N146 : 岩泉線、JR東日本が廃線表明へ…脱線事故を最後に復旧できず | 一日一鉄 ~ほーぷの鉄道ニュース~

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日本全国全鉄道路線(JR・私鉄両方)を完乗した経験を元に、鉄道業界に関して戯言をぶちまけていくブログです。現在は日々の鉄道ニュースへのコメントがメインですが、そのうち乗り鉄記録を整理して載せていくかも知れません。

 JR東日本は30日、2010年の脱線事故で全線運休していた岩手県内のJR岩泉線について、廃線にする方針を発表した。
 落石や岩盤崩壊を防ぐ工事に約130億円が必要とされる一方、1日1キロあたりの平均乗車数が46人(09年度)とJR東の在来線で最下位にとどまることから「復旧を断念せざるをえない」と判断した。JR東が新幹線の並行在来線以外の路線を廃止するのは1987年の発足以来初めて。

あまりのショックで何も手につきません…心ここにあらずといった感じです。
正直、ブログを書く気力も湧かないのですが、このやるせない気持ちをどこかに残しておかないと、自暴自棄になってしまいそうなので、今の思いを綴ることにします。

長文になってしまうと思いますが、もしよければ読んでもらえると幸いです。

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岩泉線といえば、昨今ではメディアによく取り上げられる路線ということもあり、鉄道ファンは勿論、鉄道の事をあまり知らない人でも名前を聞いたことがある方が多いのではないかと思います。
岩手県の茂市駅~岩泉駅を結ぶ38.4kmの単線非電化路線です。

この岩泉線、なんで有名かというと…一日に走る列車が非常に少ない超閑散路線だからです。
なんと全線直通が3往復と、区間運転が1往復しかありません。
茂市駅発の全線直通列車は7時台1本、15時台1本、18時台1本のみとなっています。

始点の茂市駅ですが、山田線というこれまた一日に数本しか列車が走らないローカル路線の途中にある駅で、茂市駅にたどり着くだけでも一難関です。
また、終点の岩泉駅はその先に路線が通っていないため、岩泉線以外の列車で到達することが出来ず、それゆえ岩泉線は盲腸線という扱いになっています。

そのため、地方ローカル線の中でも乗車難易度が極めて高いことで有名で、鉄道ファンであれば一回は絶対乗ってみたい路線になっています。

しかし…あの忌まわしき事故から、岩泉線に列車が走る日が来なくなってしまいました。

そう、あれは、2010年7月31日の早朝のことでした…。
前日から降り続いた雨の影響により、岩泉線押角駅~岩手大川駅で土砂崩れが発生し、その土砂崩れに突っ込んだ車輌が脱線する事故が発生しました。
この事故では死者は発生しませんでしたが、とてもじゃないけどすぐ復旧できる状況ではなく、この日を最後に岩泉線は時間の流れから取り残されてしまいました。

途中、脱線した列車が救出されたり、「岩泉線土砂崩壊災害原因調査検討委員会」が設置されて復旧に向けた体制が作られたりと、復旧に向けて問題なく動いているように感じました。
しかし、この委員会で検討されていたのは、復旧するための方針ではなく、今回のような事故が起こる可能性の洗い出しと、その対策にかかる総費用でした。

結論として、「今回のような大規模な岩盤崩壊の可能性23箇所、運行に支障のある落石の可能性88箇所」と報告され、対策にかかる総費用は約130億円と見積もられました。
これだけの費用をかけて利用する乗客が多いのであれば問題ないのですが、岩泉線は全国屈指の閑散路線ということもあり、一日の平均乗車人数がなんとたったの46人。

このため、大金をかけても元をとれる見込みがほとんどなく、復旧に向けた動きが日々鈍化していってしまいました。
そして、忌まわしき事故から1年半以上経過した2012年3月30日、JR東日本が「廃線」という発表をするにいたってしまいました。

JR東日本の公式発表内容は下記を参照してください。
岩泉線(茂市~岩泉)について

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記事としてはここまでなのですが、ここからは個人的な想いを綴っていきます。

岩泉線は先程書いているように超ローカル路線として有名であり、また途中に押角駅という超秘境駅も存在しているため、以前よりかは活気があったように思います。
ただ、活気があったといっても活気をもたらしていたのは鉄道ファンがほとんどであり、地元の方々からの活気というのは残念ながらあまり感じませんでした。

脱線事故後は、岩泉町でもJR岩泉線復旧応援サイトを立ち上げて、一日も早い復旧に向けて活動はしていたのですが、この活動だけで将来的な乗車人数の増加が見込まれるとは判断されなかったようです。

以前から何回かこのブログには書いていますが、やはり鉄道は地元の生活に密着したものでなければ生きていけないわけです。
岩泉線に関しては、一日の平均乗車人数が日本の鉄道の中でも劇的に少なく、改善される見込みもほとんどないため、やはり「廃線」という判断は致し方がないところかなと思います。

ただ、岩泉線がこのような閑散路線だったのにもかかわらず、今日まで運行されてきたのにはきちんと理由があったわけです。

まだ国鉄の時代、各地で鉄道路線を次々に開通させていったわけですが、時代が変わっていくに連れて、人々の生活スタイルも変わっていき、使われない路線がどんどん増えて行きました。
そんな中、1968年に赤字路線を整理して廃止していこうとする運動が起こりました。
俗に言う「赤字83線」とはこの運動により廃止対象となった路線のことです。

実は、この岩泉線も「赤字83線」の中に入っていました。
つまり、当時から閑散路線であり、廃線も止むなしな状況だったわけです。

しかし、このタイミングで岩泉線は廃線になりませんでした。
それは、代替となる交通手段が確立されていなかったからです。
他の路線では、モータリゼーションの進行により道路基盤が整備され、代行バスが走るという理由で廃線になった路線も多かったのですが、この岩泉線に関しては、道路基盤が整理されていなかったため、廃線を免れたという歴史がありました。
(同じような路線として、現在一部区間が運休しているJR東海の名松線があります)

当時に比べたら、岩泉線周辺の国道(340号・455号)も整備されてきており、脱線事故後は代行バスがこの国道を運行していました。
ただ、乗客からは「岩泉線に比べて時間がかかりすぎる」「カーブが多くて揺れが大きいので乗ってるのが辛い」といったような苦情も結構あったようです。
そのため、代替となる交通手段が確立されているか…と言われると微妙な状態なわけです。

また、東日本大震災の大津波により、三陸海岸の鉄道路線が大きな被害を受けていますが、こちらもJR東日本と三陸鉄道で全く違った対応になっています。
三陸鉄道が2014年の全線復旧に向けて物凄く積極的に頑張っているのに対し、JR東日本の被災路線の一部は鉄路による復旧を諦めてBRT(バス専用車道)に置き換える方針を表明しており、消極さが否めません。
今回の岩泉線の廃止表明を受けて、被災路線も廃止への流れが加速してしまわないかどうか非常に心配です。

実はこの話、少し裏があって…赤字路線である三陸鉄道は自力での復旧が無理なため、震災復興費としてほぼ全額国費で復旧する方針となりました。
しかし、黒字経営をしているJR東日本は自力で復旧させるだけの力があるため、復旧するかどうかは国の判断ではなく、あくまでJR東日本の判断に委ねられているのです。

赤字路線を抱えている鉄道会社は、経営を立て直すためにいろいろな経営努力をしており、例えば、三陸鉄道では「こたつ列車」のような乗客の興味を引く列車を走らせています。
しかし、JR東日本はお殿様商売になっていて、そういう改善をしていく動きが一切見られないのが非常に不満です。
よっぽど第三セクター化された方が、その路線にとっても幸せな第二の人生を送れるのではないか…とも思い始めています。

今回の岩泉線といい、三陸海岸沿いの路線(山田線・大船渡線・気仙沼線)といい、JR東日本の方針次第で全てが決まってしまいます。
地方自治体や地元住民の方々には、これ以上廃線への動きが加速しないよう、改めて一日も早い運行再開を訴え続けてほしいなと切に願います。

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最後に、岩泉線に対する想い出を少し綴ってみます。

岩泉線に初めて乗車したのは2008年2月になります。
そして、これが最初で最後の岩泉線の乗車となってしまいました…。

当時はまだ乗り鉄を始めてまもないこともあり、岩泉線という超ローカル路線に乗れるだけで感動してしまった記憶があります。
当時はまだ鉄道写真を撮ることにあまり興味がなかったのですが、さすがに岩泉線ということもあって、何枚か携帯電話のカメラで撮影していました。

岩泉線の起点、茂市駅の駅舎(2008年2月)


岩泉線の終点、岩泉駅の駅舎(2008年2月)


岩泉線の終点、岩泉駅の車止め(2008年2月)


そして、2010年8月…実はもう一回岩泉線に乗る計画を立てていたのですが、残念ながら7月に脱線事故が発生してしまい、二度目に乗ることはかないませんでした。
茂市駅までは行くことが出来ましたので、茂市駅の写真だけ撮り直してきました。

岩泉線の0kmポストと、本来岩泉線まで直通するキハ110系(2010年8月)
この列車は宮古駅始発で茂市駅から岩泉線に直通する列車なのですが、岩泉線運休により茂市駅止まりとなっており、回送列車扱いとなっています。


茂市駅の駅舎全景(2010年8月)


茂市駅の時刻表(2010年8月)


茂市駅の代行バス時刻表(2010年8月)


茂市駅に到着した岩泉線の代行バス(2010年8月)


茂市駅の駅舎に飾られている、岩泉線で使用されていたタブレット等(2010年8月)


茂市駅の跨線橋からホーム全景(2010年8月)
左側が山田線(盛岡駅方向)、右側が岩泉線(岩泉駅方向)
もう右側に行く列車は発車しないのでしょうか…。


こうして撮影した写真を振り返ると、当時のいろいろな感情が蘇ってきます。

2008年に念願の岩泉線に乗車し、岩泉駅まで乗りつぶせた時の感動はひとしおでした。
当時は本当にまだ乗り鉄の走り始めだったため、超ローカル路線である岩泉線に乗る事自体が乗り鉄ステータスの一つであると考えており、それが実現できたことによって自分自身のレベルアップを感じた瞬間でもありました。

2010年は運行されていない岩泉線の状況を少しでも知りたく、茂市駅まで行って自分の目で状況を確認してきました。
実際の事故現場まで見れたわけではなかったのですが、実際に茂市駅で止まってしまった列車や、代行バスを見ているとやるせない気持ちでいっぱいになりました。

そして、今回廃線が表明されたことにより、その悲しみは一層深いものとなってしまいました。
まるで、同僚が突然亡くなってしまったかのような、衝撃的な悲しみに包まれています…。
今は抜け殻のようになっており、ふとこのことを思い出して気持ちが滅入ってしまったり、なんとなくフラフラ歩いてしまったりしていて、自分自身、非常に精神不安定な状態です…。

まだ正式に廃止届を提出したわけではありませんので、今後の活動次第ではもしかしたら結論がひっくり返って復旧に向けて動き出す可能性もないわけではないのですが、現状から考えてその道はかなり厳しい物になるかなと感じています。
とはいえ、諦めてしまったら最後なので、今一度岩泉線の廃止が回避されるよう、自分としてもこのブログを通じて想いを伝え続けていきたいと思います。