アルマヤ堂跡 | Mt.masaoのブログ

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古賀志山主稜線のピークの一つに御嶽山がある。地元では、ここを「頂上」と呼んでいた。この頂上に木曾の御嶽山を勧請したのは、幕末期弘化4年(1842)のことであった。頂上と言えば御嶽山、御嶽山と云えば頂上に決まっていた。

もう一つそれを裏付けるある名称が残っている。「アルマヤ堂」である。本家木曾の御嶽山に登ったことがある人なら、摩利支天山(2959㍍),アルマヤ天(2897㍍)などの峯々が連なっていることを御存じの筈だ。古賀志山に「アルマヤ」という名称が残っているのは、木曾の御嶽山を勧請した証なのである。その場所が御嶽山の岩壁直下の岩屋である。



昭和25年ごろまで、この岩屋には御堂が建っていた。このお堂を「アルマヤ堂」と呼んでいた。その名の由来が木曾の御嶽山にあることは云うまでもない。お堂の中に赤い鼻の天狗の像があった。

古賀志山の御嶽山に訪れるのは、幼稚園生から後期高齢者まで数多い。しかし、この直下の岩屋を訪れる人は、その1割もいない。