百折不撓


  (ひゃくせつふとう)

 

  意味: 何度失敗して挫折ざせつ感を味わっても、

       くじけずに立ち上がること。

       どんな困難にも臆おくせず、初めの意志を貫くこと。

 

  由来: 蔡邕さいよう「橋大尉碑きょうたいいのひ

        「百折」は、何度も折れること。

        「撓」は、枝などがたわんだり、まがったりすることで、気力がなえること。

        「不撓」でくじけないこと。

 

       蔡 邕(さい よう、132年 - 192年)は、中国後漢末期の政治家。

          若い頃から博学で、太傅(たいふ)の胡広に師事した。

          辞章・算術・天文を好み、音律に精通した。

 

ゴルフで常に90台で回るのが40年来の夢である。

100を切ったのは指(手だけで足りる)で数えられるくらいだ。

練習はしているものの全く進歩しない。

ダイエットの方もここ10年、妻に言われて75kgを目指しているが、

76kg~78kgで達成していない。

 

どちらも挫折感がないのは・・・・良いことか?悪いことか?

だから進歩しない・・・馬馬虎虎・・・いい加減だ、猛省!!

 

2019年11月12日

朝はもう炬燵を手放せない。

 

先日ネットで購入しラグマットが少し薄いのと、

ずれるのが気になっていた。

商品レビューに「もう少し厚い方がいい」と書いたところ、

すぐさま商品案内のメールが届いた。

この悩みを一気に解決してくれそうな商品だったので、

早速注文している、今日あたり届くかなぁ・・・?

その商品が

  ラグ 下敷きラグ 2畳 約180×180cm ラグplus+ 厚手

   ふかふか 滑り止め 洗える ホットカーペット対応

   ウレタン 防音 子ども ラグプラス

である。

 

進歩しないが懲りずに午前中はゴルフの練習に!

 

昨日は雨が降ったので菊芋掘りができていない。

午後は菊芋掘りをしよう!!

 推古天皇 その一

 

     推古天皇(すいこてんのう)

       第33代天皇(在位:593年1月15日〈崇峻天皇5年12月8日〉 -

                   628年4月15日〈推古天皇36年3月7日〉)。

       歴代天皇の中では最初の女帝(女性天皇)である、

       また、女性君主は当時の東アジアではまだみられなかった。

       容姿端麗であり、政治感覚に優れていたという。

 

 即位以前の動向

   第29代欽明天皇の皇女で、母は大臣・蘇我稲目の女・堅塩姫。

   第30代敏達天皇は異母兄で夫でもある。

   第31代用明天皇は同母兄、

   第32代崇峻天皇は異母弟。

   蘇我馬子は母方の叔父。

     『日本書紀』推古紀に

       「姿色(みかお)端麗(きらきら)しく」、

       挙措動作は乱れなくととのって(進止軌制)おり、

       18歳で異母兄の渟中倉太玉敷天皇(敏達天皇)皇后となり、

       34歳のとき渟中倉太玉敷天皇が崩御した。

 

   用明元年(586年)夏5月、

   敏達天皇の殯宮(もがりのみや)に異母弟の穴穂部皇子が侵入し、

   皇后を犯そうとした。

         (もがり)

            日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、

            死者を本葬するまでのかなり長い期間、

            棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、

            死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、

            死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの

            物理的変化を確認することにより、

            死者の最終的な「死」を確認すること。

            その棺を安置する場所をも指すことがある。

            殯の期間に遺体を安置した建物が「殯宮」である。

     

   寵臣・三輪逆に助けられたが、

   逆は穴穂部皇子に同調した物部守屋らに追い詰められ殺された。

 

 即位

   その後、用明天皇が2年ほど皇位に在ったが、

   用明2年4月9日(587年5月21日)に崩御した後、

   穴穂部皇子を推す物部守屋と泊瀬部皇子を支持する蘇我馬子が戦い、

   蘇我氏の勝利に終わった。

 

   そこで皇太后(額田部皇女)が(しょう/みことのり)を下して

   泊瀬部皇子(崇峻天皇)に即位を命じたという。

 

   しかし、5年後の祟峻5年11月3日(592年12月12日)には

   崇峻天皇が馬子の指図によって暗殺されてしまい、

   翌月である12月8日)に、

   先々代の皇后であった額田部皇女が、

   馬子に請われて、豊浦宮において即位した。

 

   時に彼女は39歳で、史上初の女帝となった

   (ただし、神功皇后と飯豊皇女を歴代から除外した場合)。

 

   その背景には皇太后が実子の竹田皇子の擁立を願ったものの、

   敏達の最初の皇后が生んだ押坂彦人大兄皇子(舒明天皇の父)の

   擁立論が蘇我氏に反対する勢力を中心に強まったために、

   馬子と皇太后がその動きを抑えるために竹田皇子への

   中継ぎとして即位したのだと言われている

   (だが、竹田皇子は間もなく薨去した)。

 

聖徳太子・遣隋使については推古天皇 その二で!!

 

2019年11月11日

算用数字で表すと1111となり、

漢数字で表すと十一十一となることから、

多くの団体や企業がこの日を記念日にしている。

日本記念日協会による認定の記念日では10月10日に次いで多い。

  ●豚まんの日

     「(11)」が豚の鼻に見える事から。

  ●下駄の日

     下駄の足跡が「11 11」に見えることに由来。

  ●鮭の日

     「鮭」という漢字が魚偏に「十一十一」と書くことに由来。

  ●電池の日

     「十一十一」が「プラス・マイナス・プラス・マイナス」に見えることに由来。

 

卓球の団体ワールドカップは、

男女とも中国が強かった。

男子は準決勝で中国に負けて三位。

女子は決勝で中国に負けて二位。

来年の東京五輪では日本のリベンジを期待したい。

 

老人には卓球をお勧めする。

ゴルフより生涯スポーツとして適していると思う。

 

午前中は1カ月半ぶりに卓球の練習に!

当たるかなぁ・・・・・?

 

午後は菊芋掘りをしよう。

今年は去年の掘り残しの芋で何もしないのに育った。

当分の間は毎年菊芋が採れるのか・・・ラッキー!!

転びても花びらのごと七五三

 

  鑑賞: 七歳の時私が着た七五三の着物は、

       母が七歳の時の着物を仕立て直したものだった。

       三歳違いの妹は、お姉ちゃんのお下がりはいやだ、と言い、

       祖母の綸子(りんず)の長襦袢を仕立て直した。

 

       妹のその着物の淡い水色と、

       髪をきゅっと結んで千歳飴を握りしめている顔が、

       遙かな記憶の彼方にくっきりとある。

       そして六年前、同じ水色の着物を着て、姪は七歳を祝った。

 

       着てはほどき、洗い張りしてまた仕立てる。

       優れた文化だとつくづく思う。

       

       この句の女の子の着物は赤だったという。

       二年前の十一月、作者は近所の世田谷八幡に一人散歩に。

       さほど大きくない神社だが、

       それでも土曜日とあって色とりどりの親子連れでにぎわっていた。

       と、目の前でひときわ目立ってかわいい赤い着物の女の子が、

       あっというまもなく転んでしまった。

       はっとしながらも、特に一句をなすこともなく数日が経つ。

 

       ある日、次の句会の兼題が「七五三」と気づき、

       「七五三、七五三」と考えながら歩いていたら、

       あの時の光景とともに「この句がはらりと天から降ってきた」ので

       「推敲はしていない」そうである。

 

       いわゆる「ごとく俳句」は避けましょう、が常識だが、

       この句は、転んで花びらに見えたのではなく、

       花のように愛らしい女の子は、

       転んでもなお花びらのようだったのである。

 

       寒冷の地では、七五三は十月に行うところも多いと聞くが、

       十五日をひかえた週末、あちこちの神社が賑わうことだろう。

       世田谷八幡に行ってみようか、

       句が降ってくる可能性は極めて低いけれど。

            (今井肖子)

 

 

私も氏神さんの氷上八幡神社に参拝してみようかと・・・、

ひょっとしたら、句のような場面に逢えるかも?

 

2019年11月10日

今日午後、延期されていた即位パレードが行われる。

今朝、昨夜の祝賀式典の映像を見て感動した。

「嵐」の奉祝曲を聴いて目頭の拭う皇后さまを見て、

なぜか涙がでてきた。

なぜ「嵐」が選ばれたのか?

素敵な歌をありがとう!私も「嵐」のファンになった。

 

午前中は久しぶりにゴルフの練習に!

 

午後は炬燵の中でまったりと・・・!

テレビ囲碁、パレードをLIVEで見よう!!

百八煩悩


  (ひゃくはちぼんのう)

 

  意味:人間の迷いのもととなる欲望のすべてのこと。

 

  由来: 人間の感覚をつかさどる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に、

       色・声・香・味・触・法の六塵の刺激がある。

       この六根に好(よい)・悪(わるい)・平(どちらでもない)の三種、

       あわせて十八の煩悩が生じる。

 

       これが浄(きれい)・染(きたない)の二種にわかれて三六種、

 

       さらに、過去・現在・未来の三つに配されて合計百八種とされる。

 

今年1月から月に一度四国八十八カ所参拝バスツワーに参加している。

今月は13日から一泊二日で高野山に行ってくる。

 

参拝する時は皆で般若心経を唱える。

 「観自在菩薩 行深般若波羅密多・・・

  色不異空 空不異色

  色即是空 空即是色・・・・

  無眼耳鼻舌身意

  無色声香味触法・・・・・

  菩提薩婆訶  般若心経」

 

般若心経も最初と比べ、自分でも上手くなったと思う。

なんとなく、心が豊かになったように・・・?

が、仏には程遠い、煩悩はまだまだ・・・

それが人間である。

 

このツワーの中に金の杖の先達は200回を超えるらしいが・・・

煩悩はどうだろう?

やっぱり人間だから・・・・!

 

2019年11月9日

昨夜炬燵を出した。

今朝は炬燵の中でブログを書いている。

 

9月25日から始めたトマトハウスの作業は全て完了した。

今日から普段の生活に・・・・。

しかし、体のあちこちにあざがあり、ふしぶしが痛い。

今日は散髪に行って家でゆっくりしよう! 

 崇峻天皇

 

   崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、

      第32代天皇(在位:587年9月9日?〈用明天皇2年8月2日 〉-

                  592年12月12日?〈崇峻天皇5年11月3日〉)。

 

 

  欽明天皇の第12皇子。母は蘇我稲目の女・小姉君で、

  敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟にあたる。

 

 即位

   大臣の蘇我馬子によって推薦され即位した。

   一方大連の物部守屋は、

   同母兄の穴穂部皇子を即位させようとはかるが、

   穴穂部皇子は蘇我馬子によって殺害されてしまう。

   その後、蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼし、

   これ以降物部氏は没落してしまう。

 

      丁未の乱(ていびのらん)

        仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と

        対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた。

 

       587年7月、蘇我馬子は群臣と謀り、物部守屋追討軍の派遣を決定した。

       馬子は厩戸皇子(うまやどのみこ・聖徳太子)、

       泊瀬部皇子(はつせべのみこ・崇峻天皇)、

       竹田皇子(たけだのみこ)などの皇族や諸豪族の軍兵を率いて

       河内国渋川郡の守屋の館へ進軍した。

    

       大和国から河内国へ入った蘇我陣営の軍は

       餌香川の河原で物部軍と交戦し、戦後の河内国司の言によれば

       双方合わせての戦死者は数百に上ったという。

 

       守屋は一族を集めて稲城を築き守りを固めた。

       軍事を司る氏族として精鋭の戦闘集団でもあった

       物部氏の軍勢は強盛で、守屋自身も朴の木の枝間によじ登り

       雨のように矢を射かけ、大いに奮闘した。

 

       皇子ら追討軍の軍兵は恐怖し、退却を余儀なくされた。

       これを見た厩戸皇子は仏像の加護を得ようと白膠木を切り、

       四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、

       勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。

       馬子は軍を立て直して進軍させた。

 

       迹見 赤檮(とみ の いちい)が大木に登っている守屋を射落として殺し、

       総大将を失った物部軍は総崩れとなる。

       この好機に追討軍の寄せ手は攻めかかり、

       守屋の一族らを殺し、結果守屋の軍は敗北して離散した。

 

 暗殺

   物部氏の没落によって欽明天皇以来の崇仏廃仏論争に決着が付き、

   法興寺(飛鳥寺)の造寺事業が行われた。

   しかし、即位したあとでも政治の実権は常に馬子が握っており、

   次第に不満を感じるようになった。

 

   592年10月4日に、猪を献上する者があった。

   天皇は笄刀(こうがい)を抜いてその猪の目を刺し、

    「いつかこの猪の首を斬るように、

     自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」

   と発言。

   そのことを聞きつけた馬子が「天皇は自分を嫌っている」と警戒し、

   部下に暗殺命令を下した。

   そして東国の調を進めると偽って天皇を儀式に臨席させ、

   その席で東漢 駒(やまとのあや の こま)に暗殺させた。

   臣下により天皇が殺害されたのは、確定している例では唯一である。

 

   死亡した当日に葬ったことと、陸地・陸戸がないことは、他に例が無い。

 

第三十三代 推古天皇(すいこてんのう)は以降に!!

 

2019年11月8日

立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。

  秋が極まり冬の気配が立ち始める日。

  『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。

  言い換えれば秋の極みともいえ,

  実際,多くの地域ではまだ秋らしい気配で紅葉の見時はまだ。

 

昨日トマトハウスの遮光・保温シート張替えと

業者への廃棄物の持ち込み作業が完了した。

今日はハウス内の清掃作業をする予定である。

約幅20m・長さ50mのハウス三棟の清掃なので、

一日かかるだろう?

賃金は昨日支払われた・・・・嬉しい!!

何に使うかなぁ・・・・?