ふと今までのブログとFacebookを読み返してみました。
Facebookは楽しそうな様子がたくさん書いてあったのに、最近はそんな様子が全くない状態。ブログからは・・・あぁ、こんなにも自分の状態が変わってきていたんだなと改めて感じました。
今は元気になったけど、去年は本当にダメだったんですね。
一昨年のブログを見ると、何のやりがいも見えない内容ばかり。その前の年になると、管理職になって徐々に心がむしばまれていく様子がはっきりと見えていましたね。
元々自分がブログを始めたのは、いろんな人に知ってもらうため。
前身はニフティで書いていたブログ「ココログ」(Mitakeの小箱、下のサイドバーにリンクがあり、今も残しています)で、当時は自分の仕事の書いており、その時は今ほど名前の知られていなかった「社会福祉士」の仕事を知ってもらうために、社会福祉士として仕事をしている一つの例として紹介しながら社会福祉士の理解促進を目的にしていました。その時に掲げていたのが「毎日更新」という目標。自分でも三日坊主で終わるかなと思っていましたが、続いたのは10年以上。今はもう途絶えてしまいましたが、まさか10年以上も毎日書き続けられるとなんて思っていませんでしたからね。
それからしばらくして、アメブロでも書き始めることに。
当初は両方のブログを使っていたけど、現在はアメブロのみに。ココログの時はできる限りお仕事の内容だけを書くようにしていたけど、アメブロでは何でもありの内容になりました。ただ、お仕事のことはやっぱり続けており、アメブロでも10年以上続けているので、基本的にこうやって何かを書くことは嫌いではないのかもしれません。きっとその辺は専門学校時代にたくさんレポートを書く機会があり、そこで鍛えられた結果なのかもしれません。ただ・・・サービス等利用計画の作成は、相変わらずなかなか文章が浮かびませんからね。今はまだ準備段階なので実際に計画は作成していませんが、作成を再開した時にどんなペースで書いていけるかは自分でもわかりません。きっと書くのに時間がかかるのだと思います。
ブログにしてもFacebookにしても、比較的順風満帆に過ごしていたけど、管理職になってから明らかに自分が変わってくる状態でした。前の職場は開設準備室の職員として入職し、開設と同時に係長としての待遇に。ここまではまぁ「頑張ったから」という言葉で納得させられるかもしれないけど、仕事は本来の仕事(計画相談)ができず、地活にも入れない。もちろん最初は計画相談をやっていたけど、徐々に計画相談の仕事よりも施設運営の仕事をする方が多くなっていき、残業も36協定(月45時間残業)越えは当たり前の状態。36協定を超えると法人本部からは「(超えた分は)なかったことにして」と、あくまで36協定内の残業で納めるように指示。超える分に関しては休みを取ってくれ、とのこと。こんな状態が続くから現場としてはもっと根本的に色々と見直してくれと言い続けた結果、理事長の出した答えは「課長昇進」。イヤイヤ、答えじゃないし、負担増えるだけじゃん。アメブロでもこのことを「名ばかり管理職」と批判していました。でも本当に大変だったのは、この先だったんですよね。
ブログを見返すと、最初のころは不満を持ちつつも施設を動かしていかなければとの思いで色々とかんばってはみるものの、半年が経過したぐらいからちょっとずつ変化。ブログに書く内容にも変化が出てきて、あまり仕事のことを書くことが少なくなりつつある状態に。自分の中ではそこまで意識化してはいませんでしたが、ブログを読むと自分の変化が見て取れるようになっていました。
そして精神科の定期通院で、先生からのドクターストップ。
一度自分からストップしたいといったことはあったけど、先生からストップをかけられたのは初めてのことでした。明らかな抑うつ状態で、職場から離れることを言われました。最終的には受け入れ、とりあえず1週間だけ有休をもらうことに。
1週間が明け職場に復帰したところで、他の管理職と相談をして、課長職を解いてもらうことに。これが良かったのか悪かったのか、ここからまだ自分の調子が悪くなります。仕事に行っても何もできない。以前できていたことが、全くできない。ネットからの注文も全然難しくないことが、できない。そんな自分が空しく、自宅でも出勤しようとすると吐気が出て、食欲も減少。職場にいても泣いてしまうことが多くなり、結局先生と相談して、復帰して3か月で再び休職。服薬調整もうまくいかず、早期覚醒で生活リズムもボロボロ。食欲は減少からさらに減少。最終的には入院まですることに。人生初の、精神科病院への入院。自分も最初は入院を渋っていましたが、あまりに自分の状況が悪すぎたため、自宅で過ごすよりも環境を変えた方がいいと判断しての入院。一応職場にも入院したことを報告するために同僚に電話をすると・・・その同僚は、自分が休職した5日後に退職をしたとのこと。これもかなりショックでした。自分が休職をしたために退職の引き金を引いてしまったのではないかと思い、入院して早々から気分が落ち着きませんでした。
入院生活は1か月。本当は2か月ぐらい休んだ方がよかったのかもしれません。
その時の自分は「経済的にあまり迷惑をかけられない」との思いがあったので早期退院を希望しましたが、退院するときには心の中で退職をすることも考えていました。のちの保険金請求の時に必要な診断書を確認すると、そこには「適応障害」との文字が。抑うつ状態で入院をしたけど、入院先の先生は自分の状態を適応障害と判断したみたいでした。今思うと、確かにそれは「不適応」という言葉で説明がつくような状態。復帰しても仕事ができない、席に座っていること自体が苦しい。苦しくなるとトイレに駆け込みクールダウン。そんな生活が続いていました。で、体調が悪くて仕事を休みと、その日は気持ちが楽になっている状態。そして自分が退職する決め手になったのは、保護者対応ができなくなっていたこと。これ以上自分がいることは迷惑になるし、自分にとってもよくないとの判断で退職することに。もっとも、復職した時点から退職のことを考えていたわけですから、良く半年以上も持たせたと思います。
退職して数か月は、やはり心身疲労が大きく、次のことは全く考えられない状態でした。と同時に「自分は一般就労ができないのではないか」との不安も持ちました。退職前には精神保健福祉手帳も取得。1年以上仕事が見つからなければ、障害者就労も視野に入れるつもりでした。ただ完全に心身疲労が取れると、そこから先は元気に向かって歩き始めていました。
そして仕事が見つかってからの話が、今年に入ってからのブログです。
復職に当たりちゃんと1日仕事ができるか、1週間仕事ができるか、1か月仕事ができるか、3か月仕事ができるか・・・とステップを踏んできましたが、今のところは踏み外すことなく進めているみたいです。今の環境に不満はなく、他の職員さんとうまくやれています。先週は自分と同じ新しい職員が入職し、自分がやっていたことを教えたりしています。ここではいわゆる「不適応」は起きていないので、とりあえずは大丈夫みたい。前の職場で泣いたり吐気が出たり何もできなかったのは、いわゆる不適応状態だったといえるでしょう。その証拠に、退職して半年後には落ち着いた生活を送ることができるようになっていたので、総じてみると「適応障害」であったと考えるのが妥当だったのかもしれません。
自分の中では「パニック障害」の薬(パキシル・トリプタノールなど)を飲んでいるのでうつにはならないだろうと思っていましたが、実際はどんなに薬を飲んでいても、なるときはなるみたいです。まだ薬は以前の少ないときには戻っていませんが、揺り戻しを防ぐためには、またここでじっくりとやっていくことが大事なのかもしれません。
今日はちょっと時間があったので、長文になりました。失礼しました。