長期間放置してきたブログを一新しようと思った。
 なぜかというと、このブログは「本を読んでその感想を書く」というもので、つまり本を読まないと記事を書く事ができないのである。なんつう、面倒臭い設定であろうか。
 設定は変えたものの、タイトルについては変えないことにした。この世で唯一尊敬する人間の言葉から拝借したもので、結構気に入ってる言葉なので。

 全国のER視聴者の皆さんや、ついに、今夜、アビーとコバッチュが結婚した!回が日本の地上波で放映されていたぞ!

 実際いつなのかは知らん以前に、まず今やってるのが第何シーズンなのかも知らん。二年前くらいに第十シーズンとかだったから、もう十二とか十三とかなのかなあ。母が毎日ビデオ(この辺も古さを感じる)を借りてきて見てたのが、私が小学生の頃だから、さすがにうろ覚え。

 まあそれはさておき、結婚式のシーンを見た瞬間、ああ、第何シーズンからこんなことをしてやがるんだこいつら、と、保護者みたいな気持ちになったりして、少し目の前が滲んじゃったりする。

 だってあいつら、本当に長い付き合いなのです。

 アビーは最初は平の看護婦(今は看護士というべきなんだろうか)だった。キャロルが婦長を辞めてダグを追いかけていった後は、アビーがずっと婦長だった気がするけど。コバッチュは、アビーよりあとから入ってきた。で、最初はコバッチュといい仲だったけど、コバッチュがどっかのシーズンで抜けてる間に、カーターの恋人になっていた気が。カーターのやつめ。
 アビーも、両親や躁鬱病の姉(だったかな?)やらのことで悩んだり、コバッチュとは喧嘩ばっかりだし、いつも大変そうだったけど、今回は結婚式ってだけあって、今までで一番穏やかだったなあ。なんか、宗教的な儀式は嫌だとか言って、式がアビーのペースで進むんだけど、それでも不器用な彼女の感じに泣かされます。いやーおめでとう。

 そして我らがルカ・コバッチュ!実は一番好きです(現存する中で)。彼も本当にそう、色々ありましたね。彼というやつは、顔がもともとラテン系で彫りが深いのに、最初から背負ってる人物設定もどこか薄暗くて、常に悲愴な雰囲気を醸す神父みてえな野郎です。病院に来たときには独り身なんだけど、実は既婚者で、愛する妻を事件か事故で失った後だった。うん、多分。(違ったらすみません。本当にうろ覚えなので、熱心な視聴者様はああもう!となるかもしれないっすが悪しからず。)
 今夜は勿論、コバッチュも幸せそうでした。世界一の紳士に祝福を!

 ちなみにさっき現存する中でコバッチュが一番好き、とほざいたけれども、本当はグリーン先生がダントツ。彼が亡くなったときは、あーもうER楽しめない、主人公死んじゃったじゃん、と、浅はかなことを考えたりもした。実際、彼が死んで以降、グリーンも居ないベントンも居ない、マルッチはケリーとの口論の勢いで辞めちゃった、ダグもキャロルも誰も居ない第七(八?)シーズンを見る気がなかなかしなかったし、見てみても、やっぱり、『次世代感』が強くて、物足りなさを感じ続けていた。

 けれど最近になって、ようやくERの真の姿を感じられるようになってきた、かもしれない。ERの面白さの根源的なもののかすかな気配を、感じることができた気がした。

 今は母と、『第一シーズンからもう一度!三万円でレンタル計画』を企てている。家計的には厳しいけれども、コツコツコツコツ観て行こう!




 ここまでの記事、ERを観た事の無い人は本当に詰まらなかったであろう。そのテーマとかについて知らない人も楽しませるのが、文章力だとも思うが、そんな気合い入れて書いた文章ではない。無理っす。

 みんなも観るべし。「ER緊急救命室」米国の連ドラです。「24」とかみたいなもの。血とか無理な人はやめた方がいいです。ドバドバなんで。


 と、こんなだらだらと、暇人そうに見えるでしょう。実はそうではないのです。
 後夜祭の書類を阿呆みたいに生産しなければならぬ!ということで、今夜はここまでです。おやすみなさい。

 記念すべき第一冊目は、筆者がすごく好きな森見登美彦氏の「有頂天家族」。 

 面白かった。

 と言ってしまえば終わりなのだが、本を読んで感想を書くというのがこのブログの主であり、そこをはしょるともう何も残らないためもうすこし掘り下げていこうと思う。

 粗筋を書かないと、いわゆる『読感』としては成立しないかもしれない。なんだけれども、森見氏が一文一文洗練し生み出した膨大な文章をコンパクト且つわかりやすくまとめ、その魅力を読者に余す事なく伝えることのできるような文才と体力と根性を筆者はもたない。だから書かない。書きたくない。書けやしない。

 森見氏の文章の魅力を筆者ごときがうだうだ述べるつもりは無いが、彼の文章は本当に好き。読んでいると気持ちが良くて、ついにやけてしまうほど、好きなのである。文章のリズムや、丁寧さ、それに、森見作品が普く発するあの不健康なオーラが筆者にはもうたまらないのである。つぼなのである。こんなに不健康さを好むのは、筆者自身が心身共に不健康なことも関係しているのだろうか。ともかく、彼の不健康さには追いかけたくなる魅力があるのである。が、何度も不健康不健康と書きながら、不健康は少しちがうかな、とも思えてきたようである。そうなると、筆者の心身が不健康なことには深い意味など無く、ただ「健康でない」だけになってしまう。何たる堕落であろうか。不健康であることが、健康ではないことでしかないなんて、最悪である。こうなると、世の中のすべてのもののうち、意味を持つのは半分で、残りは、その半分ではない、という意味にしかならない、という妄想さえうずまいてきた。とにかく、語彙力の乏しい筆者の頭には、この感覚にあう言葉がなかなか浮かんで来ないので、先程まで不健康と勝手に呼んでいたこの感覚はついに読者に伝わることなくこの記事が終わってしまう、という事態も起こり得る。筆者のような何の取り柄もない阿呆学生が書いている時点でこのブログの読まれるものとしての価値は皆無である。だのに、語彙力がないためにこの体たらくでは、最早一人の読者も獲得することは難しいだろう。さようなら、未だ出会ったことのない、人気ブログの名声。

 一人の読者もつかないとなると、この下らない文章が、我が子ながら途方もなくどうしようもないものに感じるのである。かわいそうに。ブログの説明や当記事の冒頭では、「本を読んでその感想を述べる」と意気込んでいたはずが、途中から自己嫌悪と面倒くさい気持ちにのまれて最早ぐだぐだである。こんなんでよいのであろうか。反語。

 手と目と背中が疲れたので、どうしようもない文章を書き散らした挙句、心身共に健康ではない筆者はここらで退散いたす。さようなら。