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M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程==

*** 子どもの不登校・摂食障害を一緒に考えましょう。***
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イタトマ今ある拒食症の子ども達が出てくる小説を

読んでいます。


何年も前に娘が紹介してくれたんだけど、読む気に

ならなくて、放置していた。


ちょっと読んでみようかなって思って、軽い気持ちで

読んだら・・・かなりグロいので、題名はヒ・ミ・ツに

しておきます。


ただね、登場人物の台詞が的を得ているのね。


主人公の精神科医の台詞


「カウンセリングに来た母親が悩んでいたのは、

不良グループに入っているという三女のことなの。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも、問題なのは長女と次女よ。

父親への不満をおとなしい母親にぶつけられず、骨と

皮になっていたの。


もっとも母親に言わせるとふたりは成績もよく、外泊など

縁がない自慢の娘達だったんだけど。


非行という形で不満を爆発させた三女の方が健全だ、と

私はいったわ」


「拒食症の患者から親への恨みつらみを引き出すのは、

時間がかかるの。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一度親をクソミソにけなす悪い子にならないとね」



そ~ねぇ~私たち親が意識して子どもをコントロールしようと

しちゃうところは、意識しているだけに、直していけると思うけれど、


意識していないところでのコントロールは、時としてそのコントロール

を「無償の愛」だと勘違いしちゃったり、「子どものため」なんてきれい

事にしてしまったりするから、


クスミソに言われる事も大切だと思う。


でも、これって親が泣かされる時期だよねぇ~

泣いて、泣いて、泣いて、それでも、

これでもか!って思うほどあんな事もこんな事も言われる・・・・。


私の場合はその殆どが覚えていないことだった。


子離れ、親離れの儀式なのかな~。


子どももつらいし、親もつらい。



では、次は拒食症の子どもの台詞


「いつもいつも子ども扱い。ママは先へ先へと何でもしてくれる。

それはそれはきちんとした主婦よ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

花嫁学校の校長先生の席が空いたらまちがいなく推薦する。


でも、わたしの聞いて欲しいこと、して欲しくないことについては

何ひとつ耳に入らないの」



子どもに幸せになってほしいから、先へ先へと何でもしちゃう。


それが結果的に子どもを追い詰めることになる。


親は善意だと思っているから、余計始末に負えないのかも・・・。


「こんなに子どもの為を思ってしているのに・・・」


って思ったら、今までの自分がやってきた事を否定されたようで

なかなか受け入れられないよね。


否定されてるわけじゃないんだと思う。


ただね、もう先へ先へと親がやってしまう子育て期間の終了なん

じゃないのかな。


これからは、今までとは違う親子になっていく。


その為には、子どもの話しに耳を傾けて、子どもの応援者に

なっていく事が大切なんだと思った。


グロい小説の中に見出した真実に近い言葉。







へんなぴんくのもじゃもじゃ。私はダンナが忙しいというので、ダンナの仕事を

手伝っているのね。


忙しくお昼ご飯の用意して、後片付けして、ダンナの

仕事をしに二階へ・・・。


仕事終わって一階に降りてきたら、ダンナお昼寝中。


いい加減に私も慣れないとって思うんだけど、腹立つ。


昼寝する時間あるなら、自分でやればいいのに・・・。


のん気なのか、気を使えないのか、マイペース。


だから、子ども達の摂食障害に対しても殆ど理解しない

まま、今現在に至ってるのです。


そのダンナがはじめて一昨日の夕方、娘に


「今日9時から摂食障害の番組やるみないだよ。」


って・・・。


折角摂食障害に興味持ってそんな事いっていただい

ちゃったので、3人で番組見ちゃいました。


「バリバラ」~摂食障害、拒食と過食~人に言えないつらさ


その中での話で

「太った」

「痩せた」

はNG


って、回復者の方の意見。


娘は、それを聞いて

「私は痩せたね、って言われるのはオーケーだったよ。


顔色がいいね、とか、元気そうだね。


とか言われると、太ったって言いたいの!!!


って、思って頭きたよ。」


なるほど、なるほど、


「痩せたね。」


以外の言葉は受け付けなかったのか。


でもさぁ~「痩せたね」って言ったら、気分よくなっちゃって

もっと痩せなきゃって娘が思ったらどうしようって思っちゃって


「痩せたね。」


なんて言えなかったし、私は言わなかったな。


とにかく、身体に関しては全く話題にしなかった。


身体はプレイベートゾーン。


触れてはいけないエリア。


私は話題にしないようにしたのに、


「ねぇ、太ったよね、私、太ったよね。」


って、今度は娘が聞いてくるようになった。


これがまたやっかい。


「太ってないよ。」


って言えば、


「お母さんは嘘つきだ!」


「こんなに太ってるのに太ってないってよく言えるよね!!」


なんて、言われちゃう。


不安や葛藤で頭の中ごちゃごちゃ状態。


それを私にぶつけてたのかもしれないけれど、私は言わなきゃ

よかって落ち込むわけです。


今思えば私がなんて言っても気に入らなかったんだと思うけど

娘にとってピッタリの言葉ってあったのかな?


ピッタリの言葉あったとしても、心にない言葉言いたくないし。


心にない言葉言っても、上手く言えないし、娘に見抜かれるし・・・・。


番組自体はちょっと軽い感じの内容だった。


なんの病でもそうだと思うけれど、実際はもっと深刻だよね。


今までの摂食障害の番組って、もっと重たい感じだったから

新しい試みでいいのかもしれない。


って思いと、


摂食障害が低年齢化している事を考えると、こんな軽い感じで

いいのかな???なんて思ったりもして、ね。


「世間さまの目は摂食障害の私に冷たかったよ。」


の娘の言葉から、摂食障害が社会に周知されるのはいい事かも。


誰にでもなる可能性のある病だって知ってもらうこと大切だよね。


とにかく、我が家は3人で番組を見た事が、すごい進歩。





ももいろメール以前にも記事として取り上げさせて頂いたんだけど、

  「傾聴」を始めると、子どもから、


「お母さん、変だよ。」


とか


「なに今さら話聴くよ、なんて態度とってるの?」


とか


「どこで変な知識習ってきたの}


とか、言われる場合があります。


今までのコミュニケーションの仕方とは違う事にすぐに

子ども達が気がつきます。


ここで怯んでしまうと、なかなか「傾聴」が進まなくなってしまう。


先日、友達に身体知という言葉を教えてもらいました。


身体知とは、

「身体が知っている」

「身体で分かっている」

「身体が覚えている」



といったタイプの知識を指します。



もっとも単純な例として「自転車の乗り方」が挙げられるでしょう。



自転車の乗り方は、明確に意識化したり、言葉で明示的に説明

することは難しいですが、身体が覚えています。



自転車の乗り方は「身体化された知識(embodied knowledge)」だということです。


私たちの身体に宿る知性、それが身体知です。



ネットで検索した文章ですが、なんか、ちょっと難し目ですね。



私たちは、長い間かけて今のコミュニケーション法を確立して

きました。



各ご家庭によって、コミュニケーションの仕方は違っています。



聞き上手なご家庭に育ってお子さんは聞き上手に育ちます。



話し上手なご家庭に育ったお子さんは話し上手に育ちます。



私は、聞き上手、話し上手、なのに、子どもは違うと思う方も

いらっしゃると思いますが・・・。



コミュニケーションの仕方もこの身体知です。



言葉を選ぶのに、ひとつひとつ意識しないでもスラスラ話せる

というのは、身体が覚えているからですね。



同じ自転車でも、ママチャリは乗れるけれど、二人乗りの自転車や

競技用の自転車に乗ろうとする時には、練習が必要です。



今までの経験とは違うから、新たな体験をして身体に覚えさせる

必要が出てきます。



自転車は形あるもの、傾聴は形がありません。



自転車は、乗れる、乗れないがはっきり分かります。



傾聴は、目に見えての成果は、なかなか望めないと思いますが、

自分の心が解放されます。



大切な人と信頼が結べます。



失敗もたくさん経験すればするほど、身についてきます。



傾聴の目的は、失われた信頼関係の再構築です。



でも、最初からこの辺りを目指してしまうとちょっとハードルが

高い気がします。



私が子どもの話を聴く時、最初に心掛けたのは、



「私は、あなたを傷つける武器(言葉)は持ってないよ。」



「私は、どんなあなたの話でも、決して否定はしません。」



です。



自分は学校卒業したのに、学校行けない子を見て賛同

する事は難しいでしょう。



自分は食に「残したらもったいない」の気持ちがあるのに

過食嘔吐している子を見て賛同は難しいでしょう。



無理に賛同すると、無理が子どもに伝わってしまいます。



賛同できないくていいけれど、決して否定はしないで、子どもの

話を聴いていきましょう。



自分は否定していないつもりでも、否定の言葉になっている

場合があります。



それに気がつくのが「傾聴」です。





子どもの話しを聴く事の重要性に気がついて、一生懸命

「傾聴」を学ぼうとしてくださってる心優しきお母さん達の

要望で、明後日、不登校引きこもりの家族会「よっといで!」

主催の「家庭内傾聴講座」が開催されます。



ほっこりと春を思わせるような講座にしていきましょう。



If winter comes , can spring be far behind?


私の大好きな言葉。


でも、なんで?が付いてるんだろう?????

ブタ彼女は私と同じ歳。


若い頃は、妻子ある男性を好きになって

暫らくお付き合いしていた。


そろそろその男性とお付き合いも倦怠期?に

なった頃、後にご主人になる人に巡り会う。


若い頃も自分の人生を楽しんでいた彼女は、今、

子どもふたりは結婚して、それぞれに子どもがいる。


彼女にとっての孫3人。


ご主人は有名な会社の役員で、海外に単身赴任中。


一人暮らしの彼女は、若い頃よりもっともっと自分の

人生を謳歌している。


彼女自身働いているから、お金に不自由しない。


時給制の仕事なので、好きに時間のやりくりが出来る。


人柄も朗らかで、いつ会っても元気。


彼女を見ていると、「悩み」なんて凡そ縁がないように思う。


彼女自身が悩みを悩みと思っていないのか???


引き寄せの法則で、楽しい人だから楽しい事しか

起こらないのか???


私の周りにも、楽しくて誠実に人生を生きてきた人が

たくさんいる。


でも、その人たちには悩みがある。


私だって、私なりに誠実に生きていた。


それでも、上手くいかない事がある。


彼女とどこが違うのか???


運命?


宿命?


訳のわからない理不尽さ。


瀬戸内寂聴さんは


「世の中は理不尽な事ばかり起こる。だから宗教があるのです。」


って、おっしゃっているけれど、宗教に嵌れる人はいいよね。


嵌れない人は、どこに救いを求めればいいのかな。


同じ人生生きていくのならば、家族も自分も楽しい人生を

生きていきたい・・・って思う。


でも、多くの人がそんな風な状況にない。


だから、彼女のような人は貴重なんだと思う。


彼女は彼女の、私は私の人生のお役目を遂行していく事。


それしかないのかな~。


話は違って、

神奈川に行くのに相鉄線に乗りました。

「富士山」がす~ごくきれいで、思わず感動!!


車窓から見える雪景色の富士山は、すばらしいかった。


改めて富士山のパワーを感じました。


富士山に元気もらって帰ってきました。


あの日、私は富士山を見るために、神奈川に行ったのかな

なんて思ってしまいました。


是非是非、この季節の富士山見てください。


元気が出ます。

ラピ182昨日は「しゃべり場」でした。


ご参加くださったみなさん、お疲れ様です。


「しゃべり場」に初参加の長女は、


「お母さんたちって、こんなに一生懸命子ども育てて

るんだぁ~。」


って思った。


と、言っておりました。


そ~よ~、一生懸命に育てたのよ~。


だから、問題が勃発した時になかなか、目の前に起こった

事実を事実として認められないのよ~。


拒食でどんどん痩せていっても、明日は普通に戻って、

以前のように食べてくれるかもしれない。


こんな状態じゃダメだって思って、明日から学校に行ってくれる

かもしれない。


明日は・・・・。


明日は・・・・。


って思っている間に不安や心配が心の中にいっぱいになっちゃって

自分が自分コントロールできなくなっちゃって・・・。


気がつけば、自分の不安やイライラを子ども本人にぶつけてる。


子ども自身、自分の悩みでいっぱい、いっぱいなのに、

母親の不安やイライラまで背負わされて、タマッタモンジャナイよね。


一生懸命だから、自分と子どもの境界線が見えなくなっちゃう。


子どもの悲しみや苦しみは、子どものものなのに・・・・・。


境界線があやふやになるから、子どもの悲しみや苦しみを

我が物にしてしまう私たち母親。


我が物にした終わりならいいけれど、

「私が子どもの変わりに解決してあげなくちゃ。」


なんて思っちゃったりして・・・・。


なんで、私が子どもの悩みを解決してあげられるって、あの頃の

私は思ったんだろう。


そんな力なんて持ってないのに・・・。


母親っていう立場が私に特別な力を与えてくれると錯覚したの

かもしれない。


子どもの悩みを私が解決して、子どもに認めてもらいたかった

のかな。


誰も私を認めてくれないから、せめて子どもだけには認めて

もらいたいって思ったのかもしれない。


それとも、母親だから私が解決せねばならないって思ったのかな。


斉藤環さんの「母は娘を支配する」(なぜ母親殺しは難しいのか)の

中の一節に


「母親が娘に与えられる一つの素晴しい贈り物は、できる限り

自分自身の人生を生きることです。


それは同様に、息子や自分自身に対する贈り物でもあるのです。」


とあります。


子どもが成長するきっかけになるかもしれない子ども自身の悩みや

苦しみを先走って私が取ってしまわないように、私自身の人生を

生き抜く。


私が私自身の人生を生き抜く為に

私がやりたい事を実行しに、

私が繋がりたい人に繋がりに、


明日、神奈川に「家庭内傾聴講座」&ランチに出かけてきます。