昨日は「しゃべり場」でした。
ご参加くださったみなさん、お疲れ様です。
「しゃべり場」に初参加の長女は、
「お母さんたちって、こんなに一生懸命子ども育てて
るんだぁ~。」
って思った。
と、言っておりました。
そ~よ~、一生懸命に育てたのよ~。
だから、問題が勃発した時になかなか、目の前に起こった
事実を事実として認められないのよ~。
拒食でどんどん痩せていっても、明日は普通に戻って、
以前のように食べてくれるかもしれない。
こんな状態じゃダメだって思って、明日から学校に行ってくれる
かもしれない。
明日は・・・・。
明日は・・・・。
って思っている間に不安や心配が心の中にいっぱいになっちゃって
自分が自分コントロールできなくなっちゃって・・・。
気がつけば、自分の不安やイライラを子ども本人にぶつけてる。
子ども自身、自分の悩みでいっぱい、いっぱいなのに、
母親の不安やイライラまで背負わされて、タマッタモンジャナイよね。
一生懸命だから、自分と子どもの境界線が見えなくなっちゃう。
子どもの悲しみや苦しみは、子どものものなのに・・・・・。
境界線があやふやになるから、子どもの悲しみや苦しみを
我が物にしてしまう私たち母親。
我が物にした終わりならいいけれど、
「私が子どもの変わりに解決してあげなくちゃ。」
なんて思っちゃったりして・・・・。
なんで、私が子どもの悩みを解決してあげられるって、あの頃の
私は思ったんだろう。
そんな力なんて持ってないのに・・・。
母親っていう立場が私に特別な力を与えてくれると錯覚したの
かもしれない。
子どもの悩みを私が解決して、子どもに認めてもらいたかった
のかな。
誰も私を認めてくれないから、せめて子どもだけには認めて
もらいたいって思ったのかもしれない。
それとも、母親だから私が解決せねばならないって思ったのかな。
斉藤環さんの「母は娘を支配する」(なぜ母親殺しは難しいのか)の
中の一節に
「母親が娘に与えられる一つの素晴しい贈り物は、できる限り
自分自身の人生を生きることです。
それは同様に、息子や自分自身に対する贈り物でもあるのです。」
とあります。
子どもが成長するきっかけになるかもしれない子ども自身の悩みや
苦しみを先走って私が取ってしまわないように、私自身の人生を
生き抜く。
私が私自身の人生を生き抜く為に
私がやりたい事を実行しに、
私が繋がりたい人に繋がりに、
明日、神奈川に「家庭内傾聴講座」&ランチに出かけてきます。