旅先で見つけた大きなホーロー皿です。

青い草花文に赤い縁、染付大皿の様な雰囲気も有ります。

ガラクタですが、五百円ですから文句は有りません。

 

 

昔は洗面器や鍋などホーロー製品が沢山有りましたが、最近見かけなくなりました。

今も作られてはいますが、ほとんど外国製の様です。

 

 

今若者には昭和レトロが人気が有るとか。

私も日本製のホーロー見つけると、懐かしさを感じ求めたことが有りました。

 

 

安っぽい模様や色使いは、むしろホーローらしい気がします。

ただ、これでご飯が食べられるかどうか疑問です。

 

 

食器なら、やはり白いものでしょうか。

フリマで見つけた白い皿は、クリーム色がかり擦れて光沢も無くなっていました。

 

 

ひっくり返すと、オキュパイドジャパンの印が有ります。

そうすると、七十年以上前のものですから無理もありません。

ホーロは骨董でも無く古道具のままですが、手軽に求められるのも今の内かもしれません。

 

 

 

 

 伐採跡地の遺跡に行って見ると、ギボウシの花が咲いていました。

この遺跡も見つけて二年に成りますが、まだ教育委員会に報告していません。

昔この様な事が有りました。

 

 

 国の道路建設用地で石器を見つけ教育委員会に届出たのですが、しばらく放置されていました。

現場確認がされたのは、私が再び蜜柑箱に詰めた遺物を持ち込だ時です。

その時には工事が進み、遺構や遺跡はほとんど破壊されていました。

不信感を持ったのは、「やっぱり遺跡が有ったのかな」「あまり騒がないで欲しいと言われたことです。

本来ならば遺跡を探して保護する立場の市と県の担当者の発言ですから、驚いたのは言うまでも有りません。

また、現場で立会った若い職員からは「県では遺物はここに移動して来たものと考えている」と話されました。

「どういう事?」「現場も見ずに遺物の写真だけで、なぜ判断出来るのしょう?」

私は土地所有者の知人から、ここは笹薮のうえ氏神様も祀られていたため長い間土が動いていない事を確認していました。遺物が出たのは地面が掘削された所で、土砂の搬入や埋立も行われていません。

ただ、専門家の見解ですから、何か根拠が有るのだろうと思っていたのですが・・。

 

 

この道路は、遺跡区域の片隅を横切る形で計画されました。

その為道路建設に当たっては、事前に遺跡が埋もれていないか試掘する調査が必要になります。

調査費用は原因者負担ですから国土交通省が支払いますが、元は税金です。

ここで県が二年に渡って調査しましたが、何も出て来ませんでした。

私が遺物を見つけたのは、その結果を基に既に工事が着手された後です。

希少な遺物や遺構でも発見されない限り、工事に影響を与えるとは考えられません。

では、市や県はなぜこのようなことを言ったのでしょう。

今では全国の遺跡発掘調査報告書の一部が、インターネットで読めるようになりました。

そこで、この調査報告書を探し読んでみました。

 

 

 調査は「トレンチ」という細長い溝を、地中に何本も掘り確認します。

ここで二十数本掘られたトレンチのどれ一つからも、遺物や遺構は確認出来なかったとされていました。

広大な面積のごく一部の調査ですから、例え遺構や遺物が発見出来なかったとしても、このこと自体問題では有りません。

このトレンチの位置を確認したところ、やはり私が遺物を見つけた所は調査されていませんでした。

ただ、この中で2つのトレンチからのみ旧表土が検出されていました。

一つは私が石器を見つけた所に最も近いものです。

あと数mも掘れば遺物は出たはずで、当然ですが遺物は最初からここに埋まっていたのです。

また、調査結果のまとめには「・・・調査地の小丘陵の西緩斜面は自然傾斜地であり・・・縄文時代の貝塚や遺構は南部の丘陵平坦部と東斜面に広がるものと考える」と記載されています。

西緩斜面は道路が通る中心部で、私が遺物を見つけた所です。

その後も丘陵西側で幾つか遺物を採集していますから、実態とはかけ離れた調査報告と成っています。

また、通常工事中に遺物が出て来れば、短期間でも工事を停止し調査されるものですが、その形跡も無いのです。

 

 

 

 推測に過ぎませんが、何も無かったと報告した場所から、大量の遺物が出て来られては面目が立ちません。

何より「ずさんな調査で着工し遺跡が破壊された」との批判もされかねません。

この「不都合な真実」が、公になることを避けたかったのでしょうか。

埋蔵文化財担当者ならば、この仕事に誇りと情熱を持って取り組んでいるものと思っていましたが、例外も有るのかもしれません。

過って世間を騒がせた「旧石器遺跡ねつ造」と言う事件が有りましたが、私が読んだ本には次の様に書かれていました。

 

 

「考古学が大古の昔の人々の考えや生活を、地中の真実に基づき明らかにするものならば、発掘の事実を作為的に表現してはならないし、まして偽りの発掘などは許されるものでは無いのは言うまでも有りません。

それ故、それに関わる人達には、真摯で高潔な生き方が求められているのです。

 

 

 

 

伐採跡の遺跡に行って見ると、山はもう深緑です。

遠くからホトトギスの声が聞こえます。

そうすると、今晩の肴は鰹でしょうか。

 

 

数日雨が降って表土が流されたのか、久しぶりに石鏃を見つけました。

ここで見つけた石鏃は、10個ほどです。

石鏃以外の石器は、なぜか粗製のものが多い様です。

 

 

石器や土器があまり見つからなくなり、剥片や石核等も採集することにしました。

珪質頁岩の剥片と板状の玉髄(チャート?)を見つけました。

5分割されていますが、地表近くに有ったので重機で割れたのかもしれません。

台石にしては薄く小さいので、石器材料でしょうか。

 


 

相変わらず見つかるのは、敲磨器類です。

遺跡脇の道路でも、磨石を二つ見つけました。

薄く砂利が敷かれ探すのが大変ですが、調べる必要は有りそうです。

何か発見出来れば良いのですが。

 

 

 

山ツツジが満開になりました。

花器は 平清水焼の「すず徳利」です。

東北で「すず徳利」と呼ばれる細口の壺は、庶民の酒容器として各地で焼かれていた様です。

 

 

山形の平清水焼は、片口やこね鉢、納豆皿など主に雑器を焼いた窯です。

東北では広く流通していましたが、瀬戸や伊万里が入る様に成って衰退したと言われています。

 

 

胎土が純白で無いものには、化粧土をかけ焼成しているものが多く見られます。

これら徳利の底を見れば、灰色、薄茶、レンガ色など様々です。

平清水焼は陶磁器窯で、盛期には沢山の窯が有った様ですから、色々作っていたのでしょう。

 

 

「すず徳利」で最も見かける文様は「笹文」です。

起源は伊万里あたりに有りそうですが、簡素な絵付けには勢いが有ります。

 

 

大量に作られる雑器ですから、無駄な装飾など必要なかったのでしょう。

希少では有りませんが、民芸と呼んで相応しいものかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

伐採跡の遺跡で、今年初めてウグイスの声を聞きました。

「囀り」は下手でしたから、まだ本調子ではないのでしょう。

そばに道が有るものの、ここでは滅多に人に会うこともありません。

コロナで出かけられず、いつの間にか石器を探す事が、癒しとなっていた様です。

今回も、押された土砂や木の下などを探しました。

 

 

「尖頭器」に見える石器を見つけました。

先端は鋭く断面は三角で、どう見ても「槍先」です。

「三稜尖頭器」や「ナイフ形石器」に似ています。

 

土砂中の石に小さな遺物が紛れている事が有るので、怪しいものを確認しました。

剥片を洗って見ると、小さな石器が現れました。

 

 

「箆状」と「円盤状」の石器も見つけました。

剥離や敲痕が有り、箆は掻器、円盤は磨石と思いますが「円盤状石製品」の可能性も有るかもしれません。

 

 

採り頃のタラの芽を見かけたので、少し頂いて来ました。

ほろ苦い山菜が、とても美味しく感じるのはなぜでしょう。

 

 

考えれば、大古の昔から私たちは、旬のものを食べて生きて来ました。

体の中に、その記憶が残っているのでしょうか。

冬眠から目覚めた熊は、フキノトウなどを食べて、体に溜まった老廃物や毒素を出すとも言います。

きっと体にも良いに違いありません。