イワシの記憶と通過儀礼と生活の糧 | 物書きの大脳辺縁系~ライター・白土勉のブログ

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【大脳辺縁系】脳の中で、感情や記憶、本能行動を司る中枢となる部分。
 サラリーマンから転身した脚本家、白土勉の感情(日々思うことや気になるニュース)や記憶(今までの仕事や経験談)、本能行動(執筆に関するあれこれ)などを書こうと思います。

今日は全国的に日曜日の中、一人デスクに向かい、仕事中の白土です。
あ、正確に言うと、今は休憩してブログを書いていますね。

前にも書いたのですが、私は脚本家としてデビューする以前、会社員を
しておりました。ある電機メーカーの中に、映像ソフト製作を行う部署が
あり、新卒で入社後にそこに配属されたのですが、二年後には子会社
に出向となって、そこで映像関連の営業やマーケティングを主にやって
おりました。映像というところは一貫していたんです。最初の何年かは、
その会社の中で、会社員として映画を創る(プロデューサーの)仕事に
携わりたいと思っていたのですが、次第に変わって参ります。

現在は、不況の影響もあって、多くの会社で社内の雰囲気はあまり良く
ないと聞きますが、当時は今と違い、さほど世相も悪くはなかったので、
和気藹々とした会社も多く、私の居た会社は特にそうでした。

レンタルビデオ店(当時はまだDVDではありませんでしたので)に毎月
発売される映画のビデオを売り歩くという営業で房総半島を回っていた
ことがあるのですが、一年の中で、ある時期になりますと、妙に上長が
そわそわして、やたら話しかけてくるようになります。

「白土君。今月の状況はどうだね?ちゃんと、目標は達成出来そう?」
「(社内のシステムで受注状況が分かるので、戸惑う)え? ええ、まぁ」
「そうかぁ。あと、どこが残っているんだい? 今後のスケジュールは」
「(昨日、営業予定表を出したばかりなので、更に戸惑う)あ、あとは……
千葉市内と銚子だけですね」
「そうか。優秀優秀。ところで、銚子に、確か新規開拓を考えているお店
があるって言ってたね?私も丁度、予定が空いてるんだが……」

……

イワシ食いたいんだ。

そうです。銚子は日本でも有数のイワシの漁港でして、特に入梅イワシ
と言われる梅雨前後のものは、脂が乗っていて旨いんです。

私がそのテリトリーを担当し始めた時、担当交替の挨拶の為に、上長も
同行してくれたのですが、今思えば、これもイワシ食べたさのことなので
しょう。他のテリトリーには、一緒に行こうという話は出ませんでしたから。
更に付け加えるなら、銚子に新規開拓を考えている店があるなどと、私
は一言も言っておりません。そこは大人だから、あうんの呼吸で敢えて
言いはしませんが。

取引店では手持ち無沙汰でつまらなそうにしていた上長が、晩飯の時に
は別人のように活き活きとしていらっしゃいました。

その会社の中には、そんな愛すべき上長がゴロゴロといらっしゃいました。

別の上長は、私が下に就くなり、私に年齢を尋ねました。戸惑いながらも
答えると、勝ち誇ったようにこう言ったのです。

「君が管理職になる頃に、俺はもう定年でこの会社には居ないから、君が
俺の上に立つことはない。だから、俺の言うことを素直に聞け」


…………



子供ですか、あなたは。

何て上司の下についてしまったんだと、我が身の不幸を嘆きつつ、その
上長の下で切磋琢磨した訳ですが、結果的にはその上長はとても私の
ことを理解してくれましたし、我が子のように接してもくれました。とても
素晴らしい上長であり、初対面時のあれは、その方の部下になる為の
一種の通過儀礼だったのでしょう。

その人の口癖が「俺は、サラリーマンのプロだ」でした。

対する私は、いつかは映画の物語を作る仕事に就きたいという気持ちを
内に秘めたまま、かりそめの会社員生活を過ごしていたのです。ただ、
生活の糧を得る為だけに。

本当に、いいのだろうか? 俺の人生、このままで。

そして、この上長のような人たちに失礼ではないだろうか?

私の心の底には、そのような考えが澱のように溜まり、次第に重くのし
かかるようになってきます。

水は低きに流れ、人は易きに流れます。

そんな愛すべき上長に囲まれて、辛いことや苦しいことはありながらも、
日々の仕事を楽しみながらやっていくことは、とても素晴らしい人生だと
次第に感じられるようになりました(その後の不況は、恐らくあの社内も
一変させたでしょうが、当時はそんなことはこれっぽっちも考えることは
ありませんでした)。だからこそ、そこに居ることが非常に怖くなったの
です。

組織の一員として勤め上げることは素晴らしいことですが、私が自分の
生涯として望んだのは、そういう生き方ではありませんでした。そうである
にも関わらず、そこに居たら日々の仕事が楽しすぎて、そういった上長を
始めとした人々との交流に満足してしまい、映画を創る仕事に携わりたい
というモチベーションを保てないと思ったのです。

自分を敢えて苛酷な環境におくことも、時には必要です。

その結果が、一昨日のブログに書いたメ系の人たちへの取材だったりも
しますが。

今、シナリオライターを目指して修行している人が沢山いると思います。
その殆どの方が、目の前の生活を支える糧を何らかの仕事で得つつ、
作品を書いているのでしょう。私も、常日頃から塾生たちに「生活の糧
は理屈ではなく、どんな時でも得なければ生きていけないのだから、
それを考えた上で修行をしなさい」と言っています。

けれど、今目の前にある日々の中で自分のモチベーションが保てない
と思ったなら、勇気を出して今の生活を一変させることも必要なことだ
と思うのです。

今日と同じ明日を繰り返すことは、苦痛に感じる時もあります。ですが、
敢えて語弊を恐れずに言うなら、同時にそれは楽なことでもあります。
新たなことにチャレンジするには色々なことを考えて、判断しなければ
なりませんし、勇気も必要です。決して、楽ではありません。

そして、その勇気を持ったから、今の私があると思っています。

結局、全ては自分に与えられた一生分の時間を何に使うかのかという
問題でしかない訳で、それに気づいた時、私は会社を辞めたのです。

今でも、あの会社で、あの上長たちと過ごした日々を懐かしく思い出し
はしますが、後悔はしていません。物を書くという仕事は、私にとって
そういうものであり、もしあの時に戻ったとしても、もう一度同じように
会社を辞めるでしょう。

今日、ある作品を書いている“生みの苦しみ”の中で、ふとそんな事を
考えました。


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