なんだかんだ言いながら、今週はカレーの1週間。

今日もシフト上では午前中だけでしたが、結果的には1日。こんなもんです。

 

ここ最近は厨房作業より接客対応をしている自分。

もちろん状況に応じてフレキシブルに動きますが、普段は厨房中心(ここ最近は配達にも行ってますね)に動いていますが、接客も知っておく必要がありますからね。

 

で、今日は先日の「同じことの繰り返し」に登場した利用者さんがシフトに。

元々別の利用者さんがシフトに入っていたけど、その利用者さんは休息入院になったためシフト変更をすることに。さらに仲たがいのあった利用者さんとペアにすることもできないため、そこも合わせてシフトを組みなおした形で行うことに。

 

正直なところ、この利用者さん、尾を引いています。

逆に仲たがいをした利用者さんの方は、一見したところではさっぱりしている感じ。もちろん影響が全くないわけではないと思いますが、適応の差があるような感じ。

 

なので、接客の準備に入る前も何となく不調を訴える状態。

自分も承知しているので、無理する必要はないこと、何かあれば遠慮なく話すことを伝えて作業を始めることに。

 

もっとも、普段から接客をしている利用者さんなので、勝手はわかっています。

ポイントポイントで指示をしたり、注文状況の確認をするなど、自分が何かするのは本当に最小限のことだけ。作業云々よりも、できる限りの「支持」をしていました。

 

すると利用者さんも落ち着いてきたのか、少しずつ余裕が出てくる形に。

場面によっては自分が前に出ることもあったけど、基本的には利用者さんにお願いしていました。仲たがいした利用者さんとニアミスする場面もあったので、その時は自分が間に入って、影響を最小限に。

 

時間ができたときは、利用者さんとの関係の話を。

別に自分から振るわけではなく利用者さんからの話なので、それに対しての意見や今後についても話すことに。この前の時よりは冷静に話せている状態。

 

そんなことをしながら接客をしていたら、利用者さんも何の問題もなく過ごせました。

閉店作業をしてからの振り返りでは「だんだん(調子が)良くなってきた」とのこと。事実、始まる前は不安や不調を訴えていたけど、接客中は全くそんなことを訴えることもなく、いつも通りの接客をしていました。

 

利用者さんに話したのは、できるだけ何をしていよう、ということ。

何もすることがないと考えが及び、結果的にどんどんと自分を苦しめていく方向になってしまう。それよりも作業とかに参加して意識が別のところに向かっているときの方が落ち着いている。だから些細なことでも何でもいいから、何かしらをしている時間が余計な考えに及ぶことはない。その辺を心掛けて過ごしていくことを話しました。

 

実際のところ、面談をした翌日にも「ダメな考えの方になっちゃう」との電話も。

その時も、家にいて閉じこもっているよりも、短い時間でも作業とか別のことに集中できる時間がある方が過ごしやすいのではないか、と提案。そして今日は約4時間、接客に集中して参加。その方が全然落ち着いていました。

 

要は意識をどこに持っていけるか。

自分で意識を動かすことが難しければ、半ば強制的に意識の向くこと、作業だったりレクレーションだったり、もちろん趣味に意識を向かせるのでも構わない。そうすることで「余計な考え」になる時間を少なくすることにつながるし、その時間が少なければ余計なことは考える余地もない。それができるようになると、この利用者さんももう少し生活がしやすくなるのだと思います。

 

まぁ、これでできれば苦労ありません。

今日はこれでよかったけど、明日は明日。どうなるのかはわかりません。そして明日の接客のシフトは、仲たがいをした利用者さんが入ることに。自分が明日も接客になるのかわかりませんが・・・どうなるのでしょうか。

ある利用者さんから「やっぱり、ダメだ」のつぶやき。

自分が話を聞いていましたが、それがどこまで昇華されたのかはわかりません。

 

この利用者さんは、強迫性障害のある方。

以前はかなり障害の症状が強かったみたいで、最近はある程度の社会生活には支障のない状態。しかし今の課題はその部分より、対人関係の部分。

 

自分がここに入る前から、この利用者さんの対人関係の経過は豊富な状態。

先日は別の利用者さんからこの利用者さんに関しての相談を受けていますが、この利用者さんも対象を次々に変えています。

 

先週、この利用者さんと別の利用者さんとの間で仲たがいが。

結果としてはお互いに傷ついた状態で、相手の利用者さんは立ち直るのに時間がかかりそうな状態。もちろんこの利用者さんも結果的に自分もダメージを追ってしまった状態。

 

まぁダメージというよりも、施設長からの話にへこんだ感じも。

施設長がこの利用者さんのケース担当だから、自分は「相談支援」というニュートラルな立場で基本的に話を聞いています。で、できるだけニュートラルに対応することを心掛けています。

 

この利用者さんとは午前中に喫茶レクで一緒に外出をしており、その時は安定。

でも戻ってくると段々と気持ちが落ちてきて、いろんなことを話す状態。最初の時点では特に何かするというわけでもなく、まず話を聞いていく姿勢だけに徹することに。ただ利用者さんも段々と話したいことが多くなってきたのか、面談室での相談を希望。場所を移して面談室で話を聞くことに。

 

面談室に移って話の内容が変わる・・・わけでもありません。

ご本人も話をしていく中で、何が主訴だったのかがわからなくなってしまう状態。なので自分が合いの手を入れて整理しながら話をしていくこと、40分。

 

言いたかったことは、仲たがいした利用者さんのこと。

色々と考えたり悩んだりしているけど、話の元を探すと、行きつく先は仲たがいした利用者さん。ご本人としても決着をつけなければいけないことを理解しつつも、やっぱり消化できない状態。何かにつけてとある出来事をその利用者さんに紐づけをして考えてしまう状態。傍から聞けば「そんなことはない」と言えることだし、そこまで紐づけするようなものでもない。でも、紐づけをしてしまう。

 

正直話だけ聞いていると、若干「関係妄想」のような感じもします。

ただ「人間関係の課題」なので、そうは言えないのが実情。でも、今までも他の利用者さんと何かあれば同じような道を歩いてきて、それが学習出ているのかというと、できていない。だから今回もこうやって引きずって、自分で自分を苦しめてしまう。

 

自分が話をしたのは、「人は人、自分は自分」ということと「あるがままに」であること。

「あるがままに」というのは難しいことだけど、良いことも良くないことも、すべて「あるがまま」に受け止めること。それがどんなに悪いことでも、あるがままに。で、そこには評価や感情をとらえることなく、そのままにする。そのままにして、前へ進む。(この辺は自分が休息入院をしていた時の心理療法;マインドフルネスからちょっと拝借をしたのですが・・・自分、マインドフルネス、うまくできないんですよねぇ、ハイ。)

 

結局色々と振り回されることも、あるがままに捉える。

その良い・悪いの判断を加えることなく過ごしていくことができると、多分変わってくるのだと思います。何でもかんでも紐づけをすることも生きづらさにつながっているから、そのためには「人は人、自分は自分」ととらえることも必要。なんでも紐づけしたら芋づる式に出てくるのだから、その手を放す。それだけで変わってくるんじゃないの、なんてことを話しました。

 

まぁ話した段階では多少はスッキリするのですが、しばらく時間が立つと・・・うん。

帰り際に施設長のところに来て、やっぱり利用者さんのことで話をする状態。うーん、今日は自分と話したことで終結できればいいのですが、できないんですよね。自分がまだ信頼を勝ち得てないとも言えますが、やっぱり話を蒸し返してしまう。で結果的に施設長から注意される。このループを繰り返しているのでしょうね。

 

うーん、なかなかこれも根深い問題です。

きっと同じことを繰り返しては同じ相談を受け、同じ答えを返す。これを繰り返して認知の修正を行っていくことも必要なのでしょうね。特に自分は色んな意味でニュートラルな立ち位置で話を聞いていくことが必要なので、自分も辛抱強く向かい合わないといけませんね。

ここ1週間ほど、調べ物をしていました。

で、ようやく見つかりました。

 

調べていたのは、相談支援の支援内容における根拠。

理事の方へ四半期の報告書を作っており、計画相談事業に関しては自分が作成することに。報告書の内容をどうするか考えていましたが、今まで自分が行ってきた報告書を元に作るのがいいのかなと思い、作成していました。

 

ただ作っている中で、壁にもぶつかりました。

多分、今まで理事会関係の報告書で「相談支援事業」に関する報告書がなかったので、今回が初めての報告書になるであろうと感じることに。となると、報告する内容の根拠も必要かなと。

 

特に根拠を表す必要があると感じたのが、「支援内容」の項目。

相談支援事業を行っている事業所の多くは、相談の内容・支援の内容を決められた分類に沿って報告書を作っています。例えば「気持ちが落ち着かない」や「あの事が気になる」みたいなことについて相談を受けたときは「不安の解消・情緒安定に関する支援」としてカウントをします。

 

そのような項目がいくつかあるのですが、その項目の根拠が出せない。

普段何気なく市役所への報告書を書いていましたが、その報告書の根拠がなかなか見つかりませんでした。以前の職場で「〇〇報告」とか聞いていたような気はしていたのですが、そこが思い出せませんでした。

 

根拠を調べるために、かなり検索しました。

「相談支援事業 報告書」とか「根拠法」とか、いろんな検索ワードを並べました。挙句の果てには支援内容そのものをすべて検索ワードにかけて調べるなどしましたが、なかなか答えは見つかりませんでした。

 

ほとほと調べつくして、どうするか・・・と悩みながら検索を続けると、あった!

ある事業所の報告書の中に「福祉行政報告例」という内容があり、その言葉で検索をかけてみると・・・ありました、求めていた内容が。

 

自分たちが相談支援の分類根拠にしていたのは、

「福祉行政報告例 第21の3 市町村における相談支援」が根拠でした。

 

元々この報告書、行政報告で各都道府県がまとめるもの。

で、都道府県がまとめるためにそれぞれの市区町村に同じ内容の報告を求め、市町村は事業委託している相談支援事業所などに報告を求める。その内容の根拠が、この報告書でした。

 

もう少し調べると、記入要領も探すことができました。

要領を見て「あ、これこれ!」と、自分が相談支援に携わるようになった時に渡された支援内容の分類基準と、同じものがありました。自分もこれを見ながら、利用者さんの相談がどれに当たるのかを判断して、日誌に記録していました。

 

ちょうど先日、相談記録のシステムを導入。

そのシステムでもこの支援内容で分類するようになっており、自分たちの中では当たり前のような支援内容でしたが、これを元にしていたのですね。

 

これで報告書に、分類根拠を示すことができます。

一度根拠を示せば、次回以降の報告書は基本的に数の更新をすればいいので、だいぶ楽になります。

 

余談ですが、どういう支援内容があるかというと、

  • 福祉サービスの利用等に関する支援
  • 障害や病状の理解に関する支援
  • 健康・医療に関する支援
  • 不安の解消・情緒安定に関する支援
  • 保育・教育に関する支援
  • 家族関係・人間関係に関する支援
  • 家計・経済に関する支援
  • 生活技術に関する支援
  • 就労に関する支援
  • 社会参加・余暇活動に関する支援
  • 権利擁護に関する支援
  • その他

と、このような内容で分類をしていました。市からはできるだけこの内容に割り振ってその他はなるべく少なく、なんてことも言われましたね。また福祉サービスでも生活保護に関することは「家計・経済に関する支援」に分類するなど、覚えるまでは少し苦労しましたね。

 

関心のある方は、「福祉行政報告例 第21の3 市町村における相談支援」で調べてみてください。

あなたが一番大切にしてる記念日は?

 

記念日・・・記念になるようなもの、特にないんですけどね。

そもそも自分の中に「記念」と言えるものがないんですよね。

 

記念・・・うーん、ないですよね。

記念ではなく節目ならあるんですけどね。

 

例えば子役をやっていた時のこと。

色んなオーディションも受けるのですが、初めてオーディションに受かった日が昭和最後の日。昭和最後の日というのは、昭和天皇が崩御した日。当時オーディションが終わってそのまま連れてこられたのは、テレビ東京。テレビ東京の中にあった至るところのテレビが、天皇崩御の哀悼を伝える画面に。それがあったから、このことを覚えているのでしょうね。

 

で、前の仕事を辞めたのが、平成最後の日。

別に何の意図もないのですが、結果的に「昭和最後の日」と「平成最後の日」にこんな節目ができてしまいました。平成最後の日なんか、全く狙っていません。いや、狙える余裕なんかこの時は全くありませんから。ホント、すべて結果的になっただけの話。

 

まぁ2つもそろえば、ある意味記念日みたいなものなのかもしれません。

今度は「令和最後の日」に何か起きるのでしょうかね。

 

 

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先日「レジ袋有料化」の話をしました。

その後の方針として、有料化対象外になる袋に切り替え、お客さんからは袋代を取らないことになりました。

 

 

その流れで始まった、有料化最初のカレー販売。

実際のところはここ最近の中ではホントにお客さんが来ない状態。なので混乱することはありませんでした。

 

しかし別の問題も浮上。そのことが今日の職員ミーティングで話題に上がることに。

このことに今日の職員ミーティングは時間を割いた形に。

 

発端は、袋を有料化しない一方でマイバッグの持参をお願いしたこと。

有料化にしないとはいえ、世間の流れに合わせることも必要なのでマイバッグの持参もお願いすることに。そこで接客時にお客さんに「マイバッグはお持ちですか?」と聞くと、持っている人もいれば持ってない人も。で、持ってない人からは逆に「ごめんなさい」と言われることに。

 

そのことが逆にお客様に申し訳なく感じてしまった、との相談を受けた自分。

なのでお客さんにそのような思いにさせないために「袋にお入れしてよろしいですか?」と、聞き方を変えて対応してみてはどうかと助言。その方法で案内をすることなりました。

 

ただ、今度は「安全に持って帰る」ということが問題に。

今まで自分たちで袋に入れてお渡ししていたので、容器が傾かないように配慮していました。しかしマイバッグになってからは袋によって大きさも変わってくるので、簡易包装をしたうえでお客さんに入れてもらうことに。

 

もちろん容器は普通に取り扱えばこぼれない容器を使っています。

仮に少しぐらい傾いても蓋が簡単に開かないような容器を使っていますが、それでも100%開かないとも言い切れません。取り扱い方によっては開く可能性も否定できません。

 

特にカレールウだけの単品販売をするときは、お弁当と違い底板を使用。

容器がお弁当容器に比べ小さく、普通に袋に入れると安定がないため、段ボールを切って袋の底板にして、単品販番にも対応。底板は袋のサイズに合わせています。

 

しかし、マイバッグになってしまうと今までの対応が難しくなることに。

特にちゃんと持ち帰れない(傾いたまま持って帰ってしまう)と、商品として問題のないものなのか。そこに気をもんでしまうとのこと。もちろんお客さん自身で入れるのだから、そこから先はお客さん次第・・・と言ってしまえばそれまでなのですが、やはり持って帰ってもうちのカレーを味わってもらいたいのは当然の気持ち。

 

環境配慮をするのは、今の世界的な流れ。だから、レジ袋からの切り替えが必要。

しかしお客さん任せにしてしまうと、うちのカレーの品質に関わってくることも。傾いたからって味が変わるわけではないけど、ぐしゃぐしゃのカレーは本来うちが提供するカレーではない。ましてや持ち帰りの途中に蓋が開いてしまったら台無し。

 

そもそも、レジ袋の使用はそういった持ち帰りの配慮もあっての使用。

しかしレジ袋有料化になると、その配慮もできなくなってしまう。かといってレジ袋を今まで通りに使っていくのは「レジ袋有料化」の趣旨に反していくものではないか。うちとして、どう対応していくのか・・・が議論の内容でした。

 

まぁ意見としては色々でした。

環境配慮とか関係なく「うちのカレー」を提供するためにはレジ袋が必要だから従来通りにする、世の中の流れに合わせて対応していく・・・って、こうなると議論は袋どうのこうのという話より、お店(極端に言えば、うちの法人)としてどのようなポリシーをもって対応していくのかという議論に。

 

当然ですが、そう簡単に答えが出るものではありませんでした。

「環境」を取るのか「配慮」を取るのか、ある種対極にあるような問題。もう1つ挙げればお客さんがどう考えるのか。「社会」という軸、「店の都合」という軸、「お客さんの都合」という3つの軸でも考えられるため、すべてを満たす・両立させるというのは結構大変な作業とも言えます。

 

レジ袋有料化は思わぬ課題も出すことに。

扱うものが扱うものだけに、取り扱いが非常に難しいです。

今日で6月も終わり。明日から7月。あっという間です。

1年の半分が終わることになるんですね。

 

そんな自分も、社会復帰を果たしておおよそ半年。

まだ今のところ、大きく引っかかることなく過ごせています。

 

社会復帰した時は、本当に仕事ができるのか不安で仕方ありませんでした。

退職する直前は週2日も勤務しているかどうかわからないくらいの状態でしたから、採用が決まっていきなり週5日の勤務ができるのか不安でした。

 

ただ、順応なのかわかりませんが、大丈夫でしたね。

区切りごとに「社会復帰」としてブログにも書いてきましたが、順調に進んでいます。

 

残業も普通にこなしている日々。

でも昔見たいな36協定越えをするような残業の仕方はしていませんし、仮に残業をするときでもメリハリをもってできるようになりました。まぁワーカホリック的な資質も持っているので、仕事が終わっているのにもかかわらずまっすぐに家に帰りたくないところもあるんですけどね。ただそれも車通勤のおかげで自由な寄り道ができるようになったことで、いい方向に向かっていると思いますね。

 

社会復帰の話をするときにほぼ言っているのが「あの頃は病んでいた」ですね。

ホント、今はある程度正常な状態に戻ったので当時の状況を客観的に見れますが、本当に病んでいましたね。今考えると、異常でしたね。自分で止められなかったのですから。

 

異常な状態な時、考えていたのは「薬を飲んでいるから大丈夫」ということ。

異常になる前からもそうだったかもしれませんが、元々パニック障害の治療で抗うつ剤を常用しているのですが、鬱っぽい感じであっても「抗うつ剤を飲んでいるから、うつにはならないだろう」と自分に言い聞かせながら仕事をしていたところがあったかもしれません。

 

でも結果は、抑うつ状態に。教科書通りの状態に。

すぐに休職するという選択肢が取れなかったし、物事の興味もなくし、面白いと思ったことも面白く感じなくなっていた。食欲もなくなり、落ち着いてられなくなった。もはや、職場にいること自体がストレスだった。

 

と、今ならその時の状態を分析しますね。

休息入院をした病院の先生からは「適応障害」の診断。事実、退職して5・6か月経つと徐々に調子は戻りつつありましたから。

 

それに比べると今は、本当に環境も整っていて穏やかです。

ただ「適応障害」と診断された経緯があるので、何か引っかかることができたときに不適応につながらないかは、今でも心配です。不適応になると、以前と同じ道をたどる可能性もあるのでそれだけは本当に怖いです。

 

なので今は順調ですが、まだ油断は禁物です。

どこで何が起こるかわかりませんから、順調であることを過信せずに、マイペースでキャパを超えないようにだけに注意していきたいですね。

計画相談を担当している自分、今のところ所内ケース担当はもっていません。

自分の場合は極端な話、全利用者さんのサービス等利用計画を作ることになったらケース担当どころじゃありません。現実にはないと思いますが、仮に今サービス等利用計画を作っていない利用者さん全員を担当することになれば、半分の利用者さんの計画を担当することに。ケース担当というより幅広い位置づけになるので、この先も個別のケース担当を持つことはないのかもしれません。

 

なので「ケース担当」として相談を受けることは基本的になし。

あっても自分の範囲内で終わる内容だったり、必要に応じてケース担当につなぐのが自分の形に。もちろん利用者さんのことで何かあれば、一緒に考えることもします。

 

夕方、ある利用者さんが施設長に相談。

施設長からはそのあらましが伝えられることに。内容は、利用者さんの金銭貸借。要はお金の貸し借り。

 

その利用者さんは、金銭管理が苦手な方。

なので社協の「日常生活自立支援事業」(以前は「地域福祉権利擁護事業」と呼ばれていたもの)を使って金銭管理を行ってもらっています。なので基本的に必要な金銭については管理をしてもらい、ある程度の中で自由にお金を使うようにしています。

 

ただ、どんなに管理をしてもお金を借りてしまう、この利用者さん。

お金を借りるといっても変なところから借りるのではなく、利用者さんから借りてしまうとのこと。これまでに何度もあって、そのたびに注意され、返済してきました。

 

そして今回も、他の利用者さんからお金を借りたとのこと。

この利用者さんの場合のお金の使い道は、食に関すること。他の利用者さんからお金を借りては、借りたお金は食に消える。今回も他の利用者さんと食事に行き、その場で「お金がない」と言って借りるというもの。ある種、確信犯的な感じもあり。

 

今回の場合は「お金がない」から借りたというもの。

でも必ずしもお金がないから借りているのかというと、そうでもない。ある時は自分の財布にお金があるのにもかかわらず、おごってもらったりお金を借りたりしていることも。

 

「ないから、借りる」というのであれば節制したり他の方法を考える。

けど「あるのに、借りる」というと、何がそうさせるのか。その心理は何なのか。

 

今回は普通にお金を返しましょう、となると思います。

ただそれを防ぐには、いったいどうすればいいのか。ケース担当だけで考えるにはちょっと難題なような気がします。同じことを繰り返す、注意される、でもまた借りる。その繰り返し。

 

今まで自分は知的の利用者さんが多かったのですが、今の職場は精神の方が中心。

知的能力に問題がない・・・とは言い切れなさそうな利用者さんだけど、でもベースは精神。どんな心理でそういった行動になるのか。考えてはみるのですが、これと言った解決法は見つかっていません。

 

ケース担当ではないけど、もし計画担当の利用者さんがそうだったら、自分も考える立場。

担当ではなくても職員の一人として考えて行かなければならないこと。利用者さんの支援って、難しいです。

自分にとっての「夏の歌」と言えば、これしかありません。

ベン・E・キングの「staud by me」。

 

もはや自分も「ネタ」にしているくらいの話ですが・・・

大根子役をしていた時、初めての大きな仕事が「stand by me」で、そこで初めてCDで聞いたのが、stand by meでした。その頃は中学1年生。歌詞の意味なんて、全然分かっていません。

 

でも夏休みにみっちりやっていたので、やはり思い出になっています。

実際には夏休みだけでなく、中学校に入学した時から色々と準備をしていたので、初めて自分がお芝居をしっかりとやった経験でもありました。この経験は、絶対に普通の人では経験できるものではありませんし、自分が輝ていた時代でもあります。

 

実際に大きな劇場でお客さん1200人を相手に、1か月間演じました。

児童劇団での公演でも100人もいなかったと思うので、そう考えるとすごい数ですよね。

 

もっとも、その1年前は「演劇鑑賞教室」で、授業の一環でのお芝居の鑑賞。

その1年後、まさかその舞台に自分が立って演じる側になるとは思ってもいませんでしたからね。

 

一応、当時の台本は残っています。

自分が処分してもいいかなって思っていますが、母親は大事に取っておきたいのとのことで、洋服ダンスの上の段ボールの中に保管しています。

あ、自分の後ろ姿の写ったテレホンカードもありましたっけ。レアですね。

 

stand by meを聞くと、やはりその時の思い出が呼び起されますね。

 

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利用者さんの間では「振り込まれたよ!」との声もある、特別定額給付金。

どうしても経済的に厳しい利用者さんが多い中、10万円の支給は大きなものです。

 

利用者さんからそんな声が聞かれる中で我が家はというと・・・まだです。

自分も普通の人ですから、10万円もらえるものはもらいたいです。

 

銀行の通帳記帳をしてみるものの、未だに振り込まれている様子はなし。

どうやらうちの自治体では、全世帯数の19%程度しか振り込まれていないらしい。

 

一方自分の職場の自治体では、すでに申請件数の72%に支払われている様子。

人口規模を比較するとうちの自治体の半分程度ですから、それだけ事務手続きが早いのかもしれません。

 

とはいえ、自治体によってかなりの差がある様子。

すぐに支払われた自治体があれば、なかなか支払われない自治体も。

 

うちの周辺の自治体の給付状況を見ると・・・半分近くは支払われている様子。

うちよりも人口も多くて規模も大きいのに、支払われている。

 

にもかかわらず、うちの自治体はまだ19%。

うん、遅いですね。なんでこんなに遅いのか・・・まぁ申請書の送付も遅かったし。

 

そういえば「アベノマスク」が来るのも遅かったです。

学校や福祉施設にはまたアベノマスクが配られるみたいですが・・・評判悪いし。

 

やっぱり、貰えるものなら早くほしい、10万円。

特に使い道は決まっていないんですけどね。でも、欲しいです、ハイ。

今日の午前は、特養の清掃。

正直特養の清掃はあまり好きじゃないけど、仕事だから仕方ない。人手も限られているので、そんなときは相談支援なんて言ってられません。

 

元々高齢者分野が自分にとって馴染まないことは、以前話した通り。

多少バイアスのかかった見方をしているかもしれませんが、今日も特養の職員さんを見て「なんだかなぁ・・・」と思ってしまいました。

 

それは特養の利用者さんのこと。

「トイレに行きたい」と何度も言う利用者さんがいるのは、どこの施設にもあること。そして離席してしまう利用者さんがいるのも、どこの施設にもあること。離席してしまう方には安全のため着座センサーを付けた椅子に座っていただいていることも。この特養も、世間的には同じ。

 

ある利用者さんが何度も「トイレに行きたい」と訴えている状態。

近くにいる利用者さんは諦めなのかたしなめなのか、その利用者さんに「座っていなさい」と言う。で、利用者さんが落ち着かないと離席。離席すると、職員が座らせる。その繰り返し。

 

そしてとうとう、利用者さんは立ってズボンを下ろし、おむつの状態に。

職員さんが慌てて「何してるんですか」と駆け付け、ズボンを直しそのまま着席させることに。

 

うーん・・・この利用者さん、ずっとこんな感じなんでしょう。

職員さんも日常のこととして繰り返しているのでしょう。(ただ今日ちょっと見ていたのは、なんだか力ずくで座らせるような感じもあって、それってどうなのかな、と感じてしまいました。)

 

これ、現場は介護ですが、支援という意味では高齢者も障害者も変わらないのかも。

トイレの訴えというのはどの特養でもあるような問題だと思うけど、なぜそんなに「トイレ」を訴えるのか。多分トイレに行っても出ないことはわかっているからそのような対応だと思うけど、にもかかわらずなぜ「トイレ」を訴えるのか。身体機能上の問題なのか、心理的問題なのか。それとも・・・って、考えないのかな。

 

離席の問題。なぜ離席したいのか。

精神上の問題なのか、心理的問題なのか・・・っていうか、普通の人でも「ずっと座っている」って苦痛なはず。逆の立場なら、どう考えるのかなぁ。

 

これらをいわゆる「問題行動」というのであれば、なぜそれが起きているのか。

支援をしていくうえで物事の考察をしていくというのは非常に重要なことで、考察がなければ支援の根拠がありません。

 

「こういう行動が起きるのは、〇〇だからではないだろうか?」

仮説を立て、実際にやってみる。で、うまくいったら継続。うまく行かなかったら、再検討。

 

これがなければ、科学的ではありません。

物事を経験的に評価・判断していくことも必要ですが、一方で科学的根拠に基づいた考察をしていくことも必要です。ケース検討はそういうことを色々と加味しながら、支援の方針を決めて展開していく・・・はず。

 

だと、自分は考えていたのですが・・・どうなんでしょう。

たしかに自分も直接支援の現場を離れてケース会議をすることもなくなりましたが、利用者さんの行動を分析しないことには問題行動の解決にはつながらない、と思うのです。

 

結局のところ、どうしたいのか。

このままでいいと思っているのであれば変わらない支援をするわけだし、利用者さんのことを本当に考えるのであればちゃんと検討すべきものです。

 

職員の方々は自分たちのことをどう見ているのでしょうかね。

単に「掃除に来る作業所の利用者さんとその職員」程度なのでしょうか。「見られている」という意識もないのでしょうか。