中当山 | Mt.masaoのブログ

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中当山(なかあてやま)と云う名称は、往古からあった名称であるが、山とは言ってもピークに付けられた山名ではない。ここは古賀志山主稜線上の「御嶽山」と「中岩」との鞍部から南に下る尾根の一つである。その最前列は、垂直な岩壁である。麓から見ると、鋭角三角形の尾根が南面に下っている。

下の写真の中央に見える三角形の尾根がその「中当山」である。


古賀志山中で、この「中当山」ほど神聖な岩壁はない。何故なら、東に男瀧を、西に女瀧を侍らせたのがこの岩壁である。瀧はそれ自体が御神体である。

神の匠は、中当山の左右に瀧を配した。往古の人達は、「山ノ神」は、高い所に降り立ち尾根を伝って降臨すると考えた。二つの瀧に共通するのは岩下の大きな岩窟の存在である。往古の人達は、この瀧と岩窟とに畏怖の念を抱き、神仏を祀り生活の依代(よりしろ)としたのである。

「中当山」の岩壁の付け根から下る斜面は、逆三角形を成し、男瀧から下る沢と女瀧から下る沢とが合流地点が、この逆三角形の頂点に当たる。往古の人達が着目したのは、この合流地点付近にあった七大杉であった。この七大杉を御神木として崇め小さな社を建て、日光山滝尾大権現を勧請し祀ったのが、平安時代の天仁元年(1108)のことであった。

女瀧への天狗宮を勧請は江戸時代の寛延元年(1748)のことである。

瀧下の岩窟に小さな祠を建てたが岩上より大木が落下し祠を壊したので、現在の弁天ノ岩窟に移したのが、文政8年(1825)のことであった。

「中当山」は、古賀志村の歴史に大きな役割を果たした。

この「中当山」で忘れてはならないのは、「雨乞石」である。この「雨乞石」については、ブログ「雨乞石」参照されたし。

皮肉なことに、現在、ロッククライマーのメッカが、ここ「中当山」であるのも妙な因縁である。