【なちゅの履歴書⑨】リーマンショックと2回目の挫折(社会人2年目) | なちゅの市川綜合研究所

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そんな感じで所謂リーマンショックが直撃した・・・というよりは、その前段階で発生した急速な信用収縮傾向によるリスクオフ志向と、専ら私自身の問題であるハイレバレッジにより順調に資産は減っていきました。毎日含み損の銘柄が増えるばかりで、含み益は回復せず、信用取引の維持率のルールも現在よりも厳しかったので、さすがにレバレッジを維持出来ず、毎日の様に追い証が発生しました。小銭しか入っていない銀行口座や手元置いて使わずに貯めていた配当金(当時はまだ郵便局に領収書を持っていって現金でもらっていた)等ありとあらゆるお金をかき集め、ATMを通じて無限に入金していた覚えがあります。ただどれだけ入金しても、自分の持ち株は機首をもたげることはなく、底なし沼に引きずり込まれるかの様にお金が減っていきました。結局、私の総資産はピーク時の10分の1というかそれ以下(具体的には1千万円強が数十万円台前半?に減った)にまで減少し、長年持っていた長期保有の優待株にまで手を付け、その大半を失ったあたりで全ての建玉をクローズしました。時系列的には、最後はリーマンショックでとどめを刺され、息の値を止められた形になります。

ちなみに当時の私は社会人2年目くらいでしたので、毎日の様に月給相当額分が失われていくのは本当につらかったです。そもそも社会人1年目は給料に住民税がかからないので税金面で非常に有利なはずなのですが、前年は株で儲けすぎてしまったので、翌年は税金の工面にも大変苦労した覚えがあります。「なぜ俺はこんなにも損しているのに、こんなに税金を取られるんだろう・・」わずかな手取りの初任給から多額の税金を払ったため、ひもじい思いをしました。四半期に一度の分納で行政から請求書が来るのが本当に怖かったのを覚えています。

翌年からは信用・現物を含めた個別株投資は一切やめ、日々の生活も切り詰めて節約していくようになりました。具体的に言うと、味の素あたりが製造している400gの冷凍チャーハンをスーパーの冷凍食品半額セールの時にいくつか買って冷凍庫にストックしておき、それを分割して食べたり、たまにスーパーで日清のカップラーメンが80円位で売っている時にはそれも買って、日高屋さながらのラーメンチャーハンセットにして食べていました。牛丼やコンビニ弁当も贅沢品でしたが、給料日くらいは買って食べていたような記憶があり、その日だけはコンビニ店頭のホットコーナーの「からあげクン」みたいなやつも買うのも楽しみで、当時の私はさながら「1日外出録ハンチョウ」みたいな世界観でした。大金を失って日々悲壮感に打ちひしがれていたものの、日々そうした小さな幸せを見つけるなどして何とか生きていられたのは、当時の私はまだ20代半ばと若く、一般的には失敗してもやり直しの効く年齢であったというのもあるかと思います。(続く)

 

※次の記事 2019-11-13

【なちゅの履歴書⑩完結】リーマンショックからの立ち直り(~現在)。

 

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