社会人になってからブログを書き始め、今年で17年。
途中休んでいた時期もあったけど、それだけ長く書いていればネタが被ることもあります。一応書く前に被っていないかを確認していますが、今日書こうとしたネタも9年前にさらっと書いていました。なので今回はさらっとではなく、ちゃんと書いてみることに。
福祉の仕事を明確に意識し始めたのは、大学4年の時です。
当時は卒論だけを残すのみで、授業はもうありませんでした。定期的に卒論の状況を報告したり指導を受けながら書いていました。一方就職活動は6月ぐらいには終え、あとは流れのままに進むだけでした。
ところが、方向性が変わってきたのは卒論を提出した後から。
卒論を提出し、口述試験に対応するためにいろんな本を読んでいました。当時自分が卒論で書いたテーマは、障害児の特別なニーズ教育について。まだ「特別支援教育」という名前が出てきていなかったときに障害児教育の在り方を書いた内容(だった気が・・・)でした。ただ口述試験を準備をすればするほど、障害を持った人に関わる仕事をしてみたいなぁ・・・という思いがだんだんと強くなっていきました。
口述試験でも、その後に指導教授から福祉の資格について紹介されることに。
その紹介された資格が、社会福祉士だったわけです。で、自分も「一生モノの、手に職をつけたい」という気持ちが強く、プロフィールにも書いてある通り、某家電量販店を就職1か月前に内定辞退、福祉系専門学校の進学となったわけです。
じゃそもそもの「福祉」のかかわりはどこかというと、大学1年の時。
大学に入学したての自分はまだ右も左もよくわかっていない状態でしたが、母親の健康状態は思わしくありませんでした。そして夏には人工透析導入に。何もわかっていないのですが、1つだけ知っていたのは「人工透析を受けていると障害者」ということでした。正しく言えば「人工透析を受けていれば、障害者手帳に該当する」ということですね。
そのことだけは知っていたので、とりあえず色々と手続きをしました。
入院中から行える手続き、退院した後に行う手続き、それらの手続きに必要な書類の取り寄せなど、ほとんど自分が市役所に行ったり病院に行ったりするなどして用意をしていました。ここが自分の福祉の始まり。ここを機に、社会福祉について勉強を始め、大学卒業後に福祉系専門学校で再度勉強し、福祉の仕事を続けているわけです。
福祉系専門学校で勉強していて、新たに分かったこと。
人工透析で障害者手帳に該当するのは知っていましたが、実は人工透析に至っていなくても検査値が判定基準に該当していれば障害者手帳に該当していたとのこと。これは専門学校で勉強しながら人工透析のハンドブックを読んでいるときにわかったことで、もっと早く知っていれば・・・という思いになりました。
そんなことがあって、自分の一番最初の志望職種はMSW(メディカルソーシャルワーカー)だったんです。
今でこそMSWも多くの病院で配置されるようになりましたが、当時はまだそんなにMSWが普及されておらず「非採算性」の仕事と言われていました。そのため求人数も少なく、障害者施設の生活支援員としてスタートしました。
それが今では相談支援専門員としての仕事をするまでに。
自分がこの世界で仕事を始めたときに、まさかこんな職種ができるとは思ってもなく、その職種に自分が就くとは思ってもいませんでした。ずっと体力勝負の仕事が続くのかなぁ・・・と思っていましたが、今までのことがこういう形で仕事になるなんて・・・やっぱり、いろんなことを経験するのが大事ですね。
余談ですが・・・福祉の「ふ」を知ったのは、高校1年生の時。
まだ子役(と言ってもずいぶん大きいですが)をしていた時に、「野に咲く花なら」という舞台に立たせてもらうことに。内容は筋ジストロフィーの療護施設内での日常や出来事を描いたもので、配役は筋ジストロフィーの患者です。自分は勝手に「筋ジストロフィーの人って〇〇なんだろうなぁ」と想像していましたが、役作りのために患者さんが書いた日記を読ませてもらうと、そこに書いてあったのは自分たちと同じこと、病気があっても考えていることは健常な人と同じことだったのに、ちょっとした衝撃を受けた覚えがあります。もうこの年なので当然理解はしていますが、別に病気や障害に関係なく、同じことを考えるのは当たり前のことなんですよね。まだ若かったというのもありますが、当時は偏見を持っていたんでしょうね。
今日はちょっと、自分の福祉遍歴を書いてみました。

