氷の刃、冷酷さと慈愛
刀というのは、使い用で全く相反するものになります。
心が冷えていると、その刃は冷酷さそのものになります。
傷つけ、痛めつけ、容赦無く切り捨てていきます。そこには何の絆もなく、ただ欲望を満たすために使用されるもの。まさに、氷のように冷たく、鋭い刃です。
どれだけ振り回せばいいのでしょうか。
そこには満たされるという救いはありません。いくつく所がないのです。
いつまでも、欲望を満たそうとして、その欲望に振り回されて、果てしなく突き進んでいく。
虚しい道です。
相反する欲望、反発する心、突き進む葛藤、何を求めているのかを見失っています。
何に反発しているのかというと、創造主からの愛からです。
それを受け入れることができないから。
この氷の刃が深く突き刺さっている地から、その冷たい刀を引き抜いて、振り翳してその刃を見つめていると、その氷が静かに解けていきます。
そう、もう時は過ぎました。
見失った場所を求めて、この永遠ともいえる道を彷徨ってきましたが、今、ようやく本来のいるべき居場所に帰ってきました。
溶けた刃は、今は、慈愛の光を放っています。
透明感のある虹色の暖かでほのかな光を放っている慈愛の刀。
その波動に包み込まれると、心が静かに溶けてしまいます。心が奥から満ちていきます、安心感、幸福感。
やっと、慈愛の刃は、創造主と繋がって、その慈愛の光を放っているのです。
全てと繋がって、その穏やかな光は広がって浸透していきます。
これまでの傷ついた傷を癒しながら、修復しながら、慈愛で満たしていきます。
やっと、やっとです。
全てが帰っていきます、創造主の元に。
見失っていた、長く長く求めていたもの、それが”慈愛”、でした。