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リトル・プーリームのプラスティック・スリル・ブログ

テレビの低級化に抗し、マジで音楽を憂い、予言蔓延する世に悩み、
焦り多き家庭に困り、後悔伴う仕事に苦しみ、レーザー的に精密な
日本語の駆使に迷う中年男の見込み違いとニガリきった日々のアレコレ。


イマイチ音楽番組が少ない。


『魁!音楽番付』って番組があると知り、ン!?とおもい、観てみた。


邦楽の現況の勉強になるか、と思いきや、どうやら各回、大幅に企画が異なるようで、
今回は、サカナクションのPV回顧を、山口・江島とともに、
ダイノジの司会で、ゆる~く流すという感じだったから、
あんまり勉強にならなかったし、例のダイノジの熱い、あまりにも暑苦しい音楽談義へと発展するわけでもなく、
さらには、音楽「番付」と銘打っているにもかかわらず、
わずか10秒ほど、文字だけのランキング表をチラと映し出すにすぎぬ奇妙な構成である。


結局、サカナクションの音楽性は、いまいち分からない。
あと一歩、物足りなさが、漂っている気がするバンドだ。

「陰気な米米クラブ」といった観があるが…

たぶん、若いサラリーマンの応援ソング工房なんだろう。

***


それから、ヒップホップ好きのオレのココロをくすぐりそうな予感がして、

NHKの『スコラ 坂本龍一 音楽の学校「アフリカの音楽」(4)』というのも、観た。

たまたま、やっているのに気づいたから、全4回の最終回パートのみの鑑賞である。


テーマは「アフリカ音楽とポップス」ということで、むむむ、と期待したが、結局、

フェラ・クティの先駆性を高く評価するという点に時間が費やされ、

このフェラ・クティに影響を受けて作った、と坂本自身が語る「ライオット・イン・ラゴス

(Riot In Lagos)」を、ピアノ・坂本龍一、パーカッション・アフリカ人バンドのセッションで、

最後にサラリとやってみせ、なんとなくゆるやかに終わってしまったのであった。


ハッキリ言って、ピアノのポロ~ン、ポロ~ンという、長く糸を引く響きが、

あまりアフリカン・ビートと相性が良くない。


むしろ、「トーキング・ヘッズを改めて聴かねば」という切迫した感情を、オレは抱いたのであった。








今日の失敗。


助手席に乗っていて、クルマが停まっている状態で、飲み物を一口、二口。


(そういえば、ファミマの、自分で注いでテイクアウトするコーヒー=150円を買って、

初めて飲んでみたが、そうたいした物ではなかった。不味くはないが、残念な商品。)


そのとき、突然、車体が動き出すと、ゲホ!ゲホッ!となるのだが、

そういう経験は、何度となく重ねてきているオレが、

自らハンドルを握るとなると、たまに、すっかり横のヒトのことを忘れて、

急発進させてしまうことがある。


今日、それをやってしまった……

もちろん、ガボッ、ゲホゲホ。と、隣では困った事態が生じていた。

貴婦人の激怒。オレ平謝り。

しかも被害はステキな衣服にまで及び、茶色いシミのせいで、みっともない姿にさせてしまい真摯に反省。


コンビニATMで出金手数料210円を払うなんて、何十年ぶりか、これも、失敗といえば失敗。


気を取り直すため、ペットショップをのぞきにいく。

猫と犬がおもしろい。

じっさい、1、2匹欲しい気持ちもあるので、今年は、よく出かけるのだ。が、

むしろ、店内のペットたちの「成長」を楽しみにしている心理もある。


ある程度大きくなると、10万円台から5万円以下へと、値段が下がるせいもあるが、

(ただし、ダンピングは見せかけにすぎず、ワクチン代の上乗せで、購入総額は変わらない)

こいつは見捨てておけないぞ、というか、当初のヘンテコでちいさなものを見る目から

親しい仲間へ会いに来る感じへと、だんだん移り変わっていくので、よけいに欲しくなる。

大きいものが欲しくなるのだ。


一般に、そういう感覚があるのかもしれない。

大きいものが、安くなっていると、つい、トキめく、妙な金銭感覚。


事実、大きくなった猫というのは、立派な調度品のような趣きがある。


帰宅後は、テレビ三昧。

といっても、すべて録画した番組である。

(WBCの日本・オランダ戦もあるが、それは見ない。内容がユルいから見ない。)


「ロック兄弟」は、ギターウルフという、濃厚なパンク・バンドの紹介だ。

毎回、暑苦しい作り。

だが、いつも初見に近いバンドが紹介されるので、(興味は無いけれども)

お勉強になるのである。また、

再三にわたりCMを打っているSHUNというラッパー(?)のCMにつぐCMも、おなじみの番組構成。


スポンサーのSONYも、ギャグでやっているのか、意地でやっているのか、

場違いなJラッパーSHUNのCMだけは、1年近く継続中である。

(もしかして、自腹でCM流しているのか?SHUNってやつは?)


「モヤモヤさまぁ~ず2」、巣鴨篇。

昔馴染みの土地だから、いつもより好奇心がわいた。


驚かされたのは、さまぁ~ずの4年前の姿で、VTRでフラッシュバックされた当時41歳の2人の若々しさ。

大竹一樹の変わりっぷりには、とくに驚きがあった。

そのころガリガリで猫背気味だった大竹。

彼の姿が非常に若く見える。

おなじ40代でも、41歳→45歳、というのは、これほど変わるもんなんだねぇ~。


いやいや、ガリガリで猫背というのも、そう悪くは無いぞ、というのが、今回の教訓。


「カラマーゾフの兄弟」、テレビドラマ。

市原隼人主演。黒目がちの男である。

<黒目がち>という点では、小西真奈美と良い勝負。

そろそろ最終回に近づいてきたが、本を読んだことが無いので、先がまだ見えない。

本で読みたくなってくる。


「東野・有吉のどん底」、2012年の再放送。

デヴィ・スカルノ(72)と、こまどり姉妹(74)のギャップに、驚く。

いつにもましてデヴィ夫人の豊満な胸元に、東野も有吉も、(シャレではなく)目が釘付け、

チラ見が多く、なんだか様子がおかしい男たち。

それにひきかえ、2歳上のこまどり姉妹が、死期近しと思わせるような不気味な厚化粧。

そのギャップ。人生というものは、恐ろしい。


さらに、「シューカツ魂!2013」、これは、就職活動の学生を応援する、ソフトバンクの巧妙なヨイショ番組である。

ソフトバンクがスポンサーだから、しょうがない。

(「ソフトバンクはいい会社」的なつくりが見え隠れするのであった)


とにかく、司会のNEWS小山慶一郎というのが、収まり悪くて、非常に落ちつかない。

顔も薄いが、キャラも薄い。

しかもフワフワして、未熟さが丸見え。

小山は、自分が何をやればいいか、それを分かっていない様子。


あらためて分かったこと。

結局、就職活動というのは、

明るくハキハキ、「社会貢献をしたい」という模範解答を、

断固、そつなく、粗相なく、貫けるかどうか、という、

ウレシぃサラリーマンごっこなのである。

(しかも、高学歴であることが参加条件の。)


番組出演者や企業の人事担当者たちも、そのあたりの真相を、

なんとなく隠しながら、「ガンバレよ!」で爽やかにまとめている。


まあ、現実に働いている人はみな、鋭い目つきで、全身やつれきって、浅黒い肌をしているものだ。


さっそうとしたサラリーマン、

それはテレビの産物。

TVの恐ろしさである。

ああ、今日もそんなTVの恐ろしさに、じっとガマンにガマンを重ねながら、何本も見てしまった。







強風、寒風、痛烈に吹きすさぶ中、やや急ぎすぎた春物コーデも失敗。


白目の多さがニガテなので、綾瀬はるかに好意を抱けない。
むしろ本名「蓼丸(たでまる)綾」に興味を抱かずにはいられない。

が、「~丸」という姓は、「薬丸」のように他にも存在するのだから、慣れれば平気なはずなのだ……


その綾瀬が演じる"新島八重"という武家の娘にスポットライトが当てられる奇妙な時代がやって来た。


桜のように散りたかった女。
ああ恐ろしい……

これは結局、サムライ・ウーマンなどと美化できるようなものではないと思う。
所詮は、職業軍人の一種なのではないか。


つい最近、NHKの「BS歴史館」でも、新島八重は取り上げられた。
そもそも、こんなマイナーな企画に、作家・島田雅彦が、なぜ出演していたのかが疑問だ。

ほとんど発言もせず、自らの立場を明らかにもせず、気取った白縁のメガネをきらめかせているばかり……

とはいえ、主君第一の封建主義者(新島襄や八重を含め)は、唯一神を奉るキリスト教に、何か通じるものを見出すのだろう、という趣旨の意見を述べていたのは、悪くなかったとおもう。


が、同時に、すかさず松本健一が、島田の見解に疑義を挟んだのは、少なからずスリルを生んだ。

腰の低さだけが持ち味の美熟女・渡辺真理アナ(45)には、制御しづらい緊張の瞬間であった。


番組内で、新島八重は終始(容姿も含め)美化されていたが、苦し紛れに彼女を「ハンサム」と弁護した夫・新島襄とのあいだに子は無く、あまり語られない以前の別の男性との短い結婚も不毛だったらしいのだから、きっと、八重という女性には、充実した社会活動の代わりに生活が無かったのだろう、とオレは思う。


ひょっとして、フェミニズム的な視点から、こうしたハンサムな?キャリア・ウーマン的女性が見直されているのだろうか。
だが、それは困った話だ。


この女軍人・八重と同じように、キャリア・ウーマンには、生活の潤いが無いのではないか?

軍人・八重にうってつけの夫・新島襄、いわば虫も殺さぬ宗教家が、現代のキャリア・ウーマンの前に現れる保証は無いのである。


うーむ、なんだか、フェミニズム論になってしまった。したくもない話だ。

別に、内田樹お得意のフェミニズム批判をかじったわけではないが……


とにかく、女がサムライ(軍人)をやる勇ましい姿と、熾烈な出世競争に乗り出すキャリア・ウーマンが重なってしまって、オレはあまり感心しないのである。


おたく(マニア)だったら「生活」(幸せな家庭)があるか?

という疑問がある。

しかしこれも、あやしいもので、結局、生活というのは、もっとも失われやすいものなのかもしれない。