいう言葉が浮かぶけれど、その犬だって、元気な赤ちゃんの頃だってあったのだ。走り回ったり、母親にミルクをせがみ、いたずらに毛布の端なんかをしがんだりしたひとときが確かに。あまりのかわいさに、通行人たちも足を止め、わざわざしゃがんで、話しかけたり、見惚れたときもあったかもしれない。おそらく、その当時は、商店街にもまだ活気があっただろう。
街灯の花飾りと万国旗がいつから始まったのかは、わからない。私が歩く頃にはすでにあった。晴天の日、風が吹けば、赤やピンク、黄色、水色の造り物の花弁がさらさらと音を立て、きらきら光った。足元を見れば、アスファルトに電線や建物の影がくっきり刻まれ、白線の内側に立つ郵便ポストは古い社のように鎮まっている。寿司屋の扉は、まるで一世紀前に開いたきりだった。その瞬間、この世に自分以外誰もいなくなったような感覚さえした。角を左に曲がっても、人の姿はなく、けれど、犬小屋があって、いつも寝そべる犬がいることは知っていた。
私は何気にその角を曲がった。つい先日のことだ。
ほの暗い犬小屋の中に、造花の花束が、花弁を通りに向けて、たむけられていた。
造花の華やかさは、変わらないものだけに、変わるものの定めを照り返す。
通り過ぎた後、もう一度振り返ったけれど、犬小屋には、やっぱり花束しかなかった。
(文・写真原人)
