細(こまかい)

 

  けまい・・・広島県高田郡

 

  こーまい・・・島根県

 

  こまい・・・青森県津軽、秋田県雄勝郡<紙をこめぁぐ切る>、山形県庄内郡、

        三重県名張郡/員弁郡、兵庫県淡路島、

        島根県大原郡<柄が少しこまいですねー>/鹿足郡、

        岡山県真庭郡、広島県安芸郡、熊本県下益城郡

 

  こまか・・・長崎県西彼杵郡、熊本県天草郡

 

  こまこい・・・秋田県雄勝郡、石川県鹿島郡/羽咋郡、熊本県天草郡、和歌山県

 

  こましー・・・広島県比婆郡

 

  こまたらし・・・鹿児島県

 

  こまんか・・・長崎県西彼杵郡、熊本県天草郡、鹿児島県揖宿郡

 

  こんちー・・・滋賀県愛知郡、大分県西国東郡

 

  こんちょか・・・福岡県、佐賀県神埼郡

 

  こんまい・・・和歌山県日高郡

 

  ちーまい・・・熊本県玉名郡

 

  ちさこい・・・岩手県東磐井郡

 

  ちもこい・・・岐阜県養老郡

 

  ちゃい・・・福井県、京都府葛野郡

 

  ちょこまい・・・徳島県

 

  べーびしゃーん・・・沖縄県波照間島

 

 

讃岐弁講座

 

  こんまい

 

  ちょんもに(細かく)

 

  ちんもに(細かく) <もちっとちんもに作ってつか

 

2026年2月18日

長野の弟の友人K氏(広島県向島在住)から、

昨年10月に頼まれていた仏壇用の小さなコーヒーカップ。

(色つけはY師匠が入院中にしてくれた)

 

   左        中          右 

高さ:5cm,径:6cm  高さ:4cm,径:4.5cm  高さ:6cm,径:5cm

 

 

今週末に弟が広島に行くようなので間に合ってよかった!

 

午前中は散歩!

 

午後はeーTaxで確定申告書作成と

小川下池水利組合の令和7年度総会案内文の作成。

 

 

  

        

 

王 粲(おう さん)177年 - 217年

  中国後漢末期の文学者・学者・政治家。

  

  208年、劉表が亡くなると後継者の劉琮を説得し、

  曹操に帰服させた。

 

  文才に優れており、筆を取ればすぐに文章を作り上げ、

  手直しすることがなかったために、

  人々は彼が前々から考えていたものを

  書いているだけだと思い込んだ。

  しかし実際は、

  それ以上不可能なほど努力していた結果だったという。

  六十編に近い詩・賦・論・議を著した。

  代表作として「登楼賦」「七哀詩」などがある。

 

    七哀詩
 
  漢文
    西京亂無象
    豺虎方遘患
    復棄中國去
    遠身適荊蠻
    親戚對我悲
    朋友相追攀
    出門無所見
    白骨蔽平原
    路有飢婦人
    抱子棄草閒
    顧聞號泣聲    
    揮涕獨不還
    未知身死處
    何能兩相完
    驅馬棄之去
    不忍聽此言
    南登覇陸岸
    廻首望長安
    悟彼下泉人
    喟然傷心肝
 
  書き下し文
    西京(せいけい)乱れて象(みち)無く
 
    豺虎(さいこ)(まさ)に患(わざわい)を遘(な)
 
    復(ま)た中国を棄てて去り
    身を遠ざけて荊蛮(けいばん)に適(ゆ)
    親戚我に対(むか)いて悲しみ
    朋友(ほうゆう)相追(あいお)いて攀(すが)
 
    門を出(い)づれども見る所無く
    白骨平原を蔽(おお)
 
    路(みち)に飢えたる婦人有り
    子を抱(いだ)いて草間(そうかん)に棄(す)
    顧みて号泣の声を聞くも
    涕(なみだ)を揮(ふる)って独(ひとり)(かえ)らず
    未(いま)だ身の死する処(ところ)を知らず
 
    何ぞ能(よ)(ふたり)ながら相完(あいまつた)からんと
    馬を駆(か)って之を棄てて去る
    此(こ)の言(げん)を聴くに忍びざればなり
 
    南のかた覇陸(はりよう)の岸に登り
    首(こうべ)を廻(めぐ)らして長安を望む
    悟る彼(か)の下泉(かせん)の人を
    喟然(きぜん)として心肝(しんかん)を傷(いた)ましむ   
 
  現代語訳
    西の都長安はもはや乱れて正道も廃(すた)れてしまった。
 
    今は狂暴な軍閥どもが、山犬や虎のように荒らし回っている。
 
    私が東都落陽をすててこの新都にやって来たのは、
    ほんの数年前であった。
    ところが、もう荒れ果てて見る影もない。
    意を決して再び都をすてよう。
    落ちゆく先は荊州、蛮地である。
    別れにあたって、親戚の者たちは私の顔を見て悲しみ、
    友人たちは追いかけてきて車にすがる。
 
    城門を出ても見るべきものは何もなく、
    白骨だけがごろごろと平原にころがっているばかり。
 
    しばらく道を行くと、一目で飢えているとわかる女に出会った。
    女は子供を抱いていたが、その子を草むらにすてると歩き出す。
    火のついたような泣き声。
    女は振り返って、しばし茫然と立ちつくしていた。
    だが、あふれる涙を手で払うと、また歩き出し、
    もう立ち止まることさえしなかった。
    あとには女のつぶやきのみが残った。
 
    「あたし一人の死に場所も知れないのに、
     どうして二人で生きて行けよう…………」
    私は馬に鞭をくれてその場所を急いで離れた。
    女の言葉が聞くに堪えなかったからである。
 
    南へ南へと進むと、覇陸にたどりついたので、
    その陸の高台に登ってみた。
    そして振り返り、はるか彼方の長安をながめた。
    すると、覇陸に眠る文帝の平和な御世がしのばれ、
    善政を慕ってやまなかった「下泉」の作者の心が
    しみじみと胸に入り、
    切なくなってため息をつくのであった。
 
  鑑賞
    この詩は、後漢末の乱れた時世を嘆くものである。
    そして、なんといっても描写の生々しさであろう。
 
    親戚や友との別れ、平原にころがる白骨、飢えた母子、
    それらの場面が異様な臨場感を伴って読者に迫ってくる。
 
    詩のクライマックスは飢えた女との出会いである。
 
    詩人は、この場面をリアルに描くことによって、
    時世を鋭くえぐり出したているのである。
 
    兵火に荒らされ、食べものもなく、
    日々餓死に怯えることこそ民衆の現実であった。
    
    時世は、母が子を捨てねば生きていけないほど
    厳しいものとなっていた。
    
 
 
2026年2月17日
旧正月
  旧暦としての太陰暦(中国暦)の正月(年初)。
 
  中国大陸、香港、マカオ、台湾のほか、
  フィリピン、シンガポール、韓国、北朝鮮、
  ベトナム、マレーシア、タイなど、
  中華圏では春節(しゅんせつ)と呼ばれ、
  国の祝日として定められている。
 
大連駐在の妻は春節の連休を利用して
帰宅(昨年10月以来)する予定だった。
しかし私の退院の見込みが立たなかったので、
てっきり故郷(瀋陽)に帰省するものと思っていた。
 
昨日連絡があり
「瀋陽は寒いので、東京にいる」とのこと。
 
東京在住の息子と姪っ子夫婦らと春節を祝うようだ。
 
私はリハビリ中なので、まぁ、それも良しである!
 
午前中は高松市S病院で診察とリハビリ。
 
午後は散歩に行くつもりである。
 
昨日の散歩の帰りに、
第一発見者であり命の恩人T氏から当時の状況を聞いた。
 
2m以上落下して、
左上腕骨骨幹部骨折だけで済んだのはまさに奇跡的、
神さま・仏さま・ご先祖さまに感謝である。
 

スリナム共和国

  通称スリナムは、南アメリカの北東部に位置する共和制国家。

  東にフランス領ギアナ、西にガイアナ、南にブラジルと国境を接し、

  北はカリブ海、大西洋に面する。

  首都はパラマリボである。

  かつてはオランダ領ギアナとして知られており、

  アメリカ州の独立国では唯一のオランダ語圏でもある。

  南部にはギアナ高地につながる山地があり、

  面積、人口ともに南アメリカで最小の独立国である。

        スリナムの位置

 

  文化遺産

    パラマリボ市街歴史地区 - (2002年)

      首都パラマリボのうち、

      コロニアル様式の町並みが残る区画を対象とする。

      中南米に多く残るスペイン・ポルトガルの旧植民都市と違い、

      例外的にオランダの様式とクリオーリョの様式が融合した

      独特の都市景観が残されている。

 

          ウァーテルカントの住居群

            ウァーテルカントの住居群

 

      ゼーランディア要塞は

      1667年に建設されたパラマリボ最古の建築物である。

          海から眺めたゼーランディア要塞        要塞に残る砲台

          海から眺めたゼーランディア要塞  砲台

 

      大統領官邸は1730年に建てられ1階だけ石造で、上層階は木造である。

          大統領官邸     独立広場

           大統領官邸         独立広場

 

      財務省は1836年から1841年にかけて

      地元の建築家フォイクト (J.A. Voigt) が建て、

      当時は政庁として用いられていた。

          財務省の外観

 

      改革派の教会堂は独立広場についで

      古い教会広場 (Kerkplein) に建てられており、

      17世紀当時にはそこが政治の中心地だった。

          改革派の教会堂外観  内部のオルガン

                    内部のオルガン

 

       聖ペトロ・パウロ大聖堂は、

       1885年に完成したローマ・カトリックの大聖堂で、

       ネオ・ゴシック様式を採用した木造建築物である。

          大聖堂の外観  大聖堂の内装 

                     大聖堂の内装

 

       ウァーテルカント(水辺地区)は歴史的な建造物群が残る地区。

          ウァーテルカントの町並み  スリナム川から眺めるウァーテルカント

                  スリナム川から眺めるウァーテルカント

 

    ヨーデンサヴァネの考古遺跡 : 

     ヨーデンサヴァネの入植地と

     カシポラクレークの共同墓地 - (2023年)

 

      ヨーデンサヴァネの考古遺跡は、

      17世紀にユダヤ人がスリナムに定住し、

      農業や商業活動を展開したことを示す重要な遺跡です。

      この遺跡は、ユダヤ人のサバンナと呼ばれ、

      ユダヤ人の植民地化の初期の試みが見られます。

      遺跡内には、シナゴーグや墓地、

      石造りの建物の基礎などが残されており、

      ユダヤ文化とカリブ地域の交流史を語る重要な史跡です。

 

      

 

      ヨーデンサヴァネの考古遺跡 : ヨーデンサヴァネの入植地とカシポラクレークの共同墓地

 

  自然遺産    

    中部スリナム自然保護区 - (2000年)

      ギアナ楯状地に位置するスリナム中西部の熱帯原生林からなる。

 

      

 

 

2026年2月16日

午前中は久しぶりに散歩に行くつもりである。

 

昨年は「小豆島八十八ケ所めぐり(全6回)」と

「大和ぼけ封じ霊場めぐりと風鈴まつり」に行ってきた。

 

今年は「歌声バス倶楽部(全3回)」と

「軽登山倶楽部(全5回)」に申し込んでいる。

 

軽登山の第1回目が3月18日にある。

 

  高知県 四十寺山 

    標  高:313m

    歩行距離:3km

    歩行時間:3時間

 

左上腕骨折のリハビリ中だがリュックを担ぐのは大丈夫だろう!!

25日間入院したので足腰が弱っていないかなぁ・・・?

 

なお、歌声の1回目は4月4日だが、こちらは無問題である。

 

 

 

零(こぼれる)

 

  あまりすたる・・・島根県大原郡/隠岐島<盃から酒があまりすたった

 

  あんでぃゆん・・・沖縄県首里

 

  いっかえる・・・鹿児島県

 

  いっかやる・・・宮崎市

 

  いっかる・・・長野県北安曇郡

 

  いっこぼるる・・・佐賀県、熊本県八代郡

 

  いっちゃかる・・・長崎県対馬

 

  うつれる・・・島根県石見<茶碗の水がうつれた

 

  かやる・・・富山県砺波、和歌山県、愛媛県松山

 

  すずるる・・・佐賀県、長崎県五島、熊本県

 

  すずれる・・・長崎県対馬<すずれこぼれる(あふれこぼれる)>、

         熊本県八代郡

 

  ちえる・・・徳島県

 

  ふたる・・・三重県度会郡

 

  ほーりゆん・・・沖縄県首里

 

  まかる・・・青森県、岩手県、宮城県栗原郡/石巻、秋田県、

        群馬県勢多郡、三重県度会郡/宇治山田市

 

  まける・・・兵庫県淡路島、岡山県岡山市/児島郡、徳島県、

        愛媛県、高知県  

 

 

 

讃岐弁講座

 

  ちえる

 

  つえる・・・大川郡

 

  まける

 

2026年2月15日

井上陽水 夢の中へ

  ♬探しものは何ですか
   見つけにくいものですか
   カバンの中もつくえの中も
   探したけれど見つからないのに
   まだまだ探す気ですか
   それより僕と踊りませんか
   夢の中へ 夢の中へ
   行ってみたいと思いませんか
   うふっふー うふっふー
   うふっふー さあ

   休むことも許されず
   笑うことは止められて
   はいつくばって はいつくばって
   いったい何を探しているのか
   探すのをやめた時
   見つかることもよくある話で

   踊りましょう 夢の中へ
   行ってみたいと思いませんか
   うふっふー うふっふー
   うふっふー さあ

   ・・・・・以下省略     ♬
 

2月13日退院一日目の夜、

寝室のLED照明のリモコンがベットの横机に見当たらない。

引き出し、その周辺を探しても無い。

仕方がないのでテレビを付けて、入り口のスイッチでオンオフする。

夜中にトイレに起きても不便だ!

 

翌日、午前/午後の2回、諦められずにベットの下や上、

室内の考えられるところ探すがやはり見つからない。

 

諦めてネットでリモコンを注文してから2階に上がって、

オリンピックをベットの上で見ることにした。

 

寝る前に布団を整えようと足で蹴り上げると、

”がちゃ”と物音がする。

 

もしやと思って布団をはぐるとリモコンを発見!!

 

どうやら、毛布と布団の間に入っていたようだ。

 

2700円が無駄になった、ヤレヤレ・・・・!

 

ほんまに、よくある話し出すなぁ!!

班婕妤(はん しょうよ、紀元前48年 - 2年)

  中国前漢の成帝の倢伃(側室)。

  『百美新詠図伝』では、

  歴朝で最も名高い美人百人に選ばれている。

  また、中国四大美人と認知されることもある。

 

   やがて帝の愛は趙飛燕(ちょうひえん)とその妹に移っていく。

  趙飛燕姉妹が嫉妬深く驕慢(きょうまん)であることを知った彼女は、

  自分から帝に請うて、

  皇太后づきとなり、長信宮(ちょうしんきゅう)にさがった。

 

 

   怨歌行(えんかこう)

 

漢文

  新裂齊紈素

  皎潔如霜雪

  裁爲合歡扇

  團團似明月

  出入君懐袖

  動搖微風發

  常恐秋節至

  涼風奪炎熱

  棄捐篋笥中

  恩情中道絶

 

書き下し文

  新に斉(せい)の紈素(がんそ)を裂けば

  皎潔(こうけつ)にして霜雪(そうせつ)の如し

  裁(た)ちて合歓扇(ごうかんせん)と為せば

  団団(だんだん)として明月(めいげつ)に似たり

  君の懐袖(かいしゅう)に出入(しゅつにゅう)

  動揺して微風発す

  常に恐る秋節(しゅうせつ)至り

  涼風炎熱(えんねつ)を奪い

  篋笥(きょうし)の中(うち)に棄捐(きえん)せられ

  温情中道にて絶えんことを

 

 

現代語訳

  新しく練り絹を下ろしますと、

    やはり世に聞こえた斉の国の生地

 

  その白さ、清らかさといったら、

    まるで霜か雪かと思われました。

 

  型紙に合わせて裁ち、

    両側張りの合わせ団扇(うちわ)としますと、

 

  まんまるな面(おもて)は満月のように輝きます。

 

  暑い夏にはあなたの懐や袖に入って

    どこにでもお供しました。

 

  そして時折、ユラユラゆれて、

    いい風を呼びました。

 

  でも、夏が過ぎて秋がきたら…………

    と考えると私はたまらなくなるのです。

 

  涼しい風が燃えるような熱気を追い払ってしまい、

 

  やがて団扇もたんすの中にうち捨てられて、

    顧みられなくなりましょう。

 

  せっかくのあなたの恩愛も、

    中途で冷えてしまうのではないかしら。

 

鑑賞

   一・二句は団扇の素材がすばらしいこと、

  つまり班婕妤の美しさが天性のものであることをいう。

 

   仕立てられた団扇の見事さを描く三・四句は、

  彼女の美しさに磨きがかかったことを示す。

 

   五・六句は、

  成帝のおそばで寵愛をほしいままにしたことを示す。

 

   それ以後の句は、成帝の愛が趙飛燕姉妹に移り、

  やがては棄てられるであろう自らの運命に対する

  恐れを述べている。

 

2026年2月14日

昨日午後、S病院から退院した。

 

  1月18日(日) 夜(21時過ぎ) 

        転倒 左肩に異常発生

 

  1月19日(月) 朝(8時半)   三木町 K医院 受診

        左上腕部骨折と診断される。

        手術要だが1月先になるというので、

        高松市のS病院を紹介してもらう。

 

  1月20日(火) 朝(8時半)   S病院へ

        そのまま入院する。

 

  1月23日(金) 午後

        左上腕骨骨幹部骨折 の手術実施

 

  1月24日(土)

        リハビリ開始 

 

  2月4日(水) 午後

        抜糸       

 

  2月13日(金)午後

        退院

 

  2月17日(火) 午前

        診察とリハビリ

 

25日間の入院生活は大変だったが、良かったこともある。

 

糖尿病食で1日1800㌍だったため、

75kgーー>72kgと3kgのダイエットになった。

また食生活改善の講習も受けられたので、

今朝から実践するつもりだ。