「堤焼」の小甕を補修しました。

こんな雑器を金接ぎする人は、あまり居ないかもしれません。

でも「堤焼」は、江戸中期から続く宮城を代表する焼物で、小さい甕は珍しいのです。

柳 宗悦は、「堤焼の力強さは他の窯に見られないものであり、特に鉄釉になまこ釉が流れ出たものは、変化に富んで見ごたえがある」と評価しています。

 

 

この前見事な「堤焼」の大甕が二つ、廃品回収に出されているのを見かけました。

確かに今の生活では無用なものながら、その価値を分かっていたのかどうか。

でも、物の価値は人それぞれですから、それも仕方の無い事かもしれません。

 

 

私が知人から頂いた大甕も、まだ充分に使えるものです。

東北の器らしく凍み割れぬよう分厚く丈夫に作られていますが、縁に小さな欠けがありました。

でも、それは長年使われた日用雑器の証なのです。

 

 

「堤焼」の甕などは人気が無いものの、もう同じようなものは作ることが出来ませんから、後世に大切に伝えていかなければなりません。

そう思って、集めた「堤焼」はもう十数個に成りました。

ただ、小さなものなら良いのですが、甕などは思いのほか場所を取ります。

 

 

この大甕のなまこ釉と窯変で生じた景色は、ずっと眺めていても飽きが来ないものですが、高さ80㎝幅50㎝も有りますから、そうすると、庭か畑にでも伏せておくしか有りません。

 

この前、幕末から明治の猪口や皿などを頂きました。

中には傷ものも有りましたが、充分使用できます。

貴重な物では無いものの、まだ使えるものを棄てることは出来ません。

この猪口で地酒を飲みましたが、これが丁度良い大きさです。

 

 

散歩の際に「採ったタラの芽は「白和え」にしました。

知人から「生ワカメ」と「ホヤ」を頂いたので、それが肴です。

 

 

この地方のワカメやホヤは、生産量日本一で品質も最高とされています。

何より産地直送ですから、不味い訳が有りません。

 

 

ただ、私は生ホヤの食感があまり好きで無いのです。

でも少し火を通せば身が締り、より美味しくなります。

焼いて食べることも有りますが、今日はオイル漬けにしました。

 

 

ホヤは夏が旬ですが、ワカメは春先です。

中でも外海で育てられたものが、腰があり美味しいとされます。

ワカメのメカブは刻んでとろろにしました。

 

 

茎も浅漬けで食べますから、ワカメにはほとんど捨てるところが有りません。

「棄てればゴミ生かせば資源」なのです。

 

 

 

掘り起こされた松の根の間に土器片を見つけたので、窪地を探すことにしました。

地表には木屑やアマ岩などが混ざっていますから、少し掘り下げて見ることにしました。

掘る事は、本来遺跡の破壊で厳禁ですが、既に重機により掘削攪乱された場所です。

シャベルで土を除けていると、柱状の細長い石が出て来ました。

 

 

長方形の礫を分割したもので、以前も同じ様な石を幾つか見つけています。

刃は付いていませんが、この形から連想するのは柱状片刃石斧です。

でも、この石斧は弥生時代のものですし、少し細長過ぎる気がします。

そうすると、槍先などの細長い石器を作るための材料なのかもしれません。

 

 

窪地から最初に出て来たのは、扁平で青みがかった石剣状の大きな石です。

表裏とも磨いている様に見えますが、元は川原石ですからハッキリしません。

ここは河川が近くに有りますから、目的の石器に適当な石が選ばれているのでしょう。

石剣とするには形が整っていないので、石斧なのかもしれません。

 

 

近くから出て来た短冊状の石の基には、抉りがありました。

使用痕は無いものの、これも石斧の可能性が有ります。

 

硬く締った土の中から、大きな角柱の石が見つかりました。

これも石棒の様な形ですが、先端などが摩耗しており、敲き石や磨石だと思われます。

 

 

地表からは、石鏃や剥片を幾つか見つけました。

この剥片は珪質頁岩製で、硬く鋭く割れる性質のため剥片石器などに使用されます。

見つかった石鏃も、同じ石で作られている様です。

良質な珪質頁岩は山形や秋田が産地と言われていますから、はるばるここまで持ち込まれたものかもしれません。

 

 

 

掘り起こされた大きな木の根の間に土器片を見つけました。

ただ、重機で押され積み重なっていますから、この木が元々どこに有ったのかは分からないのです。

それで、窪地を探して見ることにしました。

 

 

根についた土の中から、この様な遺物が出て来ました。

中には玉髄かメノウの玉石が有ります。

以前もここで石英や玉髄の石核等を見つけていますから、持ち込まれたものでしょう。

 

 

久しぶりに文様のある土器片も出て来ました。

土器は小さなカケラを含めれば沢山見つけているのですが、風化したのか、無文なのか、文様の確認出来るものは少ないのです。

中には薄いものや、弥生時代の土器文様に似たものがあり、全て同じ時代のものなのか疑問が有ります。

 

 

再び、鏃形の土器片を見つけました。

これは三角土版などと違って、薄い土器片です。

たまたまこの形に割れた可能性もありますが、複数ありますから、私は偶然の産物では無いと思うのですが。

窪地から出て来た石器については、次回報告する予定です。

 

 

 

 

 

 

最近見たネットの記事には「常識を疑い地道に調査を続けることで見えてくる真実が有る」と書かれていました。

そこで、再び伐採跡の遺跡の調査です。

今度は一番最初に土器や鉄鏃などを見つけた場所を探すことにしました。

 

 

既に造成され一部には土が盛られていますから、もう立ち入ることは出来ないでしょう。

ここでも以前石器らしいものを見つけていたのですが、やはり有りました。

磨石、削器、尖頭器などです。ただ土器は見つけられません。

大型の尖頭器は、断面が三角で「角錐状石器」にも見えます。

 

 

磨石に3本線傷が有るものを見つけたので、持ち帰り観察しました。

2本は少し長い直線、1本は太く短い線で平行してはいません。

耕運機などでは無く、別々に付いた鍬などの傷に見えましたが、偶然過ぎる気もします。

 

 

大きな石棒の未成品に似た石も見つけましたが、風化が激しく加工痕が明確でないため、自然石なのかもしれません。

その他にも、舟底形の石核に似たものや、剥片などが見つかりました。

 

 

ここにも遺跡が有ったのは確実と思いますが、百mほどの距離ながら、伐採跡の遺跡がここまで広がっていたのか、それとも別の遺跡なのかは分かりません。

 

 

また、伐採跡との中間地点では、石斧らしいものを見つけました。

扁平な礫石を利用したもので、先端が摩耗して、土堀具の様に見えます。

 

 

伐採地の斜面では、団子状の黒っぽいものが地表に埋まっていました。

「アスファルトか漆の塊かも」と洗って見ると、デコボコの真っ黒な固まりが現れましたが・・・

でも、小石や砂の様なものが含まれていて、舗装材のアスファルトの様です。

 

 

舗装路まで離れてはいるのですが、工事の際に持ち込まれ、偶然ここで埋まったのでしょう。

私の様な素人には、遺跡で見つかるものは、全て遺物に見えますから、慎重な判断が必要と思っていますが、それにしても紛らわしい事です。