ハロウィンに向けた秋の新作作りました今回はブリーディングのお話を少しばかり致します。
ブリーディングとはブリーダーさんが行う繁殖行為です。血統のあるイヌ、ネコなどをつくるわけですがその子達は主にペットショップに並びます。中には個人として行い人に譲渡される方もいらっしゃるようですね。
まともに行いそれをならわいにされている方がいる中で悪質ブリーダーと呼ばれる方がいます。単純に言えば腕がたたないという場合もありますが、血統書をつけかねる状態にも関わらずその個体の欠点疾患などを伏せ譲渡販売してしまうような者もいますし自身の手でおえなくなり夜逃げ同然にしてそこにいる動物すべて置き去りにして身をくらませてしまうようなとても非人道的な行為をする輩もいます。
ひとつ、
ブリーディングは親となる個体が勿論必要です。生産性重視ですから体が丈夫で沢山子どもを産める母が選ばれます。その母は産んで、産んで、産んでの繰り返しになり最終的に単純にいうと使い物にならなくなればお役御免になります。このお役御免というのは解放されるなんて生易しいものではありません。実際に見ると悲しいくらい彼女がどう扱われてきたのかが解ります。乳は弛みきり彼女自身の身を省みないような扱いをされてきたことが目に見えて明らかです。
ふたつ、
ペットショップに並ぶ仔犬、仔猫には優先順位があり目立つショーケースにいるのは主に新入荷された低月齢の子たち。簡単にわかるのは明らかに店舗側が推しているであろう「すぐにお散歩できます」「SALE」「値下げしました」などの張り紙がしてある子たちは期限が迫られているといって過言ではありません。または表示の価格に線を引き安くなった価格を大きく書き出していたり。期限とは何か、なぜ低月齢の子たちが優先されるのか、その理由は至極簡単です。幼ければ幼いほど躾がしやすいだろうという購入者側の先入観、小さい方が可愛いという目先の気持ち、それをペットショップ側は知っているからこそです。では期限とは簡単です。大きくなり始めれば購入者側の視線は向かなくなり始めます。この時期からの躾は難しいのではないかと不安と先入観から腰が引けます。より売れなくなれば彼らはショーケースから姿を消します。姿を消したらどうなるか。処分の対象になります。わざわざブリーディングまでして血統書がつくようにまで作り上げられた彼らはお金と代替にならなかったというヒト側の身勝手な理由で処分となるのです。命ある者に対する行為ではなくこれでは完全に無機質な物体への行為です。無機質な物体でも大事にされることもあるでしょう。それがたとえ命のあるものでもこういった扱いがあるのです。
みっつ、
ブリーディングには失敗も起こり得ます。例えば全身の色がアプリコットでなくてはいけないのが混じりけが出てしまった。これだけで血統書がつかなくなることは普通にあります。え、そんなことでと思われる方もいらっしゃる方もおいでかもしれませんがこれが現実です。精巧に作り上げられているのです。しかしそういった知識のない方に大丈夫だと言葉巧みに丸め込み、もしくは既に疾患に気付いていながら一切そこには触れず売り付けてしまう、そんなブリーダーは存在します。わずかな失敗が大損害になるわけですから敢えて口にしたくはないのでしょうが、命に向き合う態度とはおおよそ思えません。
よっつ、
自身のブリーディングに失敗が続き損害ばかりが出た上手元に残った動物たちへの投資も出来なくなり(これに関しては金銭面なのか個人的私情なのかはその本人によると思われます)劣悪な環境のままとんでもない数の動物たちが発見されることがあります。よくニュースでもありますが多頭崩壊、しかもこれは自ら望んでの繁殖ゆえの末路ですからブリーダーの多頭崩壊になります。全てにそうとは言えませんがおおよそこの場合、ブリーディングによって生まれた動物たちは先天的疾患を持った者が殆どです。そこに向き合えなくなるから逃げ出すという卑劣な行為をしてしまう。
以上四点。もっとしっかりカウントすれば数えるのが大変なほどでしょう。ここで出したものはあくまで一部と思ってください。しかしながらこの残酷な一部は現実です。
そもそもブリーディングは希少種を残すための行為です。それがペット産業になり、ごく当たり前になり知らず知らずにふつふつと沸き上がってきた大問題です。
彼らは命ある生き物です。我らと同じ方法で意思を伝えられないのをいいことに彼らの意思や尊厳を無視し行われてきました。そして法律上の彼らの立ち位置は物です。
では物だったらどんな扱いでもいいのでしょうか?例えば自分の所有する無機物だって大事にすることはごく普通にあることでしょう。にもかかわらず、何故ヒトの意思によって繁殖をされた彼らにはこんな行為が許されるのでしょうか?
母の幸せは何処へいってしまったのでしょう?彼女にだって幸せになる権利はあります。彼女は決して生産するための機械ではない。
幼くても月齢が進んでも、成体であってもしつけは出来るしきちんと愛情を注げば愛情を知っていれば愛を返してくれます。
血統書がなくても、命は命。販売側は購入者に対し説明をする義務があるはずです。
例えばですが、片目の不自由なアメショと両目が見えているアメショ、何が違うのでしょうか?片目が見えなくても元気に暮らしていけます。ケアをしてコンディションを整えて気を配り世話をする、そういったことは五体満足な子にだって当たり前に必要なことです。どちらもアメショ、何が違うのでしょうか?
もしこれが完璧なアメショが欲しかったという理由での購入ならば、動物はアクセサリーではない。家族として迎える愛を注ぐ生き物だということをきちんと考え直していただきたい。
どんなに健康でも加齢やその他の理由などで疾患が起こることはありますし、血統書のついている子達は純血故の疾患が発症することもごく普通です。
言葉の端々にきつく感じるところがあれば申し訳ないのですが、文字のみで伝えるには限界があるのです。ご容赦ください。
猫がほしい、犬がほしい。その理由希望は様々でしょう。ペットショップの子を引き取ればいいのか?それだけでは終わりません。だって彼らは無限と表現していいほどに次々とウィンドウに並びます。先の記事にも載せました動画にもありましたが負の連鎖を止める、それが重要なのです。
気付いてください。知ってください。悲しいことが当たり前になっていることを。
動物がアクセサリーである必要がないのであれば、あなたはペットショップの子に限らず愛せます。
是非譲渡会へ足をお運びください。あなたの愛をあなたとの運命を、幸せを待っている子達がいます。
あなたには幸せに出来る愛があります。