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コクピットを作った、一応、見える範囲でね。

シートベルトもつけたけど、キャノピをのせても意外にわかる。

塗装は一応、世傑に出ていたのをやることにします。ドイツ機の塗装は難しさがあるね。

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忘れたころに更新という悪い癖


浪切り不動の風景、追加です。それとオミヤゲ、蓮沼の道の駅でね、酒があったのは意外だったので買いました。その名も「おらい」、どれも味はわるくありませんでした。

ツーリング「やじうま部門」のジャンルもこれで確立された。

走行距離124Km

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そして肝心の懸崖仕立ての本堂。この岩山を見て、清水寺風にしようというアイデアがわいたんだろうか。

自分の足(階段はいまだにおそるおそる状態)のこともあるので登れるか考えたが、だめなら戻ればいいと思って登った。道はできているので心配するほどではなかった。

ところどころに露出した岩のかたまりを見ると波に洗われたものか、奇妙な形にデコボコになっている。

周辺は平地なのになんでこんな岩山があるのか不思議だった、説明の立て札を引用しますね。

「沖積世の縄文海進により、この丘が海岸線に面した時、石灰質の物質の浸透により固結した沖積世の凝灰質砂岩である」・・・と。

つまり、縄文期にはここらへんは海の波が押しよせるような場所だったわけだ。

道はつづら折れのようになっていて、すぐに頂上になる。懸崖の木造の骨組みは京都・清水寺とは規模も違うが、小作りでかわいらしい。

途中に石碑やほこらがある。

本堂の回廊に上がって絶景をながめる。山としては高さが30メートルかな、本堂は20メートルくらいか、それほど高くないところがかえって恐怖感をおこす高さだ。

遠くを見ていればいいが、真下を見るとちょっとしゃれにならない恐さがある、手すりも低いので気をつけたほうがいいだろう。落ちた人はいないのだろうか。

本堂のまわりをひとまわりした。

で、帰途につきました。

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http://www.city.sammu.lg.jp/benri_menu/08-kankou/bunkazai/03-n_namikiri.html


道の駅・オライはすぬまの前の「芝山はにわ道」県道58を北上。ずーっと見慣れた風景。

やがてR126との交差点、ここも見慣れた景色なんだよね、向こうにトンネルがある風景。

左折、R126に入って帰りの方向をとる、やがて成東町の中心地、ここら辺に浪切り不動があるはず、市街地がちょっとあるあたりに入ってぐるぐる周ってしまった。

まあ、迷ったわけね、でもありました。浪切り不動、成東山長勝寺。路地の奥にあった。石塚山という小高い岩山の頂に清水寺のように本殿があるんだが、そばに来るまでわからなかった。

住宅地の中にあってこじんまりとしている。創建は元和4年(1618)。創建のいわれはともかく、本堂が京都・清水寺形式に「懸崖」?になっているのが見所ですね。

赤い仁王門になってます。仁王さんは朱色もまぶしいが、表情がかわいらしい。ぜんぜん怖くない、こんなことで邪鬼をはらえるのだろうか、よけいな心配をする。

境内に入るとすぐ目の前に岩山が聳え立つ。が、右手に石像があってこっちを見ている。弘法大師。そばに行ってみると石柱が並んで、四国八十八霊場めぐりの・・・なにか。

かえるもいる。

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アシはこれでいいかなってとこです。

はじめ、塗装を決めたんだけど、ここへ来て計画変更・・じゃなく計画を白紙にしたんで、未定となりました。

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現場を離れると昼を過ぎている。海に近いこともあるから魚関係の食事を、と考える。
確実なところでは、蓮沼村に道の駅があるらしいので、そこをめざす。

県道124をそのまま九十九里方向に走る。やがて木戸という、海岸に平行する県道122との交差点に着く、海からは少し離れているが。この県道もずいぶんの回数来てる。左は銚子、右に行けば茂原、一宮だ。

その122に左折して入り銚子方向に2キロくらい行く、また交差点があるから右折して少し走れば道の駅、「オライはすぬま」がある。

「オライ」というのが聞きなれないが「自分の家」という方言だと言う。「おら(自分)」の「い(家)」ということのようだ。ここらへんでも自分のことを「おら」というのだね、東北方言が来ている?わけだ。

エリア内にはなにかオブジェのようなものがここかしこに置いてある。
「蓮味(はすみ?)」と看板のある食堂に入る。

時刻はもう2時半、昼を過ぎているせいか客はあまりいない。3時までランチメニューがあるようなので、そのひとつの「いわし丼セット」650円を注文。

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現場、貯水池の西側からの風景ですね。ポンプ室がある方、表の道路側。

歩道にあたるところなのか敷石がなく、地面がむきだしになっているのは、やはり地割れしたりしたものなのか。

この西側は持ち上がっていないが、持ち上がっている東方向を見渡すと坂の上から見ているような錯覚を起こすね。ただ、多少は向こう側が少し低くはなっているようだけど。

北側の空き地に木造の小屋ができているけど、これは今回の地中の水抜きのポンプのためのものだろうか。

それで、そこにいた作業員風の人に「水抜きをしているのか」と訊いたところ、「平均をとっている」とか言ってた。じつはそのときよくわからなかったが、地中の水を抜いて、貯水池が傾いているのを水平にするということだったんだろう。

「壊すのか」と訊くと「わからない」と言ってた。

この西側から見てもそうだけど、バリケードがあって、なにかやってるという感じはするけど、持ち上がったのがきれいで、あんまり見事?なんで、何も言われなければ、初めからこうなっているものだと思ってしまうんではないかね。




PS・・・忘れてました、読売新聞の記事の後半、事件の原因の推測部分です。

「周辺の地下水位は1メートルと高い数値を示していたことから、同課は「降雨などで地下水位が上昇し、池を押し上げたのでは。その下に土砂が流れ込み、陥没が起きた」と推測する。ただ、ここ数日はまとまった雨もなく、詳しい原因は不明のまま。同課は今後、池の周囲の地下水を抜き、陥没した場所の補修を進め、被害拡大を食い止める方針だ。

 不思議な現象に住民たちも首をひねるばかりで、口々に「こんな光景は初めて見た」「地下水が原因らしいが、あんな重いものが浮くものなのだろうか」と話していた。

 一方、コンクリート工学が専門の笠井芳夫・日大名誉教授は「コンクリートの調整池といっても水が入ってなければ船と同じ。地中にたまった水で浮き上がることは十分考えられる。もっとも、地下水位が高かったのに中が空だったというのでは、調整池としての機能を果たしていたのか、そちらのほうは疑問だ」と指摘する。

(2009年7月5日08時43分 読売新聞)

ワシが行ったときは貯水池には水は底の方にしかなかったけど、もともと大して入ってなかったらしいね、それで貯水池としては重量が軽くなっていて、そのときに地下水が貯水池の下にたまって貯水池を押し上げた、もし水がもともと入っていたらそんなことにならなかったかもしれないということだろう。

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貯水池の周囲は、やはりというか地面がむき出しになっていた。バリケードの端から奥へ入ると、空き地に鉄管?があって、そのところどころに蛇腹状のビニールパイプがつながっていて地面につなげられている。

パイプの中に水がたまっている。新聞記事では地下水が貯水池を押し上げているということであるから、その地中の水を吸い出そうというものなのか。

記事では周辺にも多少の影響があったようにかいてあったが、そばの電信柱の根元が修復したようであった。