この情報社会であえて、何も発信しないということにかたくなになってみた何カ月かである。

人とかかわるのは難しい。
学問や、スポーツや、音楽や、それ以外のすべてのものと違って、人は特別なものである。
人が相手だと、他のものとは違って、自分も相手の相手となるのだ。つまり、やじるしの始点は双方に存在するのである。
当たり前のことだけれど、それがすべてであるようにも思える。
学問よりも、スポーツよりも、音楽よりも、犬より猫より、この世のどんなものよりも自分に似ている存在が、「自分以外の人間」であり、それだからこそ、人にとって、人は特別なのであろう。

人間には、たぶんすべての面で限界がある。たぶん。
本当は、普遍なんてなくて、普通なんてなくて、人類全部が、人間であって、それ以上でもそれ以下でもなく、
だからそれぞれの人間は、自分以外の人間に自分を見るのである。皆が、自分を映す鏡。
アイデンティティというのは、自我、という意味では、視覚で感じることのできないものである。
けれど、個性というのは、身につけているものとか、行動とか、そういったものに現れる。
むしろ、すべての人はそれくらいの違いしかないのかもしれない。
なぜ自分以外のすべての人間が自分を映す鏡となりうるのかというと、つまりそういうことである。
たとえば自分とまったく違うタイプの人間に会ったら、自分はああではない、と思う。その、「ああではない」ことが、自分なのである。
そう思ったら、もう皆が皆、本当に人間で、人間でしかない、そして何より自分という人間の「なんでもなさ」が痛感されて、あんまり深く考えるのはやめよう、と思うのでした。



私自身、人とかかわるのがめちゃくちゃ苦手です。苦手というより、自分にとって、尋常なことじゃない。
人と話すことは、自分の野暮をむき出しにして、生き恥をさらすことだし、どうしてもうまくいきません。
うまくいくことは少ない。うまくいくと、うれしい。
そもそも、うまくやろうと必死で構えている自分自身が、めちゃくちゃ不安で頼りなげ。

ところで、うまくいく、いかない、というのは私の判断基準であって、
客観的平均的に見てみれば、相当うまくやっているのではないかと思う。



ポッキーの日はちゃんとポッキー食べました。
京都に行きたいなあ。
ちなみに模試の結果は、京大合格ライン→61 中島→49

このブログを偶然見つけた京大志望の人などは、篤と見よ。
これが私のスタートラインである。
予備校内でも半分以下の人間が、世界ランク27位、日本で2番目の大学に入るところを見るがいい。

ということで、勉強します。学問は、興味のあるうちに、しっかり付き合っておきたいので。
ではまたいつか、再来年の2月、京大合格の朗報をもってきます。

読者は一人もいませんが(笑)
さようなら~








 ついに、観ました。
 いやー名作ですね。名作なんだけど、名作なだけあって、ハッピーエンドっぷりが結構がっつりなんですね。前回観た刑務所ものが、『告発』(1994、米。米タイトルは”MURDER IN THE FIRST”)で、これが結構残酷、というか割と現実的だったので、ショーシャンクは「きれい」に見えました。うん、でもよかった!ERのロマノ先生も発見しました、すごく脇役だったけど。「ショーシャンク」は、一神教的なところがありますね。ショーシャンク刑務所の所長が熱心なキリスト教信者であるとかは全然関係なくて、一神教的です。「キミはそうするの?まあ僕はこうするけどね」みたいな。カッコいいんです。「ショーシャンク」だけがカッコいいんです。そんな感じ。
 今まで観た映画の中でも、相当時間軸の幅が広い作品でした。レッド(役名ですが)の語りが最高です。ただ一人、自分を有罪だと思う男。彼は一番、”まとも”だったのでしょう。だからアンディーも心を開いた。
 アンディーとレッドの友情を見て思うけれど、ああいう、限界の中で生きる人たちは、本当の友情を築けるんですね。そして本当の友情とは、決して全てを話すことではないんです。いいですね。素敵じゃないですか。最後のシーンなんか、ほっこりしますよね。さらーっとして、ほっこりします。
 にしても、所長が死んじゃったのはなんというか、悲しかったりもします。ああいう、”まんまと騙されたえらい人”っていうのは、最後惨めになりながらも、くっそー覚えてろー!って言ってて欲しかったなあ。所長ってどこもみんなあんな顔であんな体型なのかな。『告発』のアルカトラズ刑務所の所長もあんな感じだった。
 

 なんか『告発』についても書きたくなってきちまったので書こうかなー。主演はクリスチャン・スレーターとケヴィン・ベーコン。知ってる人は知ってると思います。粗筋は以下な感じ。
 舞台はアルカトラズ刑務所。ここがひどいところで、看守による囚人の虐待が横行し、囚人が少しでも歯向かうと、光も無く、音も無く、食事も殆ど与えられることのない地下牢(”穴蔵”)に入れられ、毎日のように虐待を受けることになる。幼い妹のために”5ドル盗んだ罪”で懲役25年の刑に服役中だったヘンリー・ヤング(K.ベーコン)は脱走を謀るも、仲間の囚人の密告により捕まり、”穴蔵”に1000日間収監される。地下牢から出たヘンリーには、刑務所の音や光、全てが強烈な刺激となり。多くの人が集まる食堂で、その緊張状態が限界まで来たとき、ヘンリーの目が自分を裏切った囚人を捉える。衝動的に立ち上がったヘンリーは、持っていた”スプーン”を、その囚人の首に突き刺して殺してしまう。
 すぐに刑事裁判が開かれることになり、ヘンリーを担当することになったのは、若き弁護士・ジェームズ(C.スレーター)。ヘンリーの死刑は確実と思われたが、ジェームズはヘンリーのたどたどしい言葉の中から、アルカトラズ内で横行する残酷な虐待行為の存在を知り、ヘンリーの犯行は1000日間の”穴蔵”生活に起因する精神異常によるもので、その責任は、囚人が精神に異常を来すまで悪夢のような虐待行為を続けた刑務所にあるとし、アルカトラズ刑務所そのものを告発する。

 …というような話なんですが、いやー面白いですよ。ケヴィン・ベーコンの演技が最高です。でも、結構残虐なので、暴力的なシーンが苦手な人とかは、見ない方がいいかも。あと、戦争とか、刑務所とか、そういう独特の生臭さが苦手な人は見ない方がいいかも。この作品は、生臭さムンムンですから(笑)

 ショーシャンクも告発もまだよ!って人は、告発、ショーシャンクの順がおすすめです。告発があとだと、翌日、活動する気になれませんから(笑)



 ではごきげんよう!


 生涯で初めて最初から最後まで意欲的に読み切った新書。
 まず、『詭弁』とは何か。辞書を引用すると、
 
  き‐べん【詭弁/詭辯】
 
 1 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。「―を弄(ろう)する」
 2 《 sophism 》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。

 とある。ようするに、「ひねくれ」であったり、「ほんとっぽい嘘」であったりするわけで、ちょっと一筋縄ではいかないような雰囲気があります。面白そうじゃないすか。なお、この本では、論理学的方面から、上で言うと2の意味で「詭弁」を扱ってます。
 筆者の香西先生は、様々な時代の、いわゆる「名文」といわれる文章や、日常会話、実際に議論の現場でなされている弁論を引っ張り出し、それらのもっともらしい意見に対して、「これらはもっともらしい意見に見えるが、実は全て詭弁である!」といってしまいます。
 ところで冒頭で彼は、自分は詭弁に対して批判的な姿勢で書いていく、と述べていますが、読んでいてそうは感じなかった。詭弁がもっともらしい、詭弁じゃないような顔でちやほやされているのに対して批判的なだけで、「詭弁」それ自体には愛着を感じているんじゃないかなあ。
 わかったようなことを言ってますが、読み終えたのは3ヶ月前、読み始めたのは1年以上前でありまして、若干記憶が薄れているところがあるので、もしかしたらものすごく違うことを言っているかもしれません。違おうがそれほど違くなかろうが、正直どうでもいいです。私は読んで、読み終わって、いろいろ考えて、満足したんですから。

 大学に入ったら、論理学も研究したくなっちゃった。卒業するのに10年とか、かかりそう。
 ああ、早く寝たい。早く京都に行きたい。早く、本を買いたいし、早く、冬になったらいいなあ。

 ということでおやすみなさい。本当はもっと書く予定だったけど、余力がありません。
 次回に期待。誰か読んでるのかな。