中学で学ぶ「生い立ちの授業」
小学校から心や体や家族の教育は進められているが
中学は思春期を迎える難しい時期だからこそ
人としての徳を学び
学問としての人体を学んだり
機能としての家族を学び
命のリレーとして性のことを学んだり
性教育はエッチな話と思いがちだけど
実は教科教育の垣根を越えて体系的に整理されている。
それぞれの学齢における心の発達や体の発達、
多様な経験を通して芽生える疑問や壁に対応できるよう
少しずつ子どもたちに与えている。
その最終目標は
自分のことを愛し、大切にしたいと思うこと。
愛する人を愛し、大切にしていきたいと思うこと。
私が大切な家族、その家族が愛する人が私だから
私も私を大切にしたい。
私が大切な彼だから、
その彼が愛する家族を悲しませたくない。
私が親に愛されたように、私も子を愛す。
そういう心のリレー、命のリレーの結果として
エッチな話に向かうわけで、
そのエッチな話をおもちゃにしちゃいけないって
そう伝えていくものだと私は考えています。
でね、
その家族の愛を知るためにも
本人に記憶のない幼い頃の歴史を辿ることって
ほんっとに大切なことだとあたしも思うんだ。
だからそういう歴史を辿る授業って素敵だと思うの。
で、実際にその授業が始まってたのね。
今日コロナ隔離中の上の子に先生から届けられたプリント。
え…
うちの子たちの過去の話は説明してるよ?
趣旨自体は賛同するけど、配慮をしてほしい。
そう伝えていたのに…
里親さんならもう常識になってる
この「生い立ちの授業」の問題点。
確かに美しい話ではある。
大切な話でもある。
でも、その歴史を奪われた子どもたちもたくさんいる。
その歴史があまりにも残酷なものである子もたくさんいる。
離婚しちゃったとか、死別したとか、虐待受けたとか。
真っ直ぐ考えることが困難な子が子がいるんですよ。
詳しくは書けないけど、うちの子も
お母さんとの思い出は殆ど無い。
写真も少ししか残ってない。
強く印象に残っている話は悲しいものばかり。
いや、多分その悲しい思い出は
多分成長してから妄想されたのか
誇張されてしまった思い出だろう。
他の思い出はなくなってるのにそこだけやたら具体的でさ。
証明できないけど。
とにかくそんな思いでしかかけないのに。
名前の由来も今ではもう確かめることすらかなわない。
生まれたときの様子も、
何を飲んで育ったのかも、
どんなおやつを食べていたのかも、
どんな遊びをしていたのかも何もわからない。
思い出はお母さんに叩かれたこと、
自分の幼い頃を知ってる人はいない、
それで何を感じたかって…
いじめ以外のなにものでもない授業。
そういう事情があることは伝えてあった。
それもこの授業への配慮を求めるためにね。
それなのになんなんだよ。
もう少し聞き方ってものがあるでしょ。
とはいえ、窓口の先生も新しい先生だし、
家庭科の先生とは距離があること知ってる。
伝えられなくて配慮できなかったんだろうなぁ…
その上で、私はこの授業の意義は共感する立場。
教頭先生も急遽対応を検討すると話してくれたけど
対応できない可能性もあるよね。
ちがう切り口でやってほしかったけど、
それがかなわないのであれば、
その授業の時間に行かなきゃいけない治療の
予約を無理矢理入れてさ、
早退なり欠席の対応をさせようと思ってる。
本人もそうしたいって言うし。
それでも、大切な自分の歴史だもんね。
自分という人間がどんな人間なのか、
アイデンティティの核になるような情報だもん。
知りたいよね、何とか知りたいよね。
あたしの里親としての務めの1つ。
この子たちの失われた歴史を辿る。探す。見つける。
コロナもあってこの2年間は動けなかったけど、
そろそろ本格的に探していこうと思っています。
児相の力も借りるけど限界ありそうだし、
関係者ももう辿れる宛がすくないけど、
少しでも歴史をたどりたい。
しっかりそこに生きていた証をみつけたい。
現役の先生方、もしこのブログをお読みいただけたら
文科省だったり都道府県教委だったりから配られてる
ガイドラインをもう一度
お読みいただきたいです。
大切な話だからこそ、
その大切な話がまるごと欠落している
子どもたちの心に目を向けてください。
どれだけ苦しむかは想像できるはずです。
その子はこの難しい思春期にでも
ちゃんと受け止められる子ですか?
他の子たちと大きく異なる歴史を見せつけて
何を感じさせたいのですか?
ほんの少し心寄せて下されば
わかっていただけると思います。
性教育とライフストーリーワーク。
(ライフストーリーワークは人生という物語を認める作業)
この前に同じだと言っていた話を
今日直面した問題を通して今回具体的に書いてみました。
性教育もライフストーリーワークも
自尊心と慈愛心、死生観に直結する
アイデンティティそのもの。
自分とは何たるかがわからないで
自立することは不可能。
アイデンティティに悩んでいた私だからこそ
子どもたちのためにやってあげるべきこと。
一緒に歴史探ししよう。



