原文
聖人の常の仰せには、
「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり、
されば若干(そくばく)の業をもちける身にてありけるを、
助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
と御述懐(ごじゅつかい)候いしことを、
今また案ずるに、善導の
「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、
曠却(こうごう)よりこのかた、
常に沈み常に流転して、
出離の縁あることなき身と知れ」
という金言に、少しも違わせおわしまさず。
さればかたじけなく、
わが御身にひきかけて、
われらが身の罪悪の深きほどをも知らず、
如来の御恩の高きことをも知らずして迷えるを、
思い知らせんが為にて候いけり。
意訳
聖人が常に、おっしゃっていたお言葉がある。
「弥陀が五劫という永い間、
熟慮に熟慮を重ねてお誓いなされた本願を、
よくよく思い知らされれば、
まったく親鸞一人ののためだった。
こんな量り知れぬ悪業をもった親鸞を、
助けんと奮い立ってくだされた本願の、
なんと有り難くかたじけないことか」
いまもまた、その述懐が思いだされるのだが、
善導大師の、
「私はいまも罪悪を犯し続け、
苦しみ迷っている人間。
はるかな過去から常に苦海に沈み、
生死を繰り返し、
迷界から離れる縁あることなき身と知る」
という金言と、
少しもたがわぬことが知らされる。
されば先の聖人のお言葉は、
もったいなくもご自身のことに引き寄せて、
我々がいかに、罪悪深重の者かということを知らず、
その我々を憐れみたもう弥陀の大恩をも知らないか、
深く眠りこけている私たちの迷いを
覚醒させんがためにちがいない。
2025年1月2日
初詣は氷上八幡神社(1月1日5時)へ!
讃岐の元旦はあん餅雑煮でキマリ。
その後、
予定通り朝倉神社(住吉さん)の社殿内で御神酒で一杯!
集落の人と穏やかな新年を迎える。
初夢の日
2日の夜から3日の朝にかけて見る夢を
初夢とすることから生まれた日。
初夢で1年の良し悪しを占った昔は、
よい夢を見るため枕の下に七福神が乗った
宝船の絵を敷いて寝る人も多く、
商人が絵を売り歩いたという。
七福神
インド伝来の『仁王経』の中にある
「七難即滅 七福即生」という仏教語に由来する、
福徳の神として日本で信仰される七柱の神のこと。
七柱は一般的には、
恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、
寿老人、弁財天とされている。
![]()
歌川国芳(1798–1861)の浮世絵の七福神。
![]()
七福神と宝船、歌川豊国(1806年)
なお、よく言われるめでたい夢
「一富士、ニ鷹、三茄子」は、駿河の名物とされる。
いい夢みたいなぁ・・・・・・!!
午前中は歩いて(往復7km)多田善最(ぜんも)神社に初詣。
(善最は源満仲=多田満仲=多田氏始祖の直系とされる)
夜は長野の弟夫婦と焼肉新年会をするつもりだ!



