ご覧いただいている皆様
初めまして!
代表のすだです!
本日は私の自己紹介を記事にしたいと思います。
今までの経歴や、今やっていることをまとめますので、ぜひご覧いただきまして「いいね」や「フォロー」をお願いいたします。
生い立ち
1984年2月27日 東京八王子市に3人きょうだいの3番目として生まれる。幼いころから喘息を患い、幼少期は虚弱体質だった記憶しかありません。エピソードとすれば、町内会や通っていたサッカースクールのキャンプで花火をやった時、元々煙で発作が起きることがわかっていたので参加はできず、宿の中から見ていたのですが、風向きが宿に向いていたことにより、煙を吸って発作が起きてしまいました。そんなことある?という様な貧弱ぶりですね。
そんな私は体質改善を目的として、あらゆるスポーツに挑戦しました(両親には感謝です)。
幼稚園→水泳
小学生→少年団のサッカー・町内会の野球・小学校のクラブでバスケット
中学生から大学生まで陸上の長距離
どのスポーツも広く浅くこなせていた私は中学生になり、陸上と出会うことができました。
当時有名な先生が顧問でおりまして、男子より女子が活躍しているクラブでした。
私はどのクラブに入るか迷ったあげく、周囲に言われた一言で部活が決まりました。
「スポーツの基本は走ることだよ」
確かにな。と思い、陸上部の門をたたきました。
喘息持ちの私は発作さえ起きていなければ多少は走れる男の子でした。
→地区の大会で3位とかになるくらい
しかし、部活に入った私が見た現実は
「女子より遅い」
非常にショッキングでありましたが、闘志に火が付いたのは確かでありました。
コツコツと努力を重ね、発作も1年に1度のペースくらいまで落ち着くくらい体力が付きました。2年生になっても早い女子の先輩には勝てず…でしたが、男子長距離も全国中学校駅伝に参加する事ができ、どんどん陸上にのめりこむこととなりました。
個人では東京都で両手に入るくらいの実績でしたかね。
全国駅伝2年連続出場の私は高校はどこでも行けるくらいの知名度がありました。
しかし、通学や自分の学力のことなど考えて、実家から近い八王子学園八王子高等学校へ進学。
練習環境もほとんど変わらず、充実した練習をしたことによってメキメキと力をつけることができました。
3年時には個人で南関東大会に2種目で出場。
東京都高校駅伝でも学校として上位7番目に入る実績を出しました。
大学は国士舘大学へ進学、ここで初めての挫折を味わいます。
度重なるケガと、手術です。
「足根骨障害」という足の甲の骨が軟化してしまう症状でした。
手術しても現役で続けられる確率は30%くらいと宣告。挫折を味わった私は部活を休部。
普通の大学生になろうとしました。
しかし、陸上から離れることはできず、高校の手伝いなどを通じたり、国士舘大学が11年ぶりに箱根駅伝出場の切符を手に入れたりとワクワクする世界はやはりそこにあるんだなと改めて痛感し、箱根駅伝が終わった1月に部活へ復帰しました。そこからは選手ではなく、マネージャーとしてチームをサポートする側となりました。
・タイム計測
・給水準備
・合宿帯同
・大会帯同
・選手の管理
・その他色々
このマネジメント経験が今の私を形成しているといっても過言ではありません。
4年時には80名を超える大所帯のチームをコーチ・マネージャーを少ない人数で運営していました(今では考えられないことです)。
面白い事といえば、私が発案・開催した「年末部内駅伝」が今でも伝統行事となっていることです。
2005年からなのでもう16年もやっているんですよ。
やるからには「意味」と「目的」を持って開催しました。当時はコーチから「やる意味あるのか?」と反対をされましたが、目的と意味をしっかりと伝えたことで開催する事ができました。
目的→箱根駅伝に出れない選手が80名中の64名、出場する選手としない選手のモチベーションの差が顕著に表れることを危惧し、年末に一大イベントとして開催する事で、モチベーションの向上と、次回箱根駅伝のメンバーになるという強い意識を表現してもらうため。
意味→OBや周囲にスポンサーとなってもらい、部全体が盛り上がっている状況を作ること。箱根駅伝=長距離ブロックのイベントにしないため。実際にスポンサーを募って部内駅伝ですが豪華景品が出る大会となりました。
この話を箱根駅伝を手伝いする際のアイスブレイクで話すだけで「国士舘大学駅伝主務のパイオニア」と言われます笑
様々な経験を経て、大学も卒業!社会人として活動の場が変わりました。
新卒で入った会社は大手老舗医療用品のメーカーでした。
BtoBの仕事は思った以上に私の中できつかったです。
理由としては
自社製品はいいものとして販売するのは当たり前。だが、販売するtoBは安く仕入れて定価で売ることしか考えていないので、物の価値で判断せず、金額で見るバイヤーが多かったのが違和感でした。
あとは部署内の人間関係にもすごくすごく苦労しました。
いや~泣きましたね。
結局、自身の考えとして、末端で販売するBtoCが自分には一番合っているのではないか?と考え第2新卒という波に乗っかり、転職しました。
第2のステージは「ドコモショップ」大手代理店の2次店へ入店しました。
2次店を選んだ理由としては、「ドコモショップ全国第一号店」だったからです。それが地元にあったのですからびっくりです。
入店してからは厳しい先輩たちの指導のもと、メキメキと成長していきました♪
店内で実績1位というのは当たり前。
支店、支社、全国に目を向けて実績を求めてひた走っていました。
当時、クレジットカード販売に注力されていてその成約枚数が全国で競われていました。私は日常業務はもちろん、そのカードの成約において絶対の自信を持っており、年度末の超商戦期において全国で1位を取ることができました。
その際に感じた「お客様は要らないんじゃない、知らないんだ」というマインドがその後の接客における一つの軸になったことは間違いありません。
その後、販売の実績は全国でもTOPクラスの成果を維持し、接客スタッフとして栄誉ある「称賛の声」をいただくことができました。これは、お客様アンケートにおいてお客様がスタッフにあてたコメントが称賛に価するコメントであったさいにキャリアから表彰される制度のことです。いただけること自体がすごい事なのですが、私はその称賛の声をTOTAL10度以上いただくことができました。
いただいた要因としては、「未来の提案」「寄り添った接客」「不満からの逆転」「想像を超えた感動体験」だと思っております。今も現場に入ることが月に10日程度ありますが、上記を意識した接客は今でも実践しております。
ここでは書けないようなVIPの方の応対から、クレーム(キャリアではクレーム対応をご指摘と呼んでいました)対応まで様々な経験をしております。その中で培った接客としてのプロ意識は自分だけでなく、他者のCS向上へシフトしていくこととなりました。
結局、通信代理店においては店舗マネージャーを歴任させていただき、赤字店舗の収益改善や後進の育成に携わっていました。実際に私が着任していた店舗では、ESも良かったですし、退職者も会社都合以外では、0人でした。最高のチームを作り上げることが得意なんです。
でもやはり、育成だよなと思っていた矢先に、家庭の都合で引っ越し及び退職というタイミングがやってまいりました。
現状単身赴任で千葉に住んでおり、沖縄にいる家族と離れて暮らしております。
そのタイミングで独立、1年間はフリーランスとして活動。
同じ志を持つ仲間の為に会社として活動を始めたのが今年の5月からとなります。
スタートアップ企業の代表と仲良くなりたいです。
ここから活動の幅が広がってきます。今まで培ってきた経験をアウトプットする時が。自分ができるから人ができるではなく、あなたにあった最高の接客スタイルを提案、提唱したい。
そんな意識をもって、「接客のプロ」の肩書をひっさげ、各業種に対して接客の研修を随時進行しております。
そんな私の
●自身の接客体験談
●グルメブログ
●起業1年生の経験をログに残そう
●弊社ランニングコミュニティの活動
をブログにまとめていきたいと思いますので、是非とも「フォロー」「いいね」で盛り上げていただけると幸いでございます。
ご覧いただきありがとうございます!
私の生きる上でのモットーは
「感謝心」
指針は
「一期一会」
最強の人たらしが世の中の接客に物申していきます!
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